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2018年05月07日12:42

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肉を食う人間に、批判をする資格はない。

肉を食っている時点で、この犯人と五十歩百歩である。
本質的に、やっていることに差はない。
自分の快楽のために動物を殺しているという点で、
牛豚の肉を食う人間と、猫を殺す人間とは同じである。

食べるから殺しが許されるというのは殺す側(食べる側)の身勝手な自己弁護の屁理屈である。
殺される側から見れば、死体をどうされようが関係ない。命を奪われることが問題なのだから。
それでも、食べるために殺すことは別だと言い張るなら、
牛や豚から「食べるためならボクを殺してもいいよ」とでも言われたとでもいうのか。
大事なことなので、もう一度言うが、殺したあとで食うかどうかに関係なく、殺す時点で悪なのだ。

肉を食べる人間は、自分もこの猫殺しの犯人と同じように快楽のために動物を殺しているという自覚を持ってほしい。
肉を食うのは美食という快楽なのだから。快楽のために殺しているのだ。
肉を食う人間には、どれだけ自分が残虐なことをしているか、知る義務がある。
自分の罪を自覚せずに、猫を殺す人間を責めるとは笑止千万。
お前も同じく動物を殺しているくせに、と言ってやりたい。

私が何を言いたいかと言うと、ベジタリアンになれと言わないまでも、
全ての哺乳類を殺すことをやめましょう、ということ。
だって、生きたい生きたいと願う牛や豚を無慈悲に殺すことは私には耐えられないから。
自分がその殺戮に加担しないだけでなく、苦しみながら殺される牛や豚がおなじこの地球上にいると思うと胸が痛むから。
そう、このニュースで猫の惨殺に胸を痛めているあなたと全く同じ気持ちを私は牛や豚に対しても持っているのだ。

動物に対する愛情を持つ人が一人でも、この私の日記で肉食の罪深さに気づいてくれればと願う。
牛や豚の血で汚れた口で「猫がかわいそう」などという身勝手は許されない。
殺される猫や犬に対して憐れに思い、胸を痛める優しさがあるなら
どうか、同じ優しさを全ての生き物に対してとまでは言わないが、
せめて同じ高度な知能と感情を持つ哺乳動物である牛や豚に対しても向けてあげて欲しい。

そんなに難しいことは要求していない。
積極的に哺乳動物の肉を食べることをやめるだけで良いのだから。
あなたの動物に対する哀れみと愛情と、肉を食いたいという野獣のような欲望と、
どちらが勝つか。
それはあなたの意思で自由自在に決められる。


■子猫の切断死体?相次ぎ発見 千葉・船橋
(朝日新聞デジタル - 05月06日 19:51)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5099537
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