mixiユーザー(id:7269003)

2018年07月13日09:40

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7/11 烙印@コーミシェ

キャストは端役1人(ジュリアン・ピネッリ役のOenay KoeseがLucas Singerへ。って何の役なんだか…)を除いて1月と同じ。

「1プロダクション1回まで」の原則はシュレーカー上演には当然当てはまらない。次実演に巡り会うのが十何年後か分かったもんじゃないので。シュターツオパーがギーレン/蒸すバッハで遥かなる響きをやった時は当然3回行ったし、今回もこれで3回目。ピット、歌手、舞台、いずれもかの名公演に匹敵するレベルの上演だったこともあり。(いや、歌手は、シュヴァンネンウィルムスがブレーキだったリンデンよりこっちの方がはるかに上か。)

演出は、まあ何回も見るものではないというか、性的なるものを小児性愛に置き換えることによる衝撃力は1回きりのもの。だから下手に音響の悪い席(日本式3階中央)なんかじゃなくピット脇の席を…と思ったら、舞台向かって左側端の2階にヴァント→ティーレマンと続く某追っかけ系の方、3階には某滞在系の方。流石だ…(笑)
ピットは、半年ぶりの上演ということで最初はおっかなびっくりだったが、すぐに軌道に乗る。コーミシェオパー管は必ずしも上手ではないが、ただ破綻なく攻めていける安定感は(しかもこの省略無しのフル編成で!)特筆すべき。
歌手は、ホアレは熱唱・熱演、ストゥンダイトも第二幕の不思議ちゃんは若干不自然なるも第3幕の熱情欲情は見事に表現。しかしそれらすべてをかっさらってしまうナジの強烈なインモラル英雄っぷり。流石はコーミシェ専属出身、タマーレが自然に憑依している。バイロイトのヴォルフラムで初めて聞いた時すばらしさにびっくりしたが、今回のタマーレはさらに強烈。というか普通に今年ベスト歌手候補。

そして何よりショルテス。この人のことが好きなのは、透明性・フォルム重視系でありながら、決して冷たくも機械的にもならないこと。むしろその逆で、クレンペラー言うところの「インフレ音楽」を「引き算の美学」で霞雲を振り払いつつ、山場での陶酔感は明らかに危険な域(アンサンブルがではなく、精神的に)。まさにこれが、肯定され得ない背徳の誘惑。

終演後はナジとショルテスを囲む座談会があったのでちょっと参加。自称プロの作曲家だの何だのが紛れ込む聴衆による細かい質問にも立て板に水で答えるショルテス。流石はインテンダント経験者。アメリカのシェフは日本で言えば政治家みたいな業務なんだろうけど、こっちのシェフも官僚みたいですな。しかも勇退して他人の劇場でまで(笑)

その後は追っかけ系の方と深夜までケルシュを交わして語り合い。これじゃショルテスも追っかけざるを得ませんね、ということで一致。その方は翌朝には日本に帰るが、俺は翌々日のオッフェンバッハ青髭が次のショルテス機会。なら間に合わせなければ…と今日は午前様まで残業(笑)


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