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2018年08月17日01:02

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あんまり「言うべき」とか使いたくはないけど

 こういう時でないとピンボケになっちゃう気がすることがあって。

 つまり「日本人の戦争観って70年前で止まってるよね?」ってことなんですけど。

■終戦の日、閣僚の靖国参拝なし 稲田氏や進次郎氏ら参拝
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5246233

 そりゃね、専門家とやらの議論としては「ミサイルで遠距離から撃ってくるんだから防衛つっても基地攻撃ぐらいせにゃならんのではない?」って話も出ますけど、一般の認識としてはそういう話よりは中東で難民が出たりする話のほうにリアリティ感じるものですよね?

 別にそれが悪いって言うわけじゃないんだけど、結局のところ、ミサイル防衛とかサイバー攻撃みたいな「現代の戦争」が浸透するのを一番阻害してるのがこの8月15日って日で、ようは、この日が来るたび日本人の戦争観ってリセットされて70年前に戻ってるんじゃないの、っていう。当時なかったものを忘れてしまうような作用がこの日に働いてるような気がしてならんですよ。

 70年前だってそうだったと思うんだけど、現代はなおさら「大量に人が死ぬような戦争はまずその前段階として経済的な前兆があるはずだ」ってテーゼがあって、つまり健全な経済さえ維持されていればそうそう全面戦争なんか起きないはずなのだけど、そこすっ飛ばして「戦争が起きればみんな死ぬ」ってとこだけ語っても戦争防ぐ役に立つのか疑問なんですよね。

 逆に限定的な領土紛争なんかは起きる可能性がより高いんですけど、じゃあどこからが戦争になんのか、某国がやってるみたいに領海侵入繰り返すのは違うだろう、じゃあ基地勝手に作るのはどうなの、でもやっぱ人が死んだら、というか最近は人が死んでも戦争扱いしない事例だってありますよね。

 日本ではなじみの薄い宗教による戦争だって、人が死んでもテロ扱いのことのほうが多いわけで、でも逆に「テロとの戦争」つってじゃあ宗教系テロリストに報復したら、それで戦争したことになっちゃうのかよ、みたいなね。終戦の日にわざわざそんな細かいこと考えませんよね。

 もちろん、8月15日に70年前の死者を悼んで当時をしのぶのは当然のことだろうし「戦争は悪」って定義しなおすことに意味はあると思うんだけど、じゃあそれ以外の日はどうなんだ、例えば憲法9条の話をする上で、戦争の定義自体がガバガバなのってどうなんだろな、それって平和の定義もガバガバ(※)ってことじゃねぇのかな、8月15日以外の日までそんなことでいいのかいな、なんてちょっと思ったので書いてみました。

※ そこに「絶対」ってつけてもやっぱ概念としてはガバガバなままだよな、って話。
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