久しぶりに えっ、と思ったので日記。
四つんばいリレーで監督「やめてくれ」走者は骨折
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=5342034
世間は非難轟々みたいだが、私は「本人がそれでもたすきをつなぎたかったならやらせてあげていい」と思う派。
人の命は(選手生命を含め)本人のものだ。
本人がいいというならいい、と私は思っている。そのかわり、その人の責任でもある。
よくこういう話をすると「じゃあ自殺も擁護するのか」という極論に至る方がいらっしゃるが、自殺でも、自分の命と自分の未来に責任を持った考えがあって自死に至るなら それはそれでアリだという考えだ。
最近はいろんなニュースや出来事について、本人と同じ場所の空気すら吸ったことない人たちがなんやかんや言う社会なので息苦しいな、と思う。
ほんとは正解なんてなくて、答えはその時々で変わるものだし、その人本人にしか決められないこと、と 誰もが本当はわかっているはずなのに、どうしたわけなのか。
その時のその人の判断がよかったかどうかなんか、その人本人にも、わからないことなのだ。
「もしこうなったら誰が責任をとるのか」と立場が違う人を責め立てるのは 「自分がもしこうなったらこうしてほしかったのに」という甘えを表面化しているだけではないだろうか。
しかし、その甘えが逆に自分を呪い、苦しめることもある。
例えば、子どもがいない人が「親だったらこうしてやれよ」と世間の困った親をみかけるたび、理想の子育てと見比べて、責め立てるとする。
すると、自分が子どもができたときに自分が理想の親になれないことを世間に責められてるきがして、すごく苦しむんじゃないかと思う。
まちがったっていいんですよ。
間違いの中から、気づいたり、悩んだり、次は別の人には優しくできたり。
それが人間じゃないですか。
人には「間違いを経験する権利」がある。
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