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2017年09月21日04:36

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生死を懸けた戦い

2017年7月31日の月曜日、父が心臓の手術を受けて、死にかけました。

この日記を書く気になったのは、今は回復に向かっているからです。

・7月25日に入院
・7月28日に家族向けの手術の説明
・7月31日、手術
・8月1日から8月20日まで集中治療室
・8月21日一般病棟へ移動、今に至る。

大まかな流れは、確かこの様な状況だったと思います。

父の病気は弁膜症というもので、左心室に有る大動脈弁があまり動かず、
血液が送りにくくなる病気でした。
少しの運動でも動悸が激しくなり動けなくなる等の症状です。
他に動脈硬化なども有り、結構な重症でした。
前々からその症状は有って手術をすることは決まっていたのですが、
いよいよ危ない状態なので今回ついに受けることになりました。

手術の内容は、その弁を機械弁に取り換えることと、自身の足の動脈を使って
心臓周りの動脈のバイパスを3か所造る。
というものだったと思います。
「思います」
と、不確かな言い方をするのは、先生からの説明には専門用語も有り、
自分の理解では覚束無い面も有り間違っている可能性も有るからです。

手術は午前9時から日付が変わる頃まで掛かりました。
予定では午後7時前後と言われていたので、とても不安になったのを
覚えています。

手術前の見た目は元気で、自分の足で手術室に向かったのに、
戻ってきたら沢山の管が付いて眠りについたままの痛々しい姿で、現実を受け入れるのに
時間が掛かりました。
説明によると、手術中に「心筋梗塞」を起こし危ない状態だと言われました。

身内がこういう状態になると、覚悟は出来ていた筈なのに想像以上に
精神的に来るものが有りますね・・・

8月1日は仕事を休み、8月2日からは仕事を早く締めて
焦燥に駆られながら毎日病院へ行ってました。
集中治療室での面会時間は10分間、行っても行っても目が開かず、
励ましの声を一つ掛けては帰る毎日でした。

11日から盆休みに入り、それからも病院に通っていました。
16日が休みの最終日、目を覚ましました。
最初の言葉が母に
「どこの良い女が来たのかと思った」
です。

・・・阿呆め、最初に放つのがそれか(笑)
貴方は死にかけたんだぞ。チョコレート食べたいとか言い出すし(笑)

減らず口を叩き出した父は、付いている管が一つ消えまた一つ消えと、
回復が見て分かる様になりました。

9月20日現在では、リハビリが進み、術前より握力が落ち、食欲は落ちたものの、
便所も自分の足でスタスタと行けるようになりました。

やっと安心感が出てきました。
仕事関係の方、お客様、大変ご迷惑を掛けました。

当たり前に居る人が、居なくなるかもしれないというのは
こんなにも心が揺さぶられて、怖いものなんですね。

生きていれば何れは死を迎える。
分かっていても恐怖に打ち勝つのは難しい。

この経験は自分の死生観に明らかに何かを残した事でしょう。

とりあえず快気祝いは期待して良いぞ、お父さん。
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