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2015年07月10日17:05

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「無政府主義」と「アナキズム」

 私が22歳の時に田畑書店から出した『歴史からの黙示』は、一時期、古書で3万円という高値になっていたが、その前に完全な私家版の小冊子として出した『無政府主義』は3万9千円という話を聞いたが、これだろう。https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?transactionid=b14a3a23d5726e6de051a8f132186d6fb5b75ebc&mode=&pageno=&search_pageno=&product_id=41078&reset_baseinfo_id=&baseinfo_id=&product_class_id=&quantity=1&search_facet_publisher=&search_word=%E5%8D%83%E5%9D%82%E6%81%AD%E4%BA%8C&search_name=&search_name_matchtype=like&search_author=&search_author_matchtype=like&search_publisher=&search_publisher_matchtype=like&search_isbn=&search_published_year_min=&search_published_year_max=&search_comment4=&search_comment4_matchtype=like&search_book_flg=&search_price_min=&search_price_max=&search_only_has_stock=1&search_orderby=score&search_sorttype=asc&search_page_max=20&search_image_disp=&search_orderby_navi=score&search_sorttype_navi=asc&search_page_max_navi=20&search_image_disp_navi=&transactionid=b14a3a23d5726e6de051a8f132186d6fb5b75ebc
 今は、ビラやチラシ、小冊子、機関誌等、1968年闘争期の文書資料もなかなか入手し難いと聞くが、私の『無政府主義』は、1968年闘争期のアナキズムの状況と総括を内容としており、もともとの部数も少なかったが、入手困難な資料の一つなのかもしれない。
 ただ、よく分からないのは、発行者の加藤和男で、発行が黒党社というのはいいのだが、その場所がタナトス社内というのがよく分からない。タナトス社は、この頃、杉並区松庵にあり、元は製造中の爆弾の誤爆事件を起こした背叛社から分岐したアナキスト組織で、私はそこの食客にはなり、彼らの機関紙に一文を書いたことはあったが、発行所にした記憶はないのだが、遠い昔のことだから記憶が曖昧になっているのかもしれない。ただ、私はバクーニン主義の武装蜂起派であり、タナトス社はクロポトキン主義のテロリズム派だったことから、半年ほどで決別することになった。
 タナトス社の母体だった背叛社は、和田俊一をリーダーとしたアナキスト組織で、後に赤軍派に爆弾を提供したという牧田吉明も属していたが、1966年に田無の日特金の工場に突入したアナキストのべ反委・黒層社の流れを組んでいる。ただ、個人的にリーダーの和田には国粋主義的感覚があったのか、彼が書いた『無政府一直線』には、国粋的語彙が充満していた。例えば、背叛社の活動も「菊水二号作戦」というような案配だ。それゆえか、右翼の昭和維新革命派のJASCO(日本学生会議)に、背叛社から流れてきた武闘派がいた。
 1969年当時の日本のアナキストは、大阪・関西のアナキスト革命連合(ARF)が武装蜂起派とすれば、東京の背叛社・タナトス社はテロ系、日本アナ連の流れを組む麦社は文化ヘゲモニー主義者で、アナキスト版のグラムシ派だった。
 先日、テレビで再現ドラマが放送された東アジア反日武装戦線は、アナキスト系といわれ、番組では東京行動戦線という組織名が出ていたが、反日武装戦線のリーダー格で自殺した斎藤和が、べ反委・黒層社にいたことからアナキスト系とされたのだろう。
 自分が、20歳の時の1970年に、世田谷の国士舘と松蔭神社近くの若林のアパートで書いた小冊子『無政府主義』(黒党)から連鎖的に色んなことが思い出されてきたが、この小冊子は百頁ほどで、当時の、現場のアナキストの活動理論について、かなり触れていたと思う。
 また、当時の私は、アナキズムという欧語的形容よりも、無政府主義という表記を好み、アナキスト革命連合(ARF)の東京支部の機関誌も『無政府主義』であり、『情況』に書き、『歴史からの黙示』にも収録したアナキズム論も、やはり無政府主義革命と記していた。アナキストは極左だが、マルクス主義とは激しく敵対しており、共産主義の「共産」に対抗出来る表意文字的な表現は「無政府」という語の持つ意味の広がりだろうと思ったのだった。ただ、面白いのは、当時、アナキズムを横文字にする時、Anarchismと英語にせずに、Anarchismusとドイツ語にしていたことだ。小冊子『無政府主義』(黒党)もそうであり、当時の私の反アングロ・サクソン性の一つの現れだったかもしれない。

※トップの画像は、背叛社が誤爆事件を起こした時の、アジトの家宅捜査の写真からのものと、私が22歳の時に書いた無政府主義論が掲載された『情況』のアナキズム特集号。
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