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2017年12月18日05:51

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オオカミ政治家と炭坑のカナリア。

■ミサイル防衛構想、対象拡大を検討 巡航ミサイルも迎撃
(朝日新聞デジタル - 12月17日 05:18)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4907292
オオカミ少年ならぬオオカミ政治家たちは、戦争になるぞ!北朝鮮のミサイルが飛んでくるぞ!国難だぞ!話し合いなんかで国が守れるか?と危機を煽る。平和なんて絵に描いた餅、巡航ミサイルの鎧で日本を守ろう!と軍備増強を訴える。なかにはBK正直な、似合わないハットばかり被って、やたらとヒトラーを引用する、政治家一族の老政治家は、北朝鮮のおかげで選挙に勝ったと思わず発言しても、どこが悪いのだ?と開き直っているばかり。

そして安倍政権のメディア戦略は、AKBや松本人志まで及ぶ。サシハラはともかく(あまり)利口ではない若者たちに絶大な人気を誇るマツモトがさっさと権力に媚びて、もはや宮廷道化師となりはてているのに、メディアはかれの反民主主義、汎性悪説を殊更重宝する。
批評の言説は根拠のないフェイクの伝道の道具となり、ネット空間は愚者の船となって、リアルな泥舟をも批判できないどころか礼賛ばかり。勝ち負けと気分と異論の否定と差別の煽りが特徴のマイルドヤンキー気質は、この国の首相ばかりか、エンタメ界にも、文化人にも拡散している。

今年のノーベル文学賞受賞のカズオ・イシグロのスピーチは、日本だけではなく世界全体がマイルドからハードなヤンキーへと悪化している反民主主義への現状への警鐘だが、テレビ的な、ネット的な批評は、あのマツモトすら反応できない。そのカズオ・イシグロのノーベル文学賞の先輩に当たるアメリカ人作家のカート・ボネガット(村上春樹はこの作家のパクリから文学的出発をしたのだ)の言葉、作家とは炭坑のカナリア、つまり時代の危機に誰よりも早く気づき、鳴きだすこと、それが文学の役割であり、文化や芸術の責任なのだ。

ところが権力はいまやオオカミとなってそのカナリアたちに襲いかかっている。作家のふりをして、文化人のふりをして、ジャーナリストのふりをして、カナリアのコスプレをして毒を撒いている人たちがいるし、それは有名人ばかりではなく無名人もまたその愚行に喜んで参加しているわけだ。

この巡航ミサイル配備が、いまの憲法と矛盾することぐらい小学生にもわかる。専守防衛という自衛隊の存在意義がなし崩しにされようとしている。コスパが悪過ぎるというのが多くの軍事評論家の見方だろう。それでも平和や憲法や沖縄や原発事故を蔑ろにしてきたように、国防という美名でミサイルコスプレをやらかすつもりなのか?




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