今から何十年も昔のこと。
アメリカでインターネットのポルノ規制が法制化されようとしたとき、大規模な反対運動があった。
ニュース番組で、反対している老人のコメントが紹介された。
「ポルノは愚劣だが、国がポルノを規制することは、もっと愚劣だ!」
反対運動は、国家による表現規制の是非であって、ポルノの是非ではなかったのだ。
現地レポートを見て、私はアメリカの民主主義の奥深さと底力に感動した。
表現内容の是非は国民個々が判断することであって、国家が是非を国民に強要することではない。
我が国ならば、なにかと規制の対象になるエロまんがやヘイトスピーチの自由のために戦えるか?ということだろう。
「エロまんがは愚劣だが、国がエロまんがを規制することは、もっと愚劣だ!」
「ヘイトスピーチは愚劣だが、国がヘイトスピーチを規制することは、もっと愚劣だ!」
規制反対を明言できてこそのリベラルだ。
エロまんがを規制しようとする保守も、ヘイトスピーチを規制しようとする革新も、どちらもリベラルではないし、民主主義を守る者でもない。
権力に表現規制を求めることが、間違いなのだ。
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