■ゲイ弁護士カップルのふつうの暮らしがあぶり出す「日本社会の問題点」
(AERA dot. - 09月23日 16:02)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=5301693
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個々人の性癖は個々人のモノであるので他人がとやかくいうものではない。お願いをするのはよいが意見を強制するのはある種の「侵略」であろう。
LGBTだったりタトゥーを入れたり、喫煙をしたりというのはそれぞれの領域にある間はとやかくいうものではない。同様に、そうではない人々がそういう人々をどう思うかはまた自由であるべきだ。
特に日本は民主主義であり、一部例外はあるにしても多数派の意見は少数派よりも尊重されるのが「国の基本原則」だ。
「社会が成熟し資源に余裕が出るようになった時に少数派に一定の配慮をするという努力目標」なのだと思う。
たとえば男性用と女性用のトイレ、そしてユニバーサルトイレまではよいとしてLGBTの方々にまでトイレやお風呂、更衣室を個別に作るだけの社会的余裕は果たしてあるのか?不可能ではないものの私はきわめて難しいと思う。その分、より多数派の男性や女性のトイレや更衣室のスペースがどれだけ削られるのか?ということだ。
タトゥーも入れるのは勝手だが、「そういう目で見られること」を覚悟して入れるべきであって「そういう目で見るのは偏見だ!」とまでいうとそれこそ偏見であり「他人の意見への侵略行為」にほかならないということだ。
煙草も煙の行先への気遣いがなければ「煙が他人のきれいな空気を侵略する」ことになる。
「やるのは個々の勝手で他人が止めるように強要するのは差別。半面、やってる側が『嫌がるな、嫌うな!』と押し付けてくるのも差別にほかならない」
「社会的成熟度によるし、社会的資源は有限である。多数派の権利をどれだけ削って少数派への配慮を見せるのか?」というのは常に考える必要がある」
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