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mixiユーザー(id:6842452)

2015年06月02日23:22

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肉を食う人間にこの犯人を非難する資格なし!

まず、決定的事実を言う。
肉を食う人間は、この犬殺しの男を非難する資格はまったく無い。
なぜなら、自分も同じ殺戮を牛や豚に対してしているからである。
食べるためだから許される?笑わせる。それは牛や豚が許すと言ったのか?
食べるためなら許されるというのは、食う側の自分勝手なクソみたいな屁理屈である。

動物虐待のニュースに対して激しい怒りを示している人間のうち、
肉を食べる人間は、 自分が全く同じ動物虐待をしていることに気づいていないだろうか?
犬猫を可愛がりながら、平気で牛や豚を虐殺する、そのことに矛盾は感じないのだろうか?

決定的な事実をまず、書いておく。
「殺される動物にとっては、その理由が遊びであろうが、食われるためであろうが、死の恐怖と苦痛は同じである。
食べるためだからと言って許される理由などどこにも無い。
それは食べる側にとってだけ通用する都合の良い身勝手な言い訳に過ぎない。
殺される側にとっては殺される理由など全く関係ないのだ。

多くの日本人が、犬猫を「キャー!かわいい〜!」などと言い、
動物虐待や殺処分に怒る一方で、 平気で「焼肉が大好きです。」などと言い放つ。
そういう人間の無神経さが私にはまったく理解できない。

犬猫と同じように牛や豚も息をしている。
喜びも悲しみという高度な感情を持つ、人間と同じ哺乳動物なのだ。

肉を食う人間の動物愛も殺処分反対もニセモノである。
断じて動物を愛しているのではない。
単に犬猫を可愛がる自分が好きなだけなのだ。動物愛ではなく、自己愛である。

牛や豚の肉を食っている人間は、犬猫を虐待する犯人と同じ、いや、それよりも悪質である。
肉食は自分勝手な理由で、「動物の意思を無視して一方的に命を奪う」という意味において、
猫の首を縛って車で引きずって殺すことと、本質的に何ら変わらない。
食べるから許されるなどということはない。そんなものは食べる側の勝手な言い訳である。

犬猫に対する虐待や殺処分には「可哀相」などと偽善的な同情と怒りを示すくせに、
その一方で、平気で「焼肉が大好物です。」と言ってはばからない人間はけっこう多い。
ほとんどの人は、動物虐待のニュースを聞けば、
心が痛むし、腹を立てるだろう。
ところが、自分が日常的に行っている牛豚に対する間接的虐殺に対しては、まったくの無自覚・無関心である。

肉を食べるということは、即、とんでもない動物虐待をしているということだ。
だって、虐殺しているのだから。
でも、多くの人がそのことに罪の意識を持たないのは、
それは食肉業者が、人が肉を食べなくなると困るから、わざと屠殺の過程をブラックボックス化して一般消費者に見せないためである。
でも、自分が見ていないだけで、現実に犬猫と同じ哺乳動物である牛豚が大量に虐殺されているのである。
その真犯人は肉を食べている人間なのだ。

牛や豚を食う人間には犬猫等の動物虐待を非難する資格はないことに気づいてほしい。
牛豚の虐殺の様子はブラックボックス化して、食肉業者がわざと一般消費者に見せないように・見えないように
意図的に完璧に隠蔽しているが、牛豚などの屠殺現場はそれはひどい地獄絵図である。
安楽死などとはほど遠く、コストを安く、そして薬物なども使えないし、鮮度も高くしなければならないから、
牛や豚は意識を持ったまま泣き叫び、殺されてゆく。
さながら、地獄絵図である。
ちなみに、牛や豚などは犬や猫よりも高い知能を持つとさえ言われる。
それほど賢く、複雑な感情を持つ生き物なのだ。
なお、屠殺をブラックボックス化して徹底的に隠蔽するのは、それを一般人に見せてしまったら
トラウマになって肉を食べられなくしまうからである。
逆に言えば、それほどひどい殺し方をしているのだ。
虐待虐待とさわぐなら、まず、自分たちが食べている牛馬の虐待に眼を向けるべきである。

そして人間は、動物の肉を食べなくても、たんぱく質やミネラル、ビタミンはその他の食べ物から
摂取することが出来るので、「生きるために殺さなければならない」ことはない。
肉を食べる必要は無いのだから。

そしてもう一点大切なのは、殺される動物にとっては、食べるために殺す、あるいは快楽やゲームのために殺すという、殺される理由は全く関係ないということ。
食べるためなら許されるというのは、「人間の側だけの勝手な理屈」であり、
殺される動物にとってはどんな理由でころされようが、虐殺されることには変わりないのである。
たとえば、あなたが誰かに殺されるとして、快楽殺人なら許さないが、
殺した後に食べるためなら許すとでも言うのだろうか?
それと同じである。
「食べるために殺すことは別」などという自分勝手な言い訳は通用しないのだ。

それに、食べるために殺すなら、動物を殺すことが許されるという主張に沿えば、
韓国や中国が犬を食うことを日本人や西洋人は野蛮だ、可哀相などと非難していることも、
おかしいではないか。食べるために殺されるなら犬や猫を殺して食うことも許されるはずではないか。
結局は、「食べるために殺すなら許される」というのは、
人間が自分の都合の良いように考えた言い訳でしかないのだ。
ほんとうのところは、牛や豚の肉が美味しいから、食べたいだけなのだ。

真実は常にひとつ。
殺すことは、常に絶対的な悪である。
ただそれだけなのだ。

犬猫の殺処分を可哀相だと思う心があるなら、
自分も牛豚などの肉を食うことをやめること。
生き物、特に哺乳類を殺すことは、いかなる理由や言い訳をもってしても許されない。

食べることと殺処分は違うって?


いや、同じだ!。
殺される動物にとっては。

殺される側にとってはその理由など関係ない。
命があり、発達した大脳があり、高度な感情がある生き物ならば、
殺されることは恐怖であり、どんな理由があっても受け入れられない。
哺乳類を殺すな。食うな。
牛や豚も、我々や犬猫と同じ生き物なのだ。
人間や犬猫と同じように息をしていて、
人間や犬猫と同じように高度な脳を持ち、
人間や犬猫と同じように心を持ち、
人間や犬猫と同じように、死を恐れる。

我々人間は、自然の食物連鎖から逃れられない肉食動物とは違って、
高度な文明を持ち、肉を食べなくても植物だけでも十分に生きていけるし、
完全なベジタリアンは無理という人でも、高度な知能を持つ哺乳類を食べるよりは
魚や鳥だけで十分に豊かな食生活ができるはずである。
なお、魚や鳥も、出来れば食べない方が望ましいが、いきなりハードルをあげすぎても
実行が困難になるので、今、牛豚を平気で食べている人は、そのへんから徐々に
非肉食に移行していけばやりやすいだろうと思う。

とにかく、牛豚の肉を食べることは、殺すこととだと自覚すべきである。
目をそらしてはいけない。
肉を食うことは、「自分勝手な理由で、動物の意思を無視して一方的に命を奪う」という意味において、
犬や猫を殺処分することと本質的に何ら変わらない。 いや、それよりも悪質とさえ言える。
肉を食う人間は、自分が犬猫殺しの犯人と同じ罪を背負っていることを自覚すべきである。

ゴミ収集車に犬投げ込む残虐男、偶然撮影の写真拡散で世界から非難。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=84&from=diary&id=3446843
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コメント

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月03日 11:44
    > mixiユーザー 

    それは人間の都合のいい、一方的な見方。
    良く、犯罪では被害者の視点に立って考えなさいと言われますが、
    この問題も、殺される動物の視点に立てば、虐待も屠殺も変わらないことが、
    あなたにも分かるでしょう。
    肉を食う人間は、少なくとも、自分が残酷な殺戮をしているという自覚と罪の意識を持つべきです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月03日 11:53
    > mixiユーザー 苦痛を与えられて死ぬのと、殺されるかどうかも分からないまま一瞬で死ぬのとじゃ大きな違いです。
    仮に私が死ぬのであれば後者がいいですね。

    まぁ、食う側が命を殺して食べているというのはちゃんと意識した方がいいとは思います。
    近頃じゃ「いただきます」も言えないような大人もいるようですからね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月03日 12:04
    > mixiユーザー 

    >殺されるかどうかも分からないまま一瞬で死ぬのとじゃ大きな違いです

    全くの間違い、考え違い、間違った思い込みです。
    おそろしく認識不足ですね。
    あなたが口にている牛豚は苦しみながら虐殺されています。
    あなたの夢想とは程遠いのが屠殺の現実です。
    現実を知って下さい。
    私は、あなたのような無知な肉食者に虐待と同等以上の怒りを覚えます。
    虐待する人間は、少なくとも自分の罪を認識していますが、
    あなたは自分が虐殺しているという意識すら持っていません。
    人間として恥ずべきことです。恥を知りなさい。

    http://saisyoku.com/pics_killed.htm
    http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1311763053
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月03日 12:07
    私が怒りを覚えるのは「こだーい 」という人のように、
    肉を食うくせに、その肉が苦痛に泣き叫びながら虐殺されているということすら知らないことです。
    そういう虐殺の真犯人は屠殺業者ではなく、食っている「こだーい 」という人のような肉食者たちです。
    罪の意識すらなく、どうやって殺されているかも知らず食って、虐殺を続けている。
    本当にひどい話です。
    知らずに肉を食うとは、本当に無責任で残酷なことです。
    自分が口にするものです。知る義務があるはずです。
    人間ならば。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月03日 12:25
    > mixiユーザー 勘違いしているようだが、うちは畜産もやってたし、小さいころ親の知り合いのと殺場見学にも行ったことはあるし、命を食べていることは分かってるつもり。
    当時は子供だったのでトラウマにもなったが、今じゃ普通に肉も食ってる。
    結局は命を食べないと人は生きていけないし、ベジタリアンを否定はしないが、偽善だよなぁとも思っている。

    ベジタリアン信仰なのは結構だが、人に価値観を押し付けたり、決めつけるのはよくないと思うよ。
    恥を知りなさい、とか何様なんだろうか。聖人君子気取りで食肉の否定ばかりだからベジタリアンは嫌われる。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月03日 12:29
    > mixiユーザー 

    あなたのような頭の足りない肉食者が菜食主義者を非難するときに、
    「植物だって命だから、それを食べるのは肉を食べるのと同じ命を奪うことだろ」
    という非常に頭の悪いお決まりの詭弁がありますが、それがクソみたいに愚かな詭弁であることを説明しましょう。

    まず、植物も命であるのはその通りで、何かを食べなければ人間、生きていけないわけです。
    だとしたら、人間に近い生き物ほど、より食べない方がベターなわけです。
    非肉食主義者は肉を食べませんので、肉を食べる人間を非難する権利があります。自分が食べないから。
    一方で、植物を食べることを非難・否定する権利があるのは、植物を一切食べない人間だけです。

    私は植物を食べますが、そのことを非難する資格がある人間は植物を食べない人間だけです。
    私は感謝しつつ、なるべく少量ですが、堂々と植物を食べます。
    一方、肉を食べる人間のことは、動物愛のない人でなし・人間のクズであると非難します。
    私は肉を食べないので、その権利があるわけです。

    そして、あなたは動物を虐殺し続けている以上、
    動物に対する愛を語る資格も、動物虐待を非難する資格もありません。
    あなた自身が虐殺者なのだから。
    そのことを肝に銘じるべし!

    以上




  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月03日 12:33
    > mixiユーザー 

    肉食者がベジタリアンを嫌うのは、痛いところを突かれるからであって、
    自分が肉を食べたいという欲求とそれに伴う殺戮を認めたくないけど、
    ベジタリアンに指摘されると認めざるを得なくなるから。だよ。
    価値観の否定や偽善とは別問題。
    それを口実にベジタリアンの追求から逃げようとしたり、
    反論できないからそれをもって反論に変えようとしているだけ。
    肉食者はじつに情けない卑怯者ということの証明。


  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月03日 12:35
    私は肉を食べないから、肉を食べる人間を非難できる。非難する資格がある。
    一方、私が植物を食べることを非難できるのは、動物も植物を食べない人間だけである。
    肉も植物も食うくせに、菜食が偽善だとは笑止千万。
    植物を全く食べない奴だけが、菜食を非難する資格がある。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月03日 12:39
    > mixiユーザー 私は動物の命を殺して食っているのは否定しないんだけど。


    こういう人ってなんでこんなに否定することに必死なのか。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月03日 12:45
    理想を言えば、肉を食べない社会の方がいいし、愛玩動物なんてものはない方がいいわけです。肉を食べるという行為は罪深いし、生き物の一生をもてあそぶ愛玩動物、最近では小型化して本当の玩具みたいな犬が販売されていますが、とても罪深いと思います。現代人は残酷な面を見ずに、自らの手を汚さずに、利益だけ得ようとする。これまた更に罪深い。しかし、それが現実社会というか、人間のさがなのかもしれません。まあ、それでも私は肉食派ですけどね。罪を背負って私は生きます。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月03日 12:55
    > mixiユーザー 

    肉食者でもあなたのようなフェアなコメントを見るとホッとします。
    犬のブリーディングについても同感です。
    感情論で詭弁しか吐かない偽善的な肉食者ばかりですから。
    仰るとおり、「残酷な面を見ずに、自らの手を汚さずに、利益だけ得ようとする」やつらばかりです。
    すぐ上にも一人しつこく絡んでくるそんな人間が居ますが。

    そして、それが人間のさがだというお考えにも同感です。
    でも、その本来のさが、つまり動物としての本能を理性で制御することが
    人類の向かうべき方向だと私は思います。
    あなたが肉食を続けることを私はどうすることもできませんが、
    例えば、今まで毎日一食は肉を食べていたのなら、一日は肉を食べない日を作るとか、
    量を減らすとか、そういうことをしてみてください。
    私は、節電に意味があるように、節肉も無駄では無いと思います。
    そうやって、すこしずつ殺される動物を減らしてゆけば、
    遠い未来、いずれはゼロに近いところまでもっていけるかもしれません。

  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月03日 13:02
    >NORMALさん

    話題の日記から失礼します。
    NORMALさんの日記と皆様のコメント、拝見いたしました。
    NORMALさんの主張や皆様のご意見、とても興味深く読ませていただきました。
    私自身は肉食もしますし、命の重さも私なりに承知しているつもりです。
    正直言うと、ベジタリアンを偽善的だと少なからず思ってもいました。
    でも、NORMALさんのご主張を拝読させていただいて、考え方をちょっと改めてみようという気になったのも正直な所です。
    ですので、本当に素直な気持ちで質問があるのですが、

    >植物も命であるのはその通りで、何かを食べなければ人間、生きていけないわけです。
    だとしたら、人間に近い生き物ほど、より食べない方がベターなわけです。

    命の重さを同じとした場合、「人間に近い生き物ほど…」という所に、なんとなくモヤッとしたものを感じてしまいました。
    人間に近いから、とかいうと、何か差別的な感じがしてしまって…

    できればご意見を伺いたいです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月03日 14:48
    話題の日記から来ました。

    動物愛護という偽善に批判的だという点では、私は筆者に同感です。
    特にイルカ保護団体。あれは薄汚いレイシストですよ。

    一方、私は菜食主義者に対して何ら批判的ではありませんが(別に偽善とも思わない)、

    >「植物だって命だから、それを食べるのは肉を食べるのと同じ命を奪うことだろ」
    >という非常に頭の悪いお決まりの詭弁がありますが、それがクソみたいに愚かな詭弁

    には全く賛成できません。
    植物も痛みを感じるという研究結果もありますし、科学では証明できないことはまだまだ沢山あります。
    (こういう「クソ」のような幼稚な単語を簡単に使うと説得力が激減しますよ)

    〇〇は批判する権利があるとかないとかの話ではなく、人間は生きていくために、動物も植物も数多くの命を奪っているのであって、他の人間の命の奪い方が気に食わないからと言って自分が命を奪っているのを棚に上げて非難するのは最低だ、ということです。

    批判する「権利」は誰にもあります。言論の自由はありますから。
    ただ「権利」はあっても「説得力」はないし、ましてそれがシー・シェパードのような文化差別に基づくものであれば許せない、ということです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月03日 15:58
    話題の日記より初めまして。
    少々暴論をば。

    肉食・草食・雑食というのは光合成によって自ら栄養素を獲得出来ない動物の食性という『性質』です。
    この点は人間であれそれ以外の動物であれ変わらない訳で。

    倫理というのは、人間の価値基準でしかありません。
    『人間に近い生き物を食べない方が、よりベター』というのは、生物のどういった根拠に基づいた事柄であるのかが明示されていない以上、あくまで個人の感情論の域を出ません。

    さて、犬猫と牛豚との違いは、予め食用として考えられているものか、そうでないかという点も考えなくてはなりません。
    犬猫は人間の生活史において、『狩猟』あるいは『害獣駆除』という役割を与えられていた生き物です。
    食用にするしないは緊急の場合を除いて適用されないのは、屠殺して食用にする以上の役割があったから。現代日本ではその役割の必要性が薄れ、それ以外の理由(愛玩動物として)が大きくなってきたに過ぎません。
    食性の対象を安定供給できるようにする為の人間の工夫の一つが牛や豚の飼育だと思います。

    人間は雑食性ですから、野菜や肉を食べる事で生き長らえる性質があります。これは、突出した身体能力を持たない人間が生き残る為に獲得した性質です。

    とまあ、色々思う様書き連ねては見ましたが、私の伝えたい結論としては。
    『そもそも肉食が許されないならば、雑食性の他の動物(たとえば熊など)からも肉食という食性を取り上げて見せて欲しい(熊も肉食性が強くないとはいえ、同じほ乳類を捕殺します)』
    『肉食が禁忌なのは人間だから云々、という理由ではあまりにも考え方が傲慢』
    『自然に我々が獲得した食性である雑食性のうち、肉食をなくしたいのであれば、道徳や倫理といった曖昧模糊とした思想ではなく、性質としての肉食性を人間から失くす為に研究をされるべき』
    といったところでしょうか。
    無知無学なので、突っ込みどころは多いかと思いますが。
    失礼しました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月03日 16:45
    生き物は他の動物を摂取しなければ生きてゆく事はできません。ただし自然界が正常に保たれていればそのバランスは保たれており、必ずしも弱肉強食ではありません。この考え方を取り入れたのがヒトラーの国家社会主義です。ヒトラーのユダヤ人虐殺は対天使戦の持久戦の為です。聖書参考。邪魔したのはチャーチル。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月03日 16:48
    概ね賛成です。ところで牛・豚のお話が出ましたが、もう一つまた次元の違う「家畜」で、馬があります。
    馬は競走馬として飼育され、競馬場に登場しますが、成績が悪いと牡馬は大体において殺処分→肉。牝馬でも血統が悪く繁殖として使えない場合は肉になる場合が多いです。

    しかし競馬を楽しむ人たちは、「馬を食べるなんて残酷!」といい、物すごい拒否感を持ちます。
    私は違うと思っています。
    その人たちは、牛や豚は平気で食べるし焼肉は大好きな人たちが多い。
    それともう一つ違うことは、馬は、競走馬から即屠殺されるのではなく、肥育といって、太らせる期間があるのです。それから市場に出るのですが、たまーにですが、成績はよくなくても、何らかの理由で、「その馬」に対する思い入れの強い方に救われて、個人所有の馬としての余生をおくれる場合があります。

    そしてこの「肥育期間」がなければ、即屠殺となり、救われる馬も救われません。
    でも、そういうことは全部ブラックボックスです。
    よく新聞に「引退馬」で「乗馬」と書かれているのは、あれは99%までが肉ですから。

    私は馬肉を食べることを忌避しません。それどころか、先細りの九州馬産等(青森とかも)
    馬肉を食べる習慣が人間にあるからこそ、その地で生かされている。
    そう思って、ありがたく食べることにしています。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月03日 17:30
    命を頂きます。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月03日 18:24
    話題の日記から拝見します。

    主さんの主張は仏教的な内容のように存じます。
    全くその通りのように思います。

    日本の食文化史において仏教における肉食禁止の時代がありました。
    しかし地球全体の寒冷化や火山活動等により長期的に植物に悪影響及ぶ時代がありました。
    人間の生命活動を維持するためにはカロリーが必要なのですから、
    鶏肉はよし、うさぎも一羽二羽と数えたりしたようです。
    庭でニワトリの首を絞めて食べるのが生きる糧とされていました。
    私が幼い頃にもニワトリを飼っていたことがありました。
    (わたしの目の前でドーベルマンに食われてしまいましたが)
    そうした歴史的背景を経て現在の食肉文化が形成されたのです。

    明治維新以降は、欧米からの効率的な食肉生産方式が採用されるようになり仏教で禁止していた牛肉を食すようになりました。
    何でもかんでも「効率化」という名目をあてがい、直接的に関与しないようになりました。
    それは食文化だけでなく多岐に及びます。
    「誰かがそうしたからわたしもやる」
    という思想も明治維新以降の負の産物のように思えます。
    新しく変えようと頑張ってきたことが、実はメリット、デメリットの違いも精査されず、変わってしまったことで付いた代償のほうが大きい事だってある。
    「変わったほうが良い」と幼い頃から刷り込まれて教育された現代人は、よく見抜くこともせず間違えた変わり方をしてしまう。
    それがカルト宗教であったり、政界だったりするんじゃないでしょうか。
    変えすぎたことで何を目指すのか雑然としてしまったのが今の社会であり、「鮮麗された個」の主張が通らなくなっている。
    「鮮麗された個」について精度を高めるには、何でも「間接的ではなく直接的」に関わることが必然的となるかと思います。
    鎖国時代以前は、相手を信用したり約束を重んじていたのも直接的なやりとりのなかで培われたものかと思います。
    つまりいわゆる「食育」という視点に立てば、ニワトリの首を絞めるところからでも良いので直接的に関与すべきというのが主さんの主張のように感じます。
    本来ならば肉を食べるという行為は、部族の長が狩った肉をその場でさばき許可を得なければならない。
    それだけ肉を食べるということは「穢れ(けがれ)事」だったはず。
    地上波テレビなどで見かけるような「女子会パーティで焼肉」という行為は200年前では村八分を受けるような内容ですが、
    主さんのようなお考えで気に病まれる方がおられるのでしたらまだまだ日本も捨てたもんじゃないぞと思います。

    さて現状ですが、わたしの知人に食肉生産、加工、販売といういわゆる第六次産業と呼ばれる事業を展開している人がいます。
    長年の成果が実り、新種ブランドとして世間に認められるよう身を粉にして宣伝にもご尽力され、お仕事をされているそうです。
    主さんがおっしゃったとおり屠殺現場についてはごく限られた人でなければ立ち入ることは許されていません。
    彼らには「年間数億円の維持費をかけても良いからペットとして扱って下さい。」とか「事業縮小して下さい。」とか
    そういう主張は出来ませんから、法律で禁止(宗教の自由も禁止)とするように願ったらよいのかと思います。

    犬をいじめたブラジル人とは直接的にコミュニケーションをとらない限り意見ができないのでコメントは差し控えます。
    間接的に得た情報(マスコミ経由)なので実際のところ判らなく、そういうところも直接的に変えなければならない。
    自分が直接的に関わるということが本物の情報ではないでしょうか。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月03日 18:42
    自己矛盾と惨忍の塊が、人間だと思います。

    あなたの価値観を否定するのわけではなく、単純な質問です。

    牛豚を喰わなかったところで年間1頭分の命も救えません。動物愛護も自己満足ですが、魚類、鳥類の命を軽んじるあなたの菜食も自己満足ではないのですか?。


    私の周りの自己矛盾を抱えた野蛮人(あなたにとって)の犬猫愛護者は、年間1頭分にも満た無い哺乳類の命を奪う一方で自分の働いた金で年間何頭もの哺乳類の命を救っています。

    あなたは年間牛豚の命を救うのにいくら投資し何頭の命を救っていますか?

    他の価値観を否定する程のあなたの具体的な活動は何でしょうか?







  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月03日 21:07
    突然変異で出来た奇形の耳が折れてる猫、足が短い猫をペットショップで買って愛玩しているわたしですが、思いついた事書かせていただきます。m(_ _)m
    わたしは肉をいただいてますが、テレビのCMで「赤の日じゃ〜」とか言いながら女優さんが踊り、親子の牛がのんびりと歩いてる映像にはでんぐりかえりましたぁ。
    あと、グルメ番組で産まれたばかりの子豚の丸焼きは最高に美味い!っての聞いたときは目ん玉とびでそうになりましたぁ。

    そういえばお釈迦様を批判した人が昔いたような・・・
    お釈迦様、あなたの奥歯でつぶされる豆の悲鳴はあなたには聞こえないのでしょうかとかなんとかっての。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月03日 22:19
    毎回、同じ内容の日記に多くのコメントがくるのが興味深いです。

    今日も肉は美味しかったです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月03日 23:53
    > mixiユーザー 

    肉食者たちの多くも、心の奥底では自分たちの矛盾に気づいているから、
    その自分が気づかないフリをしていたい精神の暗部、コンプレックスを刺激されるから無視できないのでしょう。
    苦い提言をしている私に対して、ひと言、言い返してやらないと自分のコンプレックスが解放されそうで、
    それを恐れているから無視できないのです。
    だから、私はむしろ、敵意むき出しの人たちこそ、
    肉食と動物愛護の矛盾に半ば、気づき始めているのだと思って見守っています。
    ただし、そういう人たちは単純で頭が悪いのが欠点です。
    共通する特徴はベジタリアンに対して、菜食も植物の命を奪うのだから同じだろ、
    と言ってくることです。この種の人間は雑魚です。払っても払っても寄って来るハエです。
    いくらでも湧いてきます。

    一方、本当に手ごわいのは、罪を自覚しながら、それを恐れず、肉食もやめようとしない人たちです。
    上の雑魚さんたちとは知性と魂の強固さが違います。
    ここで言えば、小林大介さんやしらさんがその種の人間です。
    雑魚さんたちは動物愛護と肉食の矛盾を認めようとしませんが、
    この人たちはその矛盾を丸呑みしたうえで、それでも食べるよ。美味いからね。という人たちです。
    その人たちは、ある意味、諦めているので、説得が通用しません。
    ある日、自発的に突然、非肉食に目覚めない限り、人の話に影響されません。
    ただし、知性が高いので、私との論理的なやり取りは問題なく成立します。
    話が通じるのに、受け入れはしないという非常に厄介な人たちです。
    説得しても無駄なので、いつか自発的に目覚める日を待ちます。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月04日 00:04
    > mixiユーザー 

    すばらしい。そこまで私の真意を汲み取って下さるとは、感激です。
    仰るとおり、私は肉食自体を駄目だと否定しているのではなく、
    自分で殺す覚悟あるのならば、食べることは認められるべきだと思います。
    自分で殺す覚悟も無いくせに、血塗られた口で動物愛護を語る偽善者にウンザリしているのです。
    犬猫に愛情を示すような心優しい人たちは、基本的に動物愛があるので、
    いざ自分が牛や豚を殺さなければ肉を食えないとなったら、自分の手で殺せる人は少ないと思います。
    また、屠殺の現場を見たら、肉が食べられなくなる人も多いでしょう。
    そういう人たちがブラックボックス化された屠殺を、「動物の死」を感じずに、
    盲目的に無条件に、無批判に肉をあたりまえのように食べていることに非常に大きな問題を感じます。
    肉を食べるのであれば、イノセントでは居られないはず。
    食べるにしても、フェアな精神で肉食に向き合って欲しいですね。
    人に殺させて、肉は美味しくいただくが、殺しの罪は負いません、といういいとこ取りはフェアではありません。
    私のかような考えを正しく理解していただけているようで、感謝いたします。

    私の主張を言葉尻だけを捉えて曲解したり、
    「お前も魚や鳥を食べるなら、同罪だろ」などとしか言い返さない知能レベルの低い雑魚が多いので、
    あなたのように私の主張の骨子の部分を正しく理解していただける知性の高い方からのコメントはホッとします。
    コメント、ありがとうございました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月04日 00:23
    > mixiユーザー 

    肉食される方が、私の挑発的な文章に、部分的にせよ素直に耳を傾けていただき、ありがとうございます。
    そう言っていただければ、書いた甲斐があるというものです。
    さっそくですが、ご質問の

    >命の重さを同じとした場合、「人間に近い生き物ほど…」という所に、なんとなくモヤッとしたものを感じてしまいました。
    >人間に近いから、とかいうと、何か差別的な感じがしてしまって…

    この部分についてですが、なぜ、哺乳類を上位において、もっとも食べてはダメで、
    以下、鳥類>爬虫類・両生類>魚類>>>植物な序列を儲けるのか、
    人間に近いほど食べてはダメ、という考えの根拠はどこにあるのか、
    その序列も人間が勝手につけた恣意的な序列ではないのか、
    という疑問ですよね。

    そのような疑問をもたれることはもっともだと思います。
    それは、なぜいじめがいけないのか、という問題に対する答えに近いと思います。
    可哀想だから、というのが大雑把な理由ですが、
    では、なぜいじめがかわいそうなのか、
    それは本人が悩み、苦しむからです。
    肉食もこれと同じで、殺される生き物の悩み・苦しみが多いほど、殺すことの罪が重いということです。
    もうこの辺は感情論・感覚論・感性の問題になってしまうので、説明しても意味ないと思いますが、

    お釈迦さまでさえ、植物と動物の命には明確な差を見出し、
    動物を殺して食べることは殺生として避けるべきことだとしています。
    お釈迦さまほどの人がちゃんと区別しているのだから、やはり動物と植物の命には区別があるのだと思います。
    とすれば、やはり動物の中でも高度な生き物と比較的下等ない生き物の間には命の序列・区別があるということでしょう。
    私は上記のような序列があることを自然に受け入れられますが、
    モヤモヤするという方も居て当然だと思います。
    そのモヤモヤは個人の感じ方の問題なので、自分で解消するしかないようにも思います。

    私は人に説明されなくても、命に序列があることはすんなり理解して受け入れられましたが、
    すんなり理解することも受け入れることも出来ない方が居ても仕方ないと思います。
    なぜ食べちゃいけないのか、食べて良い/悪いの線引きをどこでするか、
    この二つの問題はいずれも個人が自分で自分の答えとしての線引きをすべき問題のように思います。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月06日 18:39
    はじめまして

    滅多にコメントしないのですがこのような日記は初めてでしたので、失礼いたします。

    私もかねがね思うのですが食べられるのは怖いなあ・・と思います。自分が自分より高等生物に捉われて、今からあなたをシチューにして食べるから、となったら、ただ殺されるより恐怖だと思います・・。まあそんな高等生物がいたら人間食べないでしょうけど・・。

    食肉処理場からたまに牛とかが逃げ出すニュースを見ますが、あの時の狂ったような逃げまどい方、恐怖の様相は、もしも自分が同じ立場だったら同じようにふるまうであろう様子です。

    ところで鳥も同じような恐怖を感じているように思います。というのも、私は哺乳類の肉と鶏肉を食べないのですが、それは食べられなくなったからです。具合が悪くなるのです。

    その点、私の場合、食べないからって大きなことは言えません。前は食べてたので・・。

    ある研究によると、哺乳類や鳥類、特に哺乳類は、死ぬときの恐怖、断末魔の怨み、悲しみにより、体内に、大量の毒性物質を発現させるそうです。

    これはニンゲンも同じで、ストレスによって発がん物質が体内で作られてしまうそうですが、同じ哺乳類である牛や豚も同様らしいです。

    しかも人間の場合のストレスどころか、殺されるという恐怖などのストレスですから、その毒性たるや、青酸に匹敵するのだそうです。

    何かでそんなことを読みました。たまーにサイトにも出てきますが、多くは後ろのほうに追いやられて、あまり出てきません。

    人間はストレスを感じた後も、生きていればそれを無毒化する作用が体内で働きますが、

    牛や豚はそのまま死んでしまうのですから、その発現した体内の毒は、そのまま残っています。

    私はある時点から発がん物質過敏症になりまして、それで哺乳類の肉が食べれなくなったようです。

    自分は動物愛護とかで食べなくなったわけではないので、あんまり大きなことは言えませんが、実際に、哺乳類の抱く恐怖や恨み、悲しみの感情は人間と非常に近いので、そのようなことが起こるのだと思います。

    私にとっては鳥類も、哺乳類ほどではないが同じ反応が起きるので、恐らく同様の恐怖や悲しみを感じているのではないか? と思います。

    植物や魚介類の場合、その感情や苦痛が人間のそれと違うので、そこまで人間にダイレクトなダメージを与えないのではないかと思われます。で、今の所はいわゆるフィッシュベジです。(フィッシュベジというとベジの人からはナンダソレ?でしょうけど)

    しかし、もしも哺乳類や鳥類の肉を食べるという文化を社会が棄ててくれれば、それは賢い日本人のことですから、精進料理のようなものがどんどん発達して、肉食なしに美味しい食生活が送れるのじゃないかなあ・・・なんて思ったりします。

    実際に日本はベジに優しくない国で、レストランでもベジメニューがなく、あっても美味しくないし、スーパーにもベジ用の食材があまりありません。

    しかし魚も食べれるので、そんなには困りませんが・・。

    大豆だけのハンバーグとか、ソーセージとかはめっちゃおいしいですが、何しろ食べる人が少ないので高いです。

    散漫になってしまいましてすみません。ともあれ、食べるならオーケーという考えは人間の身勝手、という考えに賛同です。できれば、上述のように、世の中がみーんなベジになってくれればな〜なんて思います。

    ちなみに、穀類など、牛などのエサとして大量に必要らしく彼らは大食漢なので、そのための農地を開拓するため森林伐採も必要になり、要するに、肉を食べてる分、穀類や豆の生産が少なくて済むというわけではなく、むしろ逆だそうで、牛や豚に食べさせるためには人間が食べるよりも沢山生産しないといけないようです。

    肉を食べなくなると、世界の子供たちの飢餓が無くなるのではないかという研究もあるそうです。

    これは倫理的というより現実問題の話なので、日記の内容とは違いますが、肉食は実は人間自身の首を締めているのかもしれないと思ったりします。

    長文失礼いたしました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月06日 21:45
    > mixiユーザー 

    とても丁寧なコメントありがとうございます。
    たまに、あなたのようなコメントをいただくことができるので、
    このような日記を度々公開しておりますが、その甲斐があるというものです。

    私は犬猫好きが高じた結果として、牛豚との差異を見出すことが不可能で、
    自らの意思として哺乳動物の肉を食べることをやめました。
    命をいただくということは、殺すということです。
    自分が食する食材は、自分が殺すことが出来る、その覚悟がある生き物に限るべきであると思います。
    自ら殺せない者に、食う資格はありません。
    私は鶏や魚なら殺す覚悟はありますし、殺せます。
    そういう考えから、私は鳥と魚はまだ、食べております。
    もちろん、どちらに対しても可哀相という思いを持ちつつ、
    栄養学や健康維持的な観点から、完全菜食には至っていません。
    不徳の致すところです。

    一説に拠れば、少しオカルト的で私は好きではないのですが、
    魂のステージが上がると、自然に肉が食べられなくなるそうです。
    たまに、子供でも幼児の時から、肉を全く受け付けない子がいるそうです。
    あなたが肉を食べられなくなったのも、ひょっとしたらその種のものかもしれません。
    また、これも科学的には証明できない話ですが、
    未来の進化した人類の主食は、果物になるそうです。
    私はオカルト信者では無いので、どちらも眉唾ものとして聞き流していますが、
    一方では、ある種の説得力のようなものも感じています。

    あなたの「死ぬ間際にストレスによって生成される毒物」のお話、
    非常に勉強になりました。今後は、鶏や魚についても、長期的な視野では、
    食べなくても済むようにしていければ、と思っております。
    これは幾分科学的な根拠のある話なのですが、
    魚は、人間に手で掴まれただけで、火傷をしたような痛みを感じるそうです。
    魚の表面にヌルヌルがありますが、それが手で掴むだけでも剝がれてしまうかららしいです。
    いわんや、生きたまま、切り刻まれて殺されることの苦しみをや、ですよね。

    鶏や魚も食べないで済むなら、そうした方が良いことは言うまでもありません。
    完全なベジタリアンの方から見れば、私やあなたも非難を免れません。
    この日記を、自分も含め、すべての人間が、今よりももっと、自分が食べる生き物達の苦しみを
    より真剣に受け止めるきっかけになればと思います。

    コメントありがとうございました。大いに勉強になりました。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月06日 22:24
    veganです。NOMALさんの日記に同感です。
    別に動物性を食べなくても生きていけることを自分の体で知っています。
    しなくてもいい種差別を自分の欲望のために理論武装で主張する肉食者を軽蔑します。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月06日 22:34
    > mixiユーザー 

    ありがとうございます。
    でも所詮は肉食者の自己弁護って詭弁ですから、穴だらけですよね。
    だって、どうあがいても犬猫の虐待を非難して、牛豚を食べることの正当性なんて見つかるわけありませんから。
    動物愛護と肉食の正当化なんて、最初から絶対に両立できない概念ですからね。
    肉食者がどんなに言い繕おうとしても、最初から破綻しています。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月08日 23:28
    わたしは地球上に何故こんな悪な生物を(自分含めて)御作りになったのか神様に聞きたいですが。

    今、屠殺は本当にそんなに残酷なんですか?
    そうだとしたら畜産家の方たちは知っていて牛や豚を育てているのですか?

    不謹慎ですが震災のとき、畜産家の方たちが家の牛や豚が餓死する事に心痛めてるという
    ニュースを観ていて、畜産家の方たちって育ててる牛や豚のことをどう思ってるんだろうと
    とっても不思議に思いました。
    赤ちゃんから育ててたら牛や豚だってご飯をくれたりブラッシングなんてしてくれたら
    なつくと思うんですけど。
    育てている人間側はどう思ってるんでしょうか??教えてくれますか?
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月08日 23:56
    > mixiユーザー 

    今も昔も屠殺が残酷でないわけがないじゃないですか。
    最高に配慮されて莫大なお金をかけて行う人間の死刑でさえ残酷なんですよ。
    ましてや動物です。なるだけお金をかけずに、そして肉に悪影響があるから薬品で安楽死というわけには行かないんです。
    生きたまま、何もせずに殺すことが一番肉に影響が少ないのです。
    ここに良くまとめられていますので、興味があれば自分で見てみてください。
    http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1311763053

    畜産家は、プロですからドライなもんですよ。ドライにならざるを得ません。
    もともと殺されるのを知っていて、いや、殺されるために育ててるんですから。お金ですよ。ビジネスです。
    自分の仕事は育てるところまで。どうやって殺すかは買った人の自由。自分は関知しない・出来ない・考えない。
    思考停止ですよ。肉を食べる人間と同じです。自分に都合の悪いことは考えないだけです。
    殺すために育てるような人間が、殺し方の心配するわけないじゃないですか。
    そんな愛情があれば、出荷なんて出来ませんよ。違いますか?
    畜産家とは、もともと殺すこと前提で育ててるんです。
    自分の手元にあるうちは愛情をもって育てるでしょうが、そこまでです。

    なつきますよ。牛や豚は犬や猫よりもずっと頭が良いんです。
    鏡を見て自分だと分かることを鏡像認知といいますが、これが出来る動物は哺乳類の中でもとくに高度な知能を持つ種だけです。
    犬猫はできませんが、豚は鏡像認知ができるんです。これはすごいことなんですよ。
    でも、なついた牛豚を出荷してお金にするのが畜産という仕事です。
    ビジネスです。情は捨てなければやっていけません。
    牛豚が可哀想なんて思うような人間は、畜産家なんてできるわけがありません。
    だからといって血も涙もないとは私は言ってませんよ。
    畜産家は、育てるまでが自分の仕事。そこから先は考えない。思考停止。
    それがプロの畜産家の考えです。

    確かに人間は悪ですが、肉を食べることをやめれば、なるべく動物を殺さずに生きていくことは出来ます。
    自分が悪に加担して動物を殺しまくりながら生きるか、殺して食らうことをやめるか、
    その選択は自分次第です。
    肉食者はベジタリアンに対する批判としてよく、肉を食べなくても革製品や薬など、
    動物を殺して社会は成り立っているのだからベジタリアンも例外ではないと言いますが、
    少なくとも、肉を食うために殺すことに加担しないのですから、その点ではベジタリアンは無罪です。
    あなたも自分がどうするか、自分で決めることが出来ます。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月09日 00:02
    > mixiユーザー コメントありがとうございますm(_ _)m
    疑問があるなら自分でもくぐってみようとやってみたらこんなのありました。
    http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=104614
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月09日 00:06
    > mixiユーザー 

    それは口蹄疫の処分なので、薬品(毒)が使えるから、安楽死なんですよ。
    それは殺し方としては食肉用よりもずっと穏便で安らかな方法です。
    屠殺は、もっとずっと残酷です。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月09日 00:10
    > mixiユーザー 

    つまり、肉を食べる人間は、自分の手を汚さず、他人に殺させているだけです。
    牛や豚に苦痛と恐怖を与えて惨殺している真犯人は、肉を食べる人たちです。
    よくかわいくて若い女性アイドルが「焼肉が好物です!」とニコニコしながら言ってますが、
    とんでもなく残虐なことです。
    自分が牛豚を苦しませて惨殺しているという、その自覚すらないことが余計に恐ろしいです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月09日 00:12
    肉を食べるとは、そういうことなんです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月09日 01:04
    屠殺は言わずもがな残酷ですが、その前の段階の工場的畜産もまた残酷です。

    お肉が大好きだという人はその生産方法から見るべきですね。
    その上でお肉が好きというなら、それは人間ではなく原始人だと思うので高等な議論をするのは無駄だと思うので仕方ないなと思います。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月09日 01:10
    > mixiユーザー 

    全く仰るとおりです。
    生産・屠殺行程まですべて見た上で、それでも肉を食べ続けるというのであれば、
    私も何も言いません。
    が、イノセントなフリをして殺しに無自覚なまま、肉を食べるのは卑怯です。
    知性を持つ人間として失格です。知ることを放棄しているのですから。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月09日 01:15
    やっぱり脳みそばっかり大きくなった人間って生き物は悪そのものだなぁと思います。。
    まぁでもいつかは全滅するだろうとわたしは思っています。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月09日 01:18
    > mixiユーザー もちろん、すべてのものは終わりがありますから、当然、人類はいつか滅びます。
    でもきっとその時は、地球上に済むほかの生物も滅ぶでしょうね。人間が地球そのものを滅ぼしてしまうかもしれません。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月09日 08:16
    とんでもない考え違いをしたコメントをつけてきた人がいましたが、
    私はそれを受け取りません。
    何かを人に渡そうとしても、受け取りを断られれば、それは結局、もとの持ち主のものになります。
    つまり、その人物が吐いた言葉は、そのまま本人自身のものであり、本人の人生そのものです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月09日 08:33
    なお、そのコメントは出だしだけ読んで、価値のないものであることが分かったので、
    大部分は読みもせずに削除しました。悪しからず。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2015年06月09日 08:34
    なお、そのコメントは出だしだけ読んで、価値のないものであることが分かったので、
    大部分は読みもせずに削除しました。悪しからず。
    したがって書いた本人の心の中だけに本人のこととして残り続けるのみです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年02月13日 21:34
    所詮この世は弱肉強食なので、牛や豚を食うのも、愛玩動物を愛でるのも、ネズミを実験で殺すのも、人間が地球上で最も賢く、少なくともそれをする動物よりも強いからです。許されるとか許されないとかではなく、ただの自然の摂理。まぁ自分も殺処分反対とか言ってる輩には多少嫌悪感を覚えます。地球のためにとか言ってる偽善者にも吐き気がします。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年02月13日 21:42
    でもそれを言っちゃえばどれを殺して生かすのかは自由ですよね。自分はその矛盾に耐えられませんが。こっちは食べてこっちは可愛がる。食うためには殺すのもオッケー可愛がる方が殺されるのは我慢できない。そう思うのも人間がゆえ人間様にだけ与えられた自由な権利なんでしょうね。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年02月14日 10:26
    > mixiユーザー 自由な権利?それは誰が認めたものなのでしょうか?そんなものはありません。人間が勝手に自分に都合よくそう考えているだけです。矛盾を認めた上で、それでも私はこれは食うけど、こっちはかわいがる、そう宣言する人間はまだマシです。私が許せないのは、矛盾に対して見て見ぬ振りをして、さも自分は動物愛護ですという顔をしながら、平気で肉を食らっている人間です。例えば杉本彩などがそうですね。自分が動物殺戮者と自覚した上で、それでも食べるという選択をするならまだ理解できるのですが。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年02月14日 12:57
    その権利は人間が人間としてこの世に生まれた瞬間から得ています。都合のいいものは生かすし殺すし自由です。だって地球上で1番強いから。それをそうと意識せず偽善を振りかざす奴は人間目線で腹立たしいですがその身勝手さも人間らしさということで。それでも許せないならそういう人らを皆殺しにしましょう地球のためという名目で。それができないなら見て見ぬ振りをしてるということで同じ種族としては地球レベルで同罪かと思いますが。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年02月14日 13:03
    > mixiユーザー それはあなたの勝手な解釈です。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年02月14日 20:19
    いいや残念ながら絶対的な不変の真理です。間違いなくあなたも私も隣の人も向かいの人も同類です。少なくとも惨殺されている動物達からしたらなんの違いなく怨念の対象です。
    いじめを見ていて何もしないのはいじめているのと同じですよ。自分は肉は食べないから他の人たちとは違う?そんな理屈がそれこそ犬猫には通用しませんよ。それで自分を正当化しようというならそれこそ偽善です。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年02月14日 20:25
    この言い合いこそ人間らしいですね。
    法律にさえ触れなければ何をしてもいいんですよ今の地球は。
    それさえ守れば本当は自然界には良いも悪いもなく強けりゃ勝つし弱けりゃ負けるただそれだけ。
    人間以外の自然は良くも悪くも人間の行いなんぞに無関心なんですよ。それどころか無関心ですらないんです。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年02月15日 10:06
    命あるのはすべて生きる権利があります。それを奪う権利は誰にもありません。権利を踏みにじって奪っているだけです。奪う権利など無いのです。強いものに奪う権利があるとするなら、あなたはより強いものに殺されても文句はいえません。その強いものは、あなたを殺して食う権利があるということです。それがあなたの意見です。
  • mixiユーザー

    mixiユーザー2017年02月15日 10:26
    権利って言葉がよくなかったですね。それ自体が人間の概念なんで。強いものが弱いものを虐げるのは当然と言った方が正しいですね。当たり前なんです。逆に助けることもできますがどちらにせよ強者次第ということです。後者の方が人道的で美しいとは思いますが無理でしょうね。人間だからではなく動物として。感情の個体差はあるでしょうが種単位ではありえないでしょう。自分より圧倒的に強い者に殺されるのは仕方ないでしょうね。そんな世の中が来たら受け入れざるを得ないでしょう。こちらに選択肢なんてないんだから。文句は言いますよ喋れるし知性も感情もありますから(笑)

mixiユーザー

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