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2018年09月23日15:03

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ローマ歌劇場の「椿姫」

ヴェルディ: 歌劇「椿姫」(全3幕)

ヴィオレッタ: フランチェスカ・ドット
アルフレード: アントニオ・ポーリ
ジェルモン: アンブロージョ・マエストリ
フローラ: エリカ・ベレッティ
アンニーナ: キアラ・ピエレッティ

指揮: ヤデル・ビニャミーニ
演出: ソフィア・コッポラ
美術: ネイサン・クロウリー
衣装: ヴァレンティノ・ガラヴァーニ他
振付: ステファヌ・ファヴォラン
照明: ヴィニーチョ・ケーリ

ローマ歌劇場管弦楽団,ローマ歌劇場合唱団,ローマ歌劇場バレエ団


事前の情報から判断する限り,今回のローマ歌劇場来日公演は地味で小粒であるとの印象は免れない。当初ジェルモンを歌うはずだったレオ・ヌッチがキャンセルとなったので,クリスティーネ・オポライスを除くと,スター歌手や指揮者が登場するでもなく,ふたりの演出家(「椿姫」のソフィア・コッポラ,「マノン・レスコー」のキアラ・ムーティ)が脚光をあびることとなった。親の七光りでオペラの演出を任せられたのかと疑りたくもなる。

実際に観てみると,引っ越し公演のクオリティは余裕を持って保っていた。リッカルド・ムーティが引き上げることに成功したローマ歌劇場の水準が維持されていた上に,指揮者のビニャミーニがソリストやオーケストラなどの良い面を引き出していたからだろう。好感の持てる「椿姫」だった。

まずは演出から。ソフィア・コッポラの舞台はオーソドックスそのもの。パリの社交界の宴会,プロヴァンスの別荘,そしてヴィオレッタの寝室,いずれの場面もどこにでもあるようなスタンダードな舞台装置。だが,陳腐さを微塵も感じさせないところが彼女の実力なのか。ディテールでは,第1幕の華やかなパーティに登場するヴィオレッタに黒い衣装を纏わせたのは,彼女の未来を暗示させる効果があった。第2幕では,別荘の居間の左右に大きな木の鉢植えがあり,上手の鉢植えから何枚もの木の葉が舞い落ちていて,このでの幸せが長く続かないことを暗示する。中央に大きなベッドが据えられた第3幕では,ベッドの背後にある大きな窓から差し込む光の色調が変化して,ヴィオレッタの内面を視覚化する。それはいいとして,第3幕はもう少しうらぶれた雰囲気が表現できれば申し分ないのだが。

ソリストでは,ヴィオレッタ役のフランチェスカ・トッドもアルフレード役のアントニオ・ポーリも好演していた。特にフランチェスカ・トッドには将来大きく伸びる可能性が感じられる。レオ・ヌッチに代わって父ジェルモンを歌ったアンブロージョ・マエストリは,独唱者の中でいちばん大きな拍手をもらっていた。たしかに,歌唱だけに注目すると最大の賞賛に値することは間違いないものの,繊細な側面をも併せ持つジェルモンを表現しきれていなかった嫌いがある。ヴィオレッタを見下す態度があからさま過ぎて,必要以上に押し付けがましくきこえる。父ジェルモンにはそうした面はたしかにあるのだが,ヴィオレッタとの対話で彼の内面に生じた微妙な変化を歌や演技で表すことに十分な成功を収めていたとは言い難い。これでは,第3幕でヴィオレッタの元に駆けつけ,彼女と和解する感動的なシーンに繋がらなくなってしまう。

オーケストラはムーティが大幅に改善したとされるレベルを維持していて,やや小粒ではあるものの透明度の高いサウンドを誇っていた。このオーケストラの長所を生かしつつ,オペラ全体を手際よくまとめていたのは指揮者のヤデル・ビニャミーニである。どちらかというと,職人的な指揮者の部類に入るのだろうが,ただそつなく纏め上げることを超えて,「椿姫」の核心に迫るような手腕は正しく評価された然るべきではないだろうか。もし,ビニャミーニがタクトを執らなかったとすれば,ありきたりな「椿姫」になっていた可能性が大きい。

ひと頃に比べると,地味で小粒な引越し公演ではあるが,海外から呼び寄せた舞台のクオリティはクリアーしていたように思う。もちろん,もっとセンセーショナルなステージであっても構わないのだが。
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