この人はこの年齢にしてようやく、
「動物を育てておいて、畜殺する。それにゾッとしたんだ。」
「肉がどういう経緯で食卓の上に上るのか。そんなことはよく考えたこともなかった。でも“これは正しいことではない”と思ったのさ。」
この単純にして、厳然たる事実に気づいたわけですが、
それを実行にうつしたことは立派だと思います。
よっぽどの馬鹿でないかぎりは、この単純な事実に気づかざるをえないはずですが、
それでも、多くの人が気づかずに肉を食べ続けていることが不思議でなりません。
あなたが食べている肉の、「生きている時の姿」を想像することはそんなに難しいでしょうか?
なにも、難しいことを言ってるわけではありません。
「人間の楽しみのために他の動物の命を奪うことは避けるべきである」
これだけの単純なことです。
それが大原則です。
では、食べるためなら動物を殺しても許されるのか?答えは否です。
人間は、肉以外にも多彩な食料を入手できるので、
動物を殺して食べなくても立派に健康に命をつなぐことが出来ます。
肉を食べることも、美食という「楽しみ」でしかないのです。
これに対して、植物も命があるから食べるなという詭弁を吐く人間が居ますが、
植物も食べないとなると人間は生存できません。
生存のための必要性として植物を食料にする必要があります。
肉は必要ありません。肉なしでも行きていけるのですから。
(もちろん、肉以外に食料がない非文明化部族などは例外です。
彼らは生存のために狩りをする必要があります。)
肉食者が動物虐待を非難することは、
牛豚を大量に殺して食うくせにイルカ・クジラ漁を批判する欧米人と同じで、大きな矛盾です。
動物愛護を語るなら、菜食に行き着くはずです。
「ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック」ジョナサン・ナイト(47)肉食をやめ激ヤセ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=103&from=diary&id=4116534
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