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2013年06月10日13:12

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秋葉原殺人鬼を製造したの『母親@異常』

■秋葉原惨劇5年…核心分からず、事件風化の不安
(読売新聞 - 06月08日 19:09)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=20&from=diary&id=2459639

 秋葉原殺人鬼を生み出したのは、社会環境ではない。殺人鬼・加藤智大の母親が異常の人物であり、常軌を逸した子育てが「殺人鬼・加藤智大」を製造したのだ。
  →子である智大に、母親の異常性が遺伝していて、異常な子育てとの相乗効果が
    あったのではという説もある。


 事件後、暫くの間、週刊誌等が母親の異常性についてレポートしたが、なぜか、途中で、社会環境に問題という方向にシフトしていった。
 本当は、もっと母親の製造者責任を追求すべきなのだが。
  →世の凶悪犯罪は、生育環境にルーツを保つ場合が少なくない。
   しかしながら、人権論者やマスコミは、「社会の劣悪環境」が原因との説を
   主張したがる。それが故に、真の原因が追求されることなくおわってしまう。
     →社会環境に原因があるのなら、事件は多発するはずだ。しかし、そうならないのは、
      事件の原因は、犯人そのものにあり、犯人の資質と生育環境によるものが大きい。

概要:
・宿題の作文は一字でも間違えたり汚い文字があると、部分的修正でなくて
 原稿用紙丸々書き直し。
・子供が欲しいものは申請させて全部チェック〜の買ったら感想文。
 モチロン誤字脱字があれば上記のように執拗に修正させた。
   ※最終的に子は『物を欲しがらない良い子に』なった。
・テレビは基本見せない。ドラえもんとまんが日本昔話だけ許可。
   ※加藤は周りの友達がエヴァとかみてるだろう時に高2までこの方針。
・賢い子にするため、漢字の熟語の問題だして十秒カウントダウン。
 十秒以内に答えられないとビンタ。
 痛くて泣くと次の設問で泣きながら正解だしても泣き声うるせーのでビンタ。
・ゲームは土曜日に1時間。
・漫画&雑誌は論外。
・友達を家に呼ばせない
・彼女厳禁
 ※加藤は中学の時の賢さと運動神経のピークで彼女できそうだったので、
   ママが別れさせた。
 彼女の家に乗り込んで「お前勉強の邪魔」つったお。
・ママが機嫌悪いときは晩御飯を床にぶちまけて子に食わせる。
 新聞紙を床の上にひくのはママの愛だった。
 ※パパは助けない、弟は横目でみてる。
・極寒の青森で下着姿のまま子を家の外に閉め出す。
 近所の人が「もう勘弁したって〜」て来るけど、子を思えばこそなので
 聞き入れちゃだめなのだ。

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---より詳しく
【秋葉原通り魔事件】

■家庭という「完全統制区域」

では、どのような日常だったのか。

『子供のころしかられた加藤容疑者が、玄関前に閉め出され、泣き叫ぶ声を聞いた住民も少なくない。真冬の極寒の中、薄着で外にいる姿も目撃されている。「しつけか、虐待か分からなかった」(ある住民)』【6月10日 スポーツ報知】

以下は週刊現代による弟さんの証言である。

『母は常に完璧なものを求めてきました』

―作文は一文字でも間違えたり、汚い字があると、そこを修正するのではなく、それをゴミ箱に捨てて最初から書き直しだという。一つの作文に1週間…。日勤教育の現場を思い出した。
このやり方は、抵抗が無意味であることを思い知らせ、相手を自分の思い通りの手足にしようとするときに用いられるやり方だ。その最たるものが人を人を殺すことのできるマシンに作り変えていく軍事教練であろう。



『自由にモノを買うこともできませんでした』

―本を買うにも何を買うかのチェックが入り、買ったら感想文を書かなければならなかった。その他のものも許可を得る必要があったので、弟は『モノを欲しがるということ自体しなく』なったそうだ。
何かをする度にチェックが入るということは、「自分の判断で行動するな」→「私の命令以外で行動するな」という禁止令である。気持ちのままに行動できなくなり、“気持ち”と“行動”が乖離していくため、自分の背骨ができない。そして、“行動”は親の指示に従うようになり、操り人形となっていく。
私がかつて強烈なパワハラに遭った時に身動きできなくなっていった状況にも似ています。
・パワハラ管理職の実態―こうして部下は潰される
・ダブルバインドによる「操り人形症候群」



『テレビは1階に1台ありましたが、見るのは禁止でした』

―「ドラえもん」と「まんが日本昔ばなし」以外は、加藤智大容疑者は高2になるまで見たことがなかった。 高2まで続くとは、驚くべき情報管制である。支配者は、自分以外の価値観に触れさせないように情報をコントロールするが、家庭内がまるで戦時下のように徹底した管理がなされていたことがわかる。



『ゲームは土曜日に1時間だけというのがルールでした』

―ゲームは時間で終われるものではない。これでは、走っている途中にいきなり柵を置かれて前につんのめったような感じになって、ドライブがかかりっぱなしのイライラした状況に置かれることになる。
また、自分なりにけりをつけなければ達成感を得られないので、永遠に不全感の中に置かれることになり、いつまでたっても“次”に進むことができない。
加えて、圧倒的な権力に対して何もできない自分の無力感。
このように、イライラした衝動、自己不全感、無力感を味あわされることになる。



『漫画や雑誌なども読んだことがありませんでした』

―テレビと同じく外部からの情報遮断である。また、漫画や雑誌は、テレビ以上に自分の世界を作りやすい。この母親は、子どもたちが自分の優秀な手足となることを望んでいるのであって、子どもたちが自律することを望んではいない。“手足”が、自分の思いや意志や価値観を持っては困るのである。



『友達を家に呼ぶことも友達に家に行くことも禁止されていました』

―このおかげで、弟は『こうしたルールの多くがどこの家庭でも行われているものと思いこんでいました』。友人は多様な価値観を知る第一歩であるため、支配者は排除しようとする。ここには、「人とつながるな」というはっきりした禁止令が現れている。
彼が衝撃と共に自分の家庭や中学が異常だったことを知るのは、高校に入ってからである。



『母は男女の関係に関しては過剰なまでの反応を見せました』
『異性という存在は、徹底的に排除されていました』

―『異性という存在』は、自我の発達に最もインパクトを与える。だから、子を手足にしようと思っている親にとっては、もっとも排除すべき存在である。この母親は、兄に来た女の子からの年賀状を『見せしめのように冷蔵庫に貼られ』、弟は、来たハガキを『バンッとテーブルにたたきつけて、「男女交際は一切許さないからね」』と言われている。
(子どもを自律させたくない家庭では、形を変えてこのようなことが行われています)



そして、極めつけは次の場面だ。加藤智大容疑者が中1の時である。

『食事の途中で母が突然アレに激高し、廊下に新聞を敷き始め、、その上にご飯や味噌汁などのその日の食事を全部ばらまいて、「そこで食べなさい!」と言い放ったんです。アレは泣きながら新聞紙の上に積まれた食事を食べていました』

父も黙っているばかりで助け船も出さず、弟も横目で見ながら食べ続けている。この状況から、父親も母親の軍門に下っていたことがわかる。
男子にとって父親は生き方モデルであると同時に、子どもにとって父親は社会人代表(社会人モデル)でもある。ここで子どもたちは、権力に対して何もできない生き方モデルと、人権を蹂躙されても救ってくれない社会のあり方を見ることになった。

■怒れる絶対君主

『母が食事を告げると3人が部屋から降りてきて無言で食卓を囲み、また各々の部屋に帰る。そんな毎日です』

―食卓の風景はその家族を現すというが、血の通わない光景である。1階に住む母親が、2階の個室に別々に暮らす夫と子どもに『食事を告げる』。まさに、囚人を呼ぶ看守のごとくだ。夫婦連合もできていなければ、父子の間に世代間境界もないことが分かる。

このように、二人の大人がいるのに、その関係が対等ではなく、片方が完全に従属している場合、子どもたちは従わざるを得なくなる。ことに、男の子にとって父親は自分たちのモデルだ。そのモデルが黙って従っているのだから、自分たちも黙って従わざるを得ないのである。こうして、母親の権力は絶大なものになっていく。

母親が絶対権力を持っていたことを示すのが、前項の、加藤容疑者がまるで犬畜生のように扱われた事件である。彼は絶対権力者の前で、兄弟にも、父親(世間代表)にも救われることなく、泣きながら惨めに食べ続けざるを得なかった…。
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---リンク元記事:読売新聞 - 2013年06月08日
◯秋葉原惨劇5年…核心分からず、事件風化の不安

 7人が死亡、10人が負傷した東京・秋葉原の無差別殺傷事件は8日、発生から丸5年となった。

 一時期中止されていた歩行者天国は2011年に本格再開され、街はにぎわいを取り戻した。あの惨劇を思い起こさせるのは、事件現場にそっと置かれた献花だけだ。「事件をこのまま風化させていいのか」。被害者と犠牲者の遺族が、もどかしい胸の内を明かした。

 「ここに立つと、血だらけで何人も倒れているあの日の光景が目に浮かびます」。8日午前7時20分。事件で重傷を負った都内のタクシー運転手、湯浅洋さん(59)は犯行現場の交差点で献花し、手を合わせた。被害者を介抱中に加藤智大(ともひろ)被告(30)(1、2審で死刑判決、上告中)から刺された脇腹は、今も痛む。

 被告が凶行に及んだ理由を知りたくて、2010年1月から始まった裁判の傍聴を続けたが、核心部分は聞けなかった。同じ頃、被告と同世代の若者が集まるグループと事件について語る会合を開き、事件が起きた背景を探り合った。しかし、答えが見つからないまま、メンバーの転居や就職で自然消滅した。

 昨年、たった2回で結審した控訴審に加藤被告は出廷しなかった。同7月の結審後、「(報道や裁判で示された)誤った動機の先入観を消し去ることができれば、事件は理解できる」などとする手記を出版した。

 「君が殺した人たちの身になって、謝罪を込めた手記にしなければいけなかったのではないか」。湯浅さんは、怒りを込めて東京拘置所内の被告に手紙を書いたが、返信はなかった。

 気持ちの整理がつかないまま迎えた8日朝。現場で改めて犠牲者の無念を思い、加藤被告にもう一度手紙を出すと決めた。「返信はなくても、彼が改めて事件を考え直すきっかけになれば」。そう語った。

          ◇

 大学生の一人息子(当時19歳)を失った千葉県内の男性(58)は最近、息子の幼かった頃の姿を思い出す。「守れなくてごめんな」。毎朝、遺影に向かってつぶやく言葉は、変わっていない。

 ただ、焼香のため自宅を訪れる息子の同級生らの姿に時間の経過を感じる。社会人としてたくましさを増す同級生らに、「事件がなければ、息子も立派に働いていたのに」とも思う。

 どうして息子が犠牲になったのか。裁判を全て傍聴し、加藤被告から届いた2通の手紙を何度も読み返したが、ふに落ちないままだ。

 「事件への社会の関心が薄れていくのが不安だ。被告のような人物がなぜ現れたのか、多くの人に考え続けてほしい」。今も、そう強く願っている。
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