1より
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砂軌道攻略作戦記 その2
2009年3月22日
さて、お昼はどこで食べたっけ? と思って写真を見てると、巴胡塔砂鉱山事務所を出て、巴胡塔駅砂積換え施設の残骸を見る間に国道沿いの食堂で食べていたようで。確か今日は料理人が休みなので・・・とかで蒙古人の店の主人?が作ってたけど、御飯に少し芯が残るなどイマイチでした
食事後、前日記でも書いた積換え施設残骸を見た後、車で約15分の次の軌道へ向います。
『伊胡塔(いことう)砂鉱山軌道』
前日夜、夕食した街でもあります。そして国道踏切を昼間に改めて観ると・・・
・・・線路は半分埋っています・・・やはり廃止されています
なんてこった
しかし線路は基本的に残っているようなので何か撮れるかも知れない・・・という事で車庫があると思われる鉄路局駅方向へ線路横のダート道(砂道と言った方が正確?)に車を進めます。
軌道はそのままかと思われましたが駅直前の築堤が車道の為に切られています。
その先の伊胡塔駅裏に続いていたはずの線路は撤去されて枕木のみが空しく並び・・・積換えマシーンも消え、かって敷かれていたと思われる鉄路局の積換え側線も撤去されたのか何も見あたりません。
そして予想通りに駅裏に車庫があったので塀の崩れた所から中に。人の気配はありませんが巴胡塔の例もあるのでガイド氏はとりあえず留守番人を探しに事務所はどこだと探しに行きます。とりあえずその間に軽く撮影
暫くしてガイド氏は番人を連れて戻ってきました。勝手に入って?か、ちょっと不機嫌な感じもしましたが撮影はOKに。
何故かグースタイプの機関車1台は外に置かれていますが、お蔭で撮影はしやすく、お墨付き?も出たのでいろいろと撮影していきます。車庫の星マークが中国らしいです。車庫の扉も開けてもらえるように頼みますが残念ながら番人は車庫の鍵を持っていないので開けられないとのこと。仕方が無いので割れた窓からレンズを突っ込み・・・
中にはもう1台のグースダイプの機関車を確認。でも車庫内は何故か何かが入ったダンボールがいっぱい積まれており、外の機関車もその為に車庫から押し出された感じです。
貨車は何の変ったとこも無い無蓋貨車・・・すぐ模型化できそう
車庫全景 こんな小さなトロッコ軌道ですが敷地は広いです。さすが大陸!
番人は蒙古人。よく見ると元関取の青小龍に顔が似てなくもない
ここは現在我々が把握している通遼から一番南の軌道。更に南に軌道があるか聞いてみましたが、砂鉱山は数箇所あるけど全て送水パイプによる輸送で軌道は無いとの事。解り難いヤフーの衛星写真で数箇所砂鉱山らしいものは事前に掴んでましたが、未知の軌道は無いらしい・・・
この伊胡塔の軌道も2年前の2007年までは走っていたと言う事です・・・残念。
お礼を言って車庫を後にしましたが時間もたいぶ余っていたので、鉱山地区へ行って見る事にしました。先ほどの国道踏切りまで車で戻り、今度は鉱山方向へ線路横の道を行きかけますが・・・砂が深くて先に行くのは無理とか。衛星写真では、ここから鉱山まで約1km強らしい事が解っているので線路上を歩いて行ってみる事にしました。
まずは国道踏切りからスタート。これは駅の方向を向いています。
こんな感じで軌道は続いています。コンクリート(PC)枕木が互い違いに付いているのは鉄路局のスタンダード軌間(1435mm)の枕木を折り、鉄の板で繋いでトロッコ軌道の線路幅、762mmに無理矢理?合わせてあるもので、トロッコ軌道のPC枕木としては異常なまでに太い!
です。この無理矢理PC枕木は他の軌道でも殆ど全線に渡って使われていました。
軌道は池の真ん中を進みます。この池もかっては採掘池だったと思われます。
池横の砂が濡れて締まっている所を利用して生活バイクが走っていきます
この地方の3月は、まだ東京の真冬並の寒さなので池は半分凍ってます。
その少し先で鉱山地区に到着。2005年の時には木里図の鉱山地区だけは見た事がありましたが、それに比べても木里図よりかなりだだっ広く、様子も少し違います。小屋には人の気配はありますが誰も出てきません。
取残された貨車。どりあえず左の線路を辿って行く事に。
積込み用のスロープが取残されてます。形状からブルドーザー辺りで積込むようです。(この時点では後日見る積込みの様子を、まだ知らないので)
その少し先で軌道はプッツリ切れ、写真では解り難いですがその先に採掘の池が少しだけ見えてます。
辺には吸い込みパイプを誘導する船が座礁状態に。機関車のようにも見えます。
池と軌道の間にあるポンプ小屋(右の赤い建物)
池の辺を歩いて先ほどの軌道分岐右側の奥に周り込みます。
間もなく軌道が見えてきて、その先には「製品」の硅砂の山が。積込みスロープも半分埋りながらも見えてるので、この場所が最後に積込みを行ってた場所のようです。この鉱山地区は既に使ってないとの事でしたが、積み上げられた硅砂もそのままです。
その砂の山に登って振り返り。
同じく砂の上から駅方向。
どーゆーふーに使われたのかよく解らない櫓も。
鉱山地区を後にして戻りはじめて池の横へ来ると、また生活バイクが通りかかり・・・
線路横の一般的な? 農家。
列車の来る事の無い線路には牛ものんびり・・・
2005年、国道踏切で偶然列車を撮影する事ができたので現役当時の写真も少し・・・この当時、メインはフィルムカメラで、ようやく手にするようになったコンデジはオマケ程度の撮影でした。
現役当時の国道踏切り。
推進運転で鉱山地区へ戻る列車。踏切り横で人を一人便乗させてたので少しだけ停車。その時にフィルムとコンデジで撮影したものです。この時はグーグルアースなんてものも無かったから踏切り前後の線路がどうなってるなんて全く謎でした。僅か数年で自宅で解ってしまうなんて・・・便利になりましたねぇ
さて、これより南には軌道が無いという事だったので、この日の宿泊地の通遼へ戻りにかかります。そして現役の衛門営で翌日の為に現地ロケをしたのは前日記にも書いた通りです。
そして通遼に一番近い軌道の木里図砂鉱山軌道が何故見つけられなかったか?
国道走行中に木里図の標識が見えたので注意深く周りを見ます。そして・・・
『木里図(もくりと)砂鉱山軌道』
ここも衝撃の答えが待っていました
何故踏切りが見つけられないのか?と周りを見ていると、4年前に見覚えのある景色が、そして足元は・・・
線路が無い
踏切り前後も含めて全くレールがありません。どおりで踏切を目標に何度も現場を通過していたのに解らない訳です。
ここは衛星写真で車庫の位置を鉄路局木里図駅裏にあるのを把握してたので、とにかく向う事にしました。
到着すると留守番人にはガイド氏が上手く言って敷地内に入れてもらうことができました。
車庫前には一応車輌が置かれ、貨車の下のみにはレールも残されています。
車庫を開けてもらうように頼んでみますが、やはり扉の鍵は持っていないということで、開いていた窓からレンズを突っ込んで撮影します。
車庫内にはグースタイプの機関車2台を確認。
車庫横奥はこんな感じ・・・
番人に聞くところによると、去年2008年まで走っていたそうです。廃止が2008年・・・北京オリンピック前の古鉄特需の時期と重なり、その為他の軌道では廃止後も放置状態だった線路もここではレールを撤去、処分された・・・と想像できます
積換え施設に向って築堤がありましたが、全く痕跡無し・・・積換え施設も跡形もありません。
2009年3月現在で最も最後に廃止された軌道が、最も痕跡が無い状態でした。それでも何とか車輌だけでも撮影できただけでも良しとせねば
ここも2005年に撮影した写真があるので、少しだけ紹介します。
鉄路局木里図駅裏から築堤で来る軌道。上の写真の角度違い現役時のものです。この当時はこのすぐ近くに車庫があることは解りませんでした。
鉱山地区へは途中で車が進めない道になったので、そこから歩いて向いました。鉱山手前の線路は鉄路局流用改造枕木軌道に切り替えられ、木の枕木時代の線路がそのまま横に残されていたので、複線軌道のように見えました。
鉱山地区に停車中の列車。建物の中に貨車編成が入っておりオバチャン達が袋詰め?の砂を積込んでました。他も同じだろうと思ってましたが、今にして思えばこのような積込みを目撃したのはここだけでした。走るのは夕方に1本だけと言う事で、とにかくこの情景を撮影して・・・と思ってたらウルサイヤツが出てきて追い払われてしまい、結果的に建物内は撮影しそびれてしまった
・・・てのを覚えてます。
さて、話は2009年3月に戻って・・・
木里図を撮影し終わる頃には日没、前泊と同じ通遼のホテルに泊まりです。ホテル前の食堂で夕食、ニンニクが生で出されて、それをかじったり・・・
翌日、走るはずの衛門営砂鉱山軌道に備えて、さっさと熟睡
続く
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