九七式中戦車は新砲塔チハが採用された後も、47mm戦車砲の生産が追いつかなかったために従来型の57mm砲塔型が生産され続けたと言われています。
新砲塔チハは1942年から生産されていますが、42年の生産状況を見ると確かに47mm戦車砲の月々の生産量は九七式中戦車の生産量を下回っています。
しかし、それでも47mm戦車砲は年間で400門が生産されており、かなりの数の新砲塔チハが生産されたと思われます。
43年になると47mm戦車砲の生産量は九七式中戦車の生産量を上回るようになります。47mm戦車砲は九七式中戦車の約1.5倍の800門が生産されており、これを見る限り新砲塔チハの生産に支障があったようには見えません。
今月号のグランパの九七式中戦車の特集には、新砲塔チハの生産数として417輌という数字が載ってますが、これは少なすぎるように思われます。新砲塔チハの生産数は少なく見積っても800輌、後から新砲塔チハに改修された物も含めると最大1,000輌前後と考えられます。
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