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2016年10月22日20:56

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先日の展覧会の印象(新国立美術館)

画像に概ね書き込んでいますけれど、ケータイからは小さくて見辛いかも、すみません;;;



そもそものキッカケは、知り合いの知り合い(つまりは知らない)19歳の彼女の絵を見にお誘いされたわけで⋯実は『二紀展』ってよく知らない上、ホームページを観たら好みの作品が少ないというか(悪い意味でなく色味や怨念で)吐きそう。←

でも他の展覧会同様、“画像や印刷よりも生の作品の方が怖くないの法則(マイ法則かも知れません)”が働いて、実物で気持ち悪くなる事はありませんでした。

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まずは彼女の絵を探すのが大変じゃないかと思ったんですけど、70年くらい歴史ある公募展で第一室に居るとは!個性的な色味のがっつりした絵だし、オバチャンびっくりよ!

ちょっと“言いたい事が多すぎ”って感じたけれど、若いんですもの当然よね。
イイ感じに枯れて行く⋯というか、わざと削って行く変化があったらイイなぁ。
※あくまでも個人的な感想です。

『二紀展』全体は、他の公募展同様“来る者拒まず”を謳ってはいますが、やはり立体にも平面にも“二紀展の色”は出ています。
象徴的に描いている作品でも具象的な表現が多いし、コツコツ真面目な感じ⋯⋯もっとハッチャケた人が多いと“私は”楽しいのになぁ。
※あくまでも個人的な感想です。

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新国立美術館の案内ペーパーは文字の大きい物が別に用意してあって親切ね、『ダリ展』は駆け足観覧じゃもったいないんですけど時間が無いから仕方ないわ。

それに入館料タダのルート(?)を利用出来たからこそのダブル観覧、アッサリ閲覧でも口惜しさが無いところも幸いしました。
有名作品や細かい書き込みの油彩は人が群がっていましたから遠くから流し、舞台美術の下絵や挿し絵などのペン画の線に寄って見ると柔らかくて繊細でした。

アクセサリーのデザインなど奇抜なのに大衆性があってジブリ映画のよう、宮崎駿監督のように内心は“どう思われてるのかなぁ?気に入ってもらえるのかなぁ?”という気遣いが有る人だったんじゃないかしら。
器用に色々出来るけれど、本当の自分をさらけ出すのはビクビクしてるタイプみたいな?
※あくまでも個人的な感想です。

ポスターやチラシやホームページのデザインはなかなかステキでしたけど、特設ショップの企画商品はイマイチでがっかり⋯⋯輸入ダリ商品の方が購買意欲がわくものが多かったのが残念。
ガチャの企画があって、300円で「ダリ札」を買ってガチャが出来るンですけど、出るモノがピンズ⋯⋯デザインもビミョー⋯⋯「ダリ札」を買ってガチャせずに帰る人も見かけたけれど、“それ”が目的の企画ならガチャの神に謝ってほしいわ(そんな神居るとは思えんが)。

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美術館や博物館(あるいは上野駅など周りにそれらが多い駅)に行った場合、楽しいのはチラシ回収⋯作家が好きなものや、チラシのデザインが面白いものはついもらってしまいます。

その中にクリストとジャンヌ・クロードの「アンブレラ」回顧展(?)のチラシがあって、懐かしく⋯少し寂しい気持ちになったわ。
共同作家の奥さん(ジャンヌ)のところに2009年没って書いてあって、知らなかったから⋯チラシの中のツーショットが幸せそうだったから。

でも、クリスト氏自身は活動中で何より。

「アンブレラ」は、高さ6メートル直径8.7メートルの傘を、カリフォルニアの丘陵に黄色いのを1760本、茨城県の水田地帯に青い傘を1340本、同時に立てて18日間の会期中、日本で50万人、アメリカで200万人が鑑賞しました。

何故かミヤタケイコさんに誘われて、茨城のクソ田舎(おい!)に行った記憶があるのです、彼女のお母様が作った元気で巨大なオニギリも記憶に残っているわ。
そして、田舎の風景に林立する青い巨大傘は、なかなかステキでした。

あのドキュメンテーション展って、1991年だったのね!

時間って不思議。

“柔らかい時計”の様に、時の流れは確実で残酷なまでに平等でありながら、柔らかく行きつ戻りつ“そこに有り続ける”ものなのね。
“あの時間”は、私達が居なくなっても無くならない気がするわ。

※ラストでのむりくり『ダリ展』につなげた感⋯⋯さりげなく陳謝いたします。←お、オマエ;;;
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