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2018年06月03日10:33

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 【質問】 マルコポーロ事件って何?(下書き)

 【質問 kérdés】
 マルコポーロ事件って何?
Mi az Marco Polo ügy?

 【回答 válasz】
 1995年2月,月刊誌『マルコポーロ』(文藝春秋)が,ホロコースト否認論記事を掲載.
 これに対してサイモン・ウィーゼンタール・センターなどが抗議を行ったことによる一連の事件.
 同誌は廃刊となり,編集長は解任,社長も辞任という結果となった.

                       *      *      *

 どうも,「自分こそ絶対正しい」と思いこんでいる人間は,ろくなことをしやしないもので.

 事件は『マルコポーロ』1995年2月号が,「戦後世界史最大のタブー.ナチ『ガス室』はなかった.」なる記事を掲載したことに始まる.

 国立病院に勤務する西岡昌紀の寄稿によるものだが,その内容はホロコースト否認論者デイヴィッド・アーヴィングのものと大差はない.
 この西岡という人物,一言で言えばトンデモさんで,HIVはエイズの原因ではないとする,いわゆるエイズ否認主義者でもあったりする.
 この手の「自分こそ絶対正しい」と思いこんでいるオカルト・ビリーバーが厄介なことは,今更説明するまでもないだろう.
 掲示板を荒らしたりするのもこのタイプだ.

 何故そんな怪しい人物の手になる記事を,『マルコポーロ』は掲載したのか?
 当時,阪神淡路大地震の取材で文春と関係していた江川紹子によれば,同誌の経営は芳しくなかったらしい.

 そのためか当時,田中健五社長,花田和凱編集長コンビはスキャンダル路線をとっており,過激な記事をたびたび掲載していた.
 皇室批判で宮内庁への謝罪をする羽目になったという前科もある.

 また,花田はホロコーストについての認識が明らかに甘かった.
 国際的にセンシティヴな問題であることに鈍感だった.
 『日本タブー事件史』(宝島社,2005)において後に
「こちらは,たくさんのユダヤ人が殺されたのは事実で,ホロコーストが無かったと言い張ってるわけじゃないのに」
などと述懐している.
 件の記事の中では,
「"ガス室"はソ連やポーランドによる捏造」
「.収容所でユダヤ人が大量死した真の理由は,ガス室による処刑ではなく,発疹チフスなどによる病死である」
などと述べられていたのだが,これを花田はホロコースト否認論だと思っていないことが窺える.

 これを知ったのが,ロサンゼルスのサイモン・ウィーゼンタール・センター(以下,SWCと略記).
 上から目線で説教することにかけては定評のある団体で,後にはアイドル・グループの制服のデザインにまでクレームをつけるようになる.

 SWCはさっそく同号発売直後,イスラエル大使館と共に『マルコポーロ』編集部に抗議.
 また,駐米日本大使に対しても,同記事を非難する書簡を送付した.
 さらにSWCは文藝春秋に広告を出稿する企業に対し,文藝春秋に一切の広告を出さないよう求めた.

 花田は後にこう述べる.
「あの事件は,日本の雑誌社が外国の組織から抗議を受けた初めての事件だったから慌てちゃったんだね」
「あれが日本の組織からのクレームだったら,こっちも対応策は分かってるの.
 たとえば“誌面で反論を書いてくれ”と言うとかね,いろんな方法があるんです.
 だけど外国のああいう組織から言われたのは初めてだったからね.
 当時の社内会議では,
“もし全世界のユダヤ人の団体が日本大使館に石投げたらどうするんだ!?”
なんて真剣に話し合ってたのよ.
 今考えればそんなことあり得ないんだけど,それがあり得ないっていうのは分からなかった」

 これを見るに,ホロコーストは国際的問題になり得るという認識が,日本の雑誌社には総じて欠けていたらしい.

 この抗議行動により,実際に何個か広告が落ちたということはなかったが,ディヴィッド・グッドマン・宮沢正典『ユダヤ人陰謀説』(講談社,1999)によれば,これにより文春社内で政治抗争が勃発.
 先に述べたように,田中・花田のスキャンダル路線は,これ以前にも何度も失態を演じている.
 そのため,以前より彼らは「会社に莫大な犠牲を払わせるもの」として非難を浴びていた.
 それがこの一件で,もはや田中は責任を逃れられなくなった.

 1月30日,文藝春秋社は,出版社として「記事は誤り」と発表.
 公的な謝罪をすると共に,『マルコポーロ』廃刊と花田紀凱編集長解任,記事に関係する幹部構成員を更迭をする処分を行った.
 同日,斎藤・外務省事務次官は記者会見を開き,外務省の見解として「廃刊措置は適切だった」と述べた.

 2月2日,ホテル・ニューオータニでの記者会見において,田中健五社長が同誌廃刊を発表.
 しかし,自身は社長職に留まると述べた.
 その上,この記者会見の席でさえ,田中はホロコーストの史実に疑問を匂わせる発言も行う.

 田中は社内外から批判を浴びることになり,2月中旬に社長を辞任.
 この廃刊は日本国内のみならず,ドイツ,オーストリアで大きく報道されたほか,米国各紙も比較的大きく伝えた.

 廃刊後,文芸春秋の社員有志が,SWCのセミナーやアウシュヴィッツ見学に参加したという.
 花田談;

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「これも余談なんですけど,後に彼らと話もついてね,『サイモン・ウィーゼンタール・センター』の人々が4〜5人でやって来て,ウチの会社にレクチャーしたんですよ.
 会社の一番大きな会議室でね,『ユダヤ問題』を講義しに来たの.
 文藝春秋はだいたい社員が300人くらいなんだけど,“最低100人は出なきゃいけない”っていう条件でね」

――ええ〜っ! そんなことがあったんですね…….

「俺は当事者だから行かなきゃいけない.
 行きたくもなかったんだけどしょうがねえってね.
 そうしたらまあ既に聞いたようなくだらないことばっかり言ってるわけ.
 だから2日目,3日目は出なかったの.
 でも西川とかは出てたんだけどね.
 それで,その時の会社(文藝春秋社)は,事前に“想定問答”を作っておいて,質問まで作って社員に質問させていたんですよ」
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 これを見るに,効果のあるレクチャーだったとはとうてい言い難い.

 さらに,話は場外乱闘に発展する.
 ベルリン在住のジャーナリスト・梶村太一郎と金子マーティン・日本女子大学教授(社会学)が,この事件に関して「週刊金曜日」1997年1月誌上でホロコースト否定論を糾弾.
 すると,ホロコースト否認論者の木村愛二が,両者及び『週刊金曜日』を名誉毀損で東京地裁に訴え,1000万円の損害賠償を請求.
 否認論者が名誉棄損で訴訟を行う手法は,アーヴィングに似ている.

 1999年,地裁はこの請求を棄却.
「ホロコーストは世界にあまねく知られた歴史的事実」
とした上で,
「このような歴史解釈をめぐる論争は,我が国の法体系の下においては,本来見解が対立する者同士の自由な議論に任せられるべき分野の問題であって,法が濫に介入すべきものではない」
として,ガス室の存在についての判断は行わなかった.
 控訴したという話はgoogle検索では出てこないので,おそらくしていないのだろう.

 逆に梶村も1997年8月13日,木村を民衆扇動罪(ドイツ刑法第130条第3項)容疑でドイツ・ベルリン州地方裁判所内国家検察局に告発.
 かなり無理筋な告発であることは,誰の目にも明らかで,ベルリン州同検察局も,「日本国籍者同士の問題である」と言う理由で告発を受理しなかった.
 ジャーナリストと名乗っているものの,この告発を見ても経歴を見ても,梶村は政治運動家色が強いようだ.

 この一連の騒動で,ホロコーストについての人々の理解が深まったか?と言えば,むしろ逆で,西岡のようなトンデモさんに「言論弾圧の被害者」づらをできる良い機会を与えたようなものだ.
 どうも,「自分こそ絶対正しい」と思いこんでいる人間は,ろくなことをしやしないもので.

 【参考ページ Referencia Oldal】
http://tocana.jp/2016/04/post_9219_entry.html
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/mascomiron_marcoporoziken.htm
http://tokiy.jugem.jp/?eid=1191 ※図1〜2引用元

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