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2017年03月23日22:46

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【時評】大和民族はいない。アイヌ民族もいない

大和民族もアイヌ民族も存在しない。
遺伝子レベルでは、アイヌと沖縄はきわめて近い。本土人がその次に近い。
縄文時代は北海道から沖縄まで、縄文人が住んでいた。
そこへ弥生人が流入し、混血がすすんでいった。だから遺伝子レベルでは近い存在。
本土両端の北海道と沖縄は混血が遅れただけ。

アイヌ、本土、沖縄は、ともに自然崇拝の多神教。
北海道(蝦夷)に神社ができたのは12世紀。鎌倉時代。
奥州藤原氏が蝦夷地と交流していたらしい。
アイヌと本土との戦いは、15世紀の「コシャマインの戦い」から。
この頃、本土から北海道へ流入する者が増えて、アイヌと対立するようになった。
江戸時代は松前藩が統治していたが、搾取がひどく、大規模な反乱が起こった。
一時期は天領となり、統治方法が改善された。

北海道(蝦夷)のアイヌは、12世紀から19世紀にかけて、ゆるやかに同化して、本土と共生していく。
江戸時代には、アイヌの社会に、本土の物産(食器、針、刃物、米など)が流入し、本土との交易なしには生活が成り立たないところまで、同化と共生が進んでいた。
千島列島でも、漆器と箸で米の飯を食べる者がいたらしい(ロシア人の記録によれば)

明治以後はさらに開拓が進む。
しかし大規模な反乱は起こっていない。
また白瀬南極探検隊にもアイヌが参加している。
江戸時代よりも良好な統治で、同化がさらに進んだと思われる。

アイヌと本土の関係を、アイヌ民族と大和民族の対立として語るのは無理があると思う。
両者はお互いの利益を求めて共生の歴史を歩んだのだ。
それは本土の縄文人と弥生人が共生し、時間をかけて融合してきたのと同じだ。
隼人族や熊襲族、葛族のように、アイヌ族が大和部族連合に合流したとみるべきだ。
本土が一方的に北海道を侵略したわけではない。

白人によるアメリカやアフリカ、アジアへの一方的侵略と同じように語るのは間違いだ。
現在のアイヌ政策は、根本から考えなおす必要がある。

■アイヌ遺骨、出土地域団体に返還=博物館は多言語対応―政府
(時事通信社 - 03月23日 21:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=4492058
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