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2018年03月24日01:48

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センバツ高校野球について

〔センバツ高校野球について、概略です。〕
・選抜高等学校野球大会(せんばつこうとうがっこうやきゅうたいかい)は、毎年3月下旬から4月にかけて兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で行われる日本の高校野球の大会である。
・略称はセンバツ。通称は「春の大会」「春の高校野球」「春の甲子園」とも。
・英文名称はNational High School Baseball Invitational Tournament。
・主催は毎日新聞社、公益財団法人日本高等学校野球連盟(高野連)。大会旗および優勝旗の色は紫紺。5年に1度(下1桁が0と5の回)は記念大会として実施されている。
〔出場校選抜について〕
・夏大会は地方大会の優勝校が機械的に出場しているが、春大会については選考委員会によって出場校が決められる。高野連は出場校の選考基準を以下の様に、としている。
(1)大会開催年度高校野球大会参加者資格規定に適合したもの。
(2)日本学生野球憲章の精神に違反しないもの。
(3)校風、品位、技能とも高校野球にふさわしいもので、各都道府県高校野球連盟から推薦された候補校の中から地域的な面も加味して選出する。
(4)技能についてはその年度全国高等学校野球選手権大会終了後より11月30日までの試合成績ならびに実力などを勘案するが、勝敗のみにこだわらずその試合内容などを参考とする。
(5)本大会はあくまで予選をもたないことを特色する。従って秋の地区大会は一つの参考資料であって本大会の予選ではない。
・また、出場校が最大32校、記念大会でも36校であるため、出場校が1校もない府県が毎回生じる。逆に、好成績の府県からは2校以上選出される可能性もある(過去には最大4校選出されたことがある)。
一般選考
・1947年、小倉中学(現小倉高校)(福岡)が春大会で準優勝、夏大会で九州勢で初優勝して九州地区の中学校の野球熱が高まったとき、朝日新聞西部本社運動部の芥田武夫部長は全国に先駆け、「全国中等学校野球連盟九州支部」を組織し、秋に第1回九州大会を鹿児島の鴨池球場で開催、大成功を収める。
・他の地域も九州大会を範にして翌秋から地区大会を行うようになり、以後、新チームで臨む最初の公式大会(実質的な新人トーナメント戦)となる秋季各都道府県大会・地区大会(全国10地区)の成績が春大会出場校・並びに補欠校を決める際の重要な選考資料となっている。
・基本的には秋季大会の成績に、地域性を考慮して決定。
・ここで出場28校と補欠(代表校の出場辞退に備えるもので、各地区につき1〜2チーム程度)を選出する。
21世紀枠
・2001年が21世紀最初の年であることに因み、同年開催の第73回大会から設けられた。
・部員不足やグラウンドがない、豪雪地帯といった学校・地域の特性などの困難を克服した学校や、ボランティア活動といった野球以外の活動での地域貢献で他校の模範となる学校を選出。
・推薦は2012年までは基本的に各都道府県の秋季大会で参加校数が128校を上回る都道府県ではベスト16、それ以外の県ではベスト8以上のチーム、2013年以降は128校を上回る都道府県ではベスト32、それ以外の県ではベスト16以上と改定された。
・選考は各都道府県の高野連が推薦校1校を選出し、そこから各地区(全国9地区)の代表推薦校となった高校の中から3校(東日本〜東海以東・西日本〜近畿以西各1校、その他1校)が出場校に選出される。選考基準について大会を主催する毎日新聞は、以下のような学校を選出すると公表している。
「勝敗にこだわらず多角的に出場校を選ぶセンバツ大会の特性を生かし、技能だけではなく高校野球の模範的な姿を実践している学校を以下の基準に沿って選ぶ。」
「少数部員、施設面のハンディ、自然災害など困難な環境の克服・学業と部活動の両立・近年の試合成績が良好ながら、強豪校に惜敗するなどして甲子園出場機会に恵まれていない・創意工夫した練習で成果を上げている・校内、地域での活動が他の生徒や他校、地域に好影響を与えている」
選出など
・出場校の選考は21世紀枠→一般選考枠の順で行われ、各都道府県の高野連推薦校の中から秋季地区大会(東京都大会・北海道大会は地区大会に相当)と府県大会の実績と地域的なバランスを考えた選考を前提としている。
・ただし選考会では高野連役員の意思が反映されるため、秋季地区大会で初戦敗退ながらも選ばれる学校もある。出場校決定後に組み合わせ抽選会を行いトーナメント方式で頂点を決め、2校出場した都道府県代表校は決勝戦まで当たらない様に配置させる。
・そのため、同じ都道府県代表校の対戦の機会は非常に少ない。組み合わせ抽選会は毎年開会式1週間前の9:00から行い、各地区の出場校が多い学校から決定する。
・選手宣誓は出場校全校の主将によるくじ引きで決定する。ただし、第83回大会(2011年)のみ奥島孝康日本高等学校野球連盟会長が抽選で選んだ。
会場
・会場は兵庫県西宮市の阪神甲子園球場(但し、第1回大会を除く)。
・第1回大会(1924年)だけ名古屋市の山本球場で開いた理由として当時、夏の大会では関西近郊学校が8回中8回とも決勝に進出し優勝は8回中5回だったため主催者の毎日新聞社は「夏の大会(全国中等学校優勝野球大会)で関西近郊の学校が優勝確率の高いのは開催地の風土に関係するかを試すこと」と「東海地方の野球ファン拡大につなげるため」の2点を挙げていた。
・このうち、開催地の風土に関しては本大会では代表校8校中3校だった関西近郊の学校は2校(和歌山中、立命館中)が初戦敗退で1校(市岡中)が2回戦敗退、逆に東海エリアで唯一出場した愛知一中も2回戦敗退という結果になっている(決勝は香川県の高松商業と東京府(当時)の早実の対戦となり、高松商が優勝)。
・一方、東海地方の野球ファン拡大についての効果は大きく、特に1930年代に入り愛知県勢(中京商、東邦商、愛知商など)と岐阜商を中心に東海勢が中等野球で一時代を築き、1936年の職業野球(後のプロ野球)創設時に愛知県のチームが2チーム(名古屋軍、名古屋金鯱軍)できるほどに野球が盛んとなる下地を作ったと言える。
・主催者の毎日新聞社は毎年開催地を変えて全国各地で開催する構想だったが翌年の第2回(1925年)以後は高校野球(当時は中学野球)の聖地として知られる阪神甲子園球場での開催に定着するようになり、近畿地域以外での全国大会開催は国体、明治神宮大会を除くと春・夏を通してこれが最初で最後となっている。
・夏の大会における甲子園以外の開催は豊中球場、鳴尾球場、阪急西宮球場があるが、いずれも近畿地域の開催である。選手の学年は年度を跨ぐため、新年度の学年で紹介される。
会期
・第1回(1923年)は4月に5日間にわたって開催され、当初は1週間程度であった。
・第10回(1933年)は出場校が増えたため10日間にわたったが、その後再び記念大会を除いた平年は1週間前後の開催が続く。
・第33回(1961年)以後は学校の春休みの開始に合わせて3月26日前後の開幕が定着するようになった。
・しかし、1997年の第69回大会などのように、雨天の影響による試合日程の度重なる順延が影響し、これが災いして、新年度の始業式や入学式に差し支える可能性があることや、甲子園が阪神タイガースの専用球場として使われる日本プロ野球の開幕日が試合数の増加の影響で3月下旬に繰り上げられるなどの日程確保の観点などのため、第75回(2003年)から春分の日(3月20日か3月21日)付近の前後に繰り上げられている。
・またこの年から準々決勝は選手の健康管理を考慮に入れて雨天延期が頻発しない限り2日間となったこと(雨天中止による順延が2日以上続いた場合は4試合一括で開催)、1回戦・2回戦は3試合ずつ/日こなすことになったために12-13日間の日程が組まれている。
・春分の日(3月21日)に開幕した2014年の第86回大会では、前年(2013年)の第95回選手権大会と同様に、準々決勝を1日4試合一括で開催。
・当大会史上初めて、準々決勝の翌日を休養日に充てることを計画していた(この場合でも、2日以上雨天順延が生じた場合は休養日なしとなる)。
・しかし実際には、3月26日に予定していた第6日の全試合が雨天で中止(翌27日に順延)。
・さらに、2回戦だった第8日(同月29日)の第2試合・広島新庄高校対桐生第一高校戦は、大会規定の延長15回にまでもつれ込んだ末、決着が付かなかった。このため、翌30日に急遽、同カードの再試合のみを編成(15:00プレイボール)。
・第10日(3月31日)に準々決勝4試合を開催したうえで、4月2日の決勝戦まで、休養日をはさまずに日程を消化した。
・2016年の第88回大会では、3月20日に開幕してから、順調に日程を消化。休養日をはさんで、3月31日に決勝戦を開催した。
・3月中に大会が終了するのは1941年の第18回大会以来、75年(70大会)ぶり。
開閉会式の特記
・開会式・閉会式の国歌・大会旗の掲揚・降納は、甲子園が全面改修される2007年以前は、開会式は出場校の主将、閉会式は決勝戦を戦った選手全員がバックスクリーンの回転広告版の上(三菱電機の広告看板前)に集まって行っていたが、改修以後は選手衆はバックスクリーンに移動することなく、所定位置からバックスクリーン方向の掲揚台を向いて見守る形になっている。
なお第選抜に関するエピソード
・1969年の秋の東京大会において帝京商工高等学校(現・帝京大学高等学校)が準優勝し、東京都高野連も翌年の第42回大会(1970年)に推薦した。
・しかし、高野連の選出委員会は帝京商工の火事による資料の喪失から戦力分析が不可能との理由で帝京商工を選出しなかった。
・帝京商工はこれを不満として1970年2月20日に高野連を相手取り代表決定の効力停止の仮処分を大阪地方裁判所に申し立てた。
・これに対して東京都高野連は同校の対外試合を禁止する制裁を決定。
・さらにこの制裁に対して同校は東京地方裁判所に仮処分を申請するなどの泥仕合となった。
・この際に帝京商工側が「選抜落選や試合禁止は野球選手としての就職が不利になる」としたことから高校野球においてそのような考え方の是非について議論を巻き起こした。
・3月9日には対外試合禁止が撤回され、3月12日には大阪地方裁判所で申立てが却下され続いて東京地方裁判所に対する申立ても取り下げられ問題は決着した。
・なお第42回大会には、東京都からは東京大会優勝の日大三高と都大会4位の堀越高等学校が出場した。
・46回大会(1974年)以降、返還・表彰の曲は大会オリジナルの「栄光」(永野慶作作曲)が返還・表彰の演奏曲として使われることになった。
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[開会式 第90回記念選抜高校野球大会]
https://youtu.be/3hwNxrwtkAU
〔瀬戸市のビックニュースです。〕
藤井聡太六段、「瀬戸市民栄誉賞」表彰(2018年03月23日発表)
・この度、藤井聡太六段が瀬戸市で新設された「瀬戸市民栄誉賞」を表彰されることになりました。
・瀬戸市民栄誉賞は、瀬戸市民又は瀬戸市にゆかりの深い個人若しくは団体で、広く市民に親しまれる分野において輝かしい成果又は成績を収め、広く市民に明るい希望と活力を与え、瀬戸市のイメージアップに寄与したと認められる方などを表彰するものです。
H30/03/24

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