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2018年10月15日19:36

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心の中の暗いモノ

何かで目にしたことがある



人はコントロールするものが無くなると不幸せになるんだって



いつからだったか
コントロールされる側になったのは



今でも思い出せるのは小三の頃



調子に乗っていた、と言えばそれまでだけどそのツケが回ってきたのか周りとソリが合わなくなった


一番仲のいい友達は
クラスが離れると別のやつに捕られて
『俺達、こんなに仲いいぜ!』を見せつけられる(その時代に三人で遊ぶ器用さが私に有れば良かったのだけど)
その度にまるで恋人を獲られたかのような気分になって打ちひしがれる
今のクラスで仲良くなった奴は次のクラス替えで私を嫌いすれ違う度にいわれのない悪口をいうようになった
その時のクラスで仲良くなった奴も卒業前になると私を嫌っているのが目にみえて分かるようになりまるでヨーロッパの奴隷制度よろしくな差別的扱いを受けるようになった



そうなってくるとニコニコして優しい奴を演じても焼け石に水で関係の濃い人薄い人、色々な人が私から離れていった



どれだけ欲しがったって手に入らない
その頃から『友達』は諦めた
きっと私に『友達』はコントロールできない



中学になっても高校になっても
ニコニコして優しい奴は演じていたんだけれど何故か私は嫌われる傾向にあった
『同じことをしても何故か私だけ…』の典型が私だった



この頃から色々なもののコントロールを諦めていく
怒ることはやめた
嫌な顔もやめた
自己優先もやめた
代わりに自分に対する『何故?』をよく考えるようになった



そして大人になった今
していることは変わらない
周りがそろそろ中堅に入り、続々と出世している中未だに平社員にすら届かない新人が抜けきらないお荷物
『親』がいないと動けない、任せられない情けない大人
当然、周りもあの頃のように『呆れ』や『軽蔑』のみたくもない視線ばかりになる
周りも『それ』が言わなくても伝わるのか仕事をくれるお客様のお偉いさんはコッチの若造なんか見向きもしない


きっと周りは『仕事』をコントロールして
『後輩』をコントロールして
そうやって上に上がっていくのだ。自分だけを残して


あぁ、せめて…私の頭もリモコンで動く車のように
頭のいい誰かがコントロールしてくれたなら
こんなことで悩まずにすむのに



前に進むために努力はしないといけないもの
それはわかってる
けれど何故か出来ない



きっと人として決定的な何かが足りてないような気がする
最近は欠陥商品なんじゃなくてヒトモドキなんじゃないかという気すらしてきた



甘いんだろう
弱いのだろう


けれど一般の人が必要のない努力までもが私に必要なのだとしたらどれだけの努力を私はしないといけないものなのだろうか



神様ってのは非常に性格が悪いのが手に取るようにわかる
それが『普通』なのか私が『ダメ』なのかはたまた『仕方ない』ことなのか私には知る術はないのだ



『考えすぎ』だとよく言われる
悲しいことにそれは仕事には全く働かないことなんだけれど



考えて、考えて、考え抜いて
納得する答えをみつけて、『自分』をコントロールしないと立っていられなかった



今だってそう
クズさ加減に嫌気がさしても、そのクズさ加減を呆れるほど見つめなければたちまち崩れてしまいそうになる



泥の中をもがくようだ
これが周りのみんなが当たり前にしている普通になるための『努力』だというのなら
やっぱり私は何か違う種類の種族なのかもしれない
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