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2015年07月23日09:52

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明治維新で実現した、黒田官兵衛の恐るべき遺言?

明治維新で実現した、黒田官兵衛の恐るべき遺言?

http://rakusen.exblog.jp/21903541.

明治維新で実現した、黒田官兵衛の恐るべき遺言? 2014/4/18

https://www.youtube.com/watch?v=Pwdnu3BnqaM




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https://twitter.com/JunjiHattori/status/539021325788917761



「黒田官兵衛が遺言状に書いた「恐るべきこと」〈週刊朝日2014年3月14日号〉を読んでびっくりした。
まず、そのさわりの部分だけ引用すると。

「黒田官兵衛が遺言状に書いた「恐るべきこと」〈週刊朝日〉(dot.) - Y!ニュース

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140309-00000003-sasahi-ent


黒田官兵衛が遺言状に書いた「恐るべきこと」〈週刊朝日〉

dot. 3月9日(日)16時17分配信

 司馬遼太郎さんをしのぶ「第18回菜の花忌シンポジウム」が2月1日に東京都文京区の文京シビックホールで開かれ、司馬ファンが駆け付けた。

テーマは「この時代の軍師――『播磨灘(はりまなだ)物語』から考える」。

NHK大河ドラマの主人公、軍師・黒田官兵衛を描いた司馬作品『播磨灘物語』について、磯田道史氏(静岡文化芸術大学准教授)、松本健一氏(麗澤大学教授)、和田竜(作家)、諸田玲子(作家)の4人のパネリストが活発な議論を展開した。

*  *  *

磯田:歴史学者にとって官兵衛で困るのは、「養生訓」を書いた貝原益軒という人が「黒田家譜」を書いていますから、われわれが見ている官兵衛は、3分の1は貝原益軒の思想が入っている。

さらに『播磨灘物語』は貝原益軒と司馬さんと黒田如水の3人の考えの混じったものをわれわれは官兵衛像だと受け止めている。

それをおいても、「黒田家譜」では、有岡城から帰ってきたら官兵衛が演説しなくなります。

その前の官兵衛は、攻める前に

・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・

「この時代はこういうふうに動いたんだ」と司馬さんの作品によって刷り込まれているんです。

諸田:歴史は人間と切り離せない。

司馬さんが人間を深い洞察で描くことで、歴史が浮かび上がる。

歴史を克明に書くことで、人間が生き生きとよみがえる。

すごいですね。

磯田:小説はうらやましいと思うところがあって、史料には書いてないんだけれども書けることがある。

司馬さんも見たに違いないできごとがあるんです。

黒田官兵衛は子どもの長政に、黒田家が天下を取るための作戦を授けていた可能性がある。

黒田長政は遺言状を残しています。

死ぬときに、「俺は関ケ原でこれこれの働きをしたら、これぐらいの大きな国をもらえたんだ」「徳川も、おれたち黒田家は粗略にしない」ということを書いている。

そして、そのあとに恐るべきことを書いている。

「このままここを領有していたら――」。

博多です。

中世最大の国際貿易港。

「天下の富の大半はこの町に集まる。

よく考えろ」と書いている。

中国相手、朝鮮相手の貿易が制限されなかった場合、貿易の王者の博多黒田家ができあがる。貿易で得たカネで、徳川が弱ったときにとどめを刺しにいく。

おそらく生前、2人で話していたと思う。

僕は黒田家に天下の野望は絶対にある、これはクロだと思いました。

黒田だけにクロだと(笑)。




 さて黒田日銀総裁が黒田官兵衛の子孫であることは、下記の様に本人が言ってる事から間違いありません。


 黒田日銀総裁が三重県総務部長をされてた時に、藤岡和美氏が三重県久居(ひさい)市長をされ、奥さんも含めた家族ぐるみの付き合いをして、「ご先祖は戦国時代の智将、九州の黒田藩主・黒田官兵衛(後に如水)と伺っています。」とブログでも書かれていますから。

それは間違いないでしょう。

http://blog.goo.ne.jp/kazu_fujioka_goo/e/67367c5b80111e0c9d675901e0


イエズス会の金融マフィア黒田官兵衛:その妹の嫁ぎ先が麻生太郎の家系

https://www.youtube.com/watch?v=dilREPis4GU#t=10




 ちなみに黒田官兵衛の妹(虎:後に妙円)はWikipediaによると、福岡(筑前)の麻生家に再婚して嫁いでいますので、そのすぐ近くの飯塚市も支配していた麻生太郎氏一族も子孫だと思われます。

http://www.geocities.jp/kazzuki2005/zyosei.html




麻生太郎氏も2014年現在、副総理兼財務大臣、金融担当大臣ですから、日本の金融は黒田官兵衛の子孫で支配されてる、と言っても過言ではないようです。

 なお官兵衛らの恐るべき遺言が週刊朝日2014年3月14日号に掲載されていましたが、「中世最大の国際貿易港 博多を支配し、その富で徳川家を滅ぼし、天下をとれ!」と。

http://tweettvjp.blog.fc2.com/blog-entry-481.html

それは明治維新で実現されました。

その意味では軍師官兵衛の子孫らはイエズス会や博多の豪商らと組み、薩長や吉田松陰、高杉晋作らテロリスト集団を使い、日銀を作り、世界のグローバルな金融ネットワークに日本を組み入れた陰謀だった可能性があります。

さすが、策士としての面目如実、黒田官兵衛!

って、言うか、もっとここら辺を切り込んでいく必要がありますね!

その切口が1591年官兵衛らが親しくしていた博多の豪商 神屋宗湛とその子孫らです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%B1%8B%E5%AE%97%E6%B9%9B

 いや、大賀宗九の方かな?

http://members3.jcom.home.ne.jp/romantic-hakata/rekishi-goushou.htm

また、それはおいおい、と。


 なお黒田官兵衛の黒田家の本業は神社ネットワークを通じた目薬や大麻(お札)の製造販売とその儲けたお金を貸し付ける、いわば金融業だ、と言う旨の紹介がNHKで放送され、びっくりしました。

その意味では黒田家や麻生家は変わらないんだなー、とも思いました。

 ちなみに、官兵衛の直系子孫は、代々「長○」と名乗ることが多く、当代(16代)の長高氏は会社の社長さんで、父の長久氏は鳥類学者で今上天皇のハトコにあたり、祖父の長礼氏も鳥類学者で戦前は侯爵、曾祖父の長成氏は貴族院副議長を務め、その前が最後の福岡藩主長知氏です。
 天皇とも関係があった、と言うことです。

これで天皇の子どものさやかさんが黒田家に嫁いだのも、あっ、やっぱり、と。

 逆の見方をすると、天皇家も黒田官兵衛や麻生家の一族と一帯となって生活をしているのです。

ただ既に黒田さやかさんのお母さん自体が黒田家との可能性もありますけどね。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q109281810

 ところで、つい最近、わかったことは、やっつけられたと思ってた徳川家は、実はしっかり欧米の金融マフィアのロスチャイルド家と繋がっていて、取引していたことです。

それが先日、開催された「徳川家とロスチャイルド家の世紀のトーク&コンサート:日本史と世界史がリンクした」を元にしたブログで語られていたのです。


なぜ今「ロスチャイルド家と徳川家」なのか? 明治維新の真相とそれが導く明日の世界

http://bylines.news.yahoo.co.jp/haradatakeo/20140317-00033597/

4月、「ロスチャイルド家と徳川家」が東京でイヴェントを実施

4月22日(火)、東京にあるコンサート・ホールで一風変わった演奏会が実施される。

題して「徳川家・英国ロスチャイルド家 世紀を超えた奇跡のコンサート&対談」ということだ(主催:「世界平和コンサートへの道実行委員会)。

出演するのは我が国における徳川家の宗家を継ぐ立場にある徳川家広氏と、欧州系国際金融資本として知られるロスチャイルド家の中でも英国系のファミリーの一員であるバロネス・シャルロット・ドゥ・ロスチャイルド女史である。
・・・
「1862年の文久遣欧使節」が全ての始まりだった

もっともこの様に語ると「なぜこのタイミングであのロスチャイルド家が?」と大変いぶかしく思われる読者も多いのではないかと想う。

・・・・・・・・・・・

●具体的には1862年に派遣された文久遣欧使節がカギを握っている。

福沢諭吉も参加したこの遣欧使節については、なぜか我が国においてその後語られることが少ない。

だが、この時、使節団はロンドン・シティ(City of London)の金融街においてロスチャイルド家と面会し、世界の現実を知った経緯がある

●このことは当時から現在まで我が国において刊行された史料には一切記述がない。

そのため、国史学の世界では完全に無視されてきた。

だがロスチャイルド家がインターネット上で閲覧に供している歴史文書館(Rothchild Archive)ではこの時、徳川幕府から使節がやって来て会見した旨明記されているのである

●そしてこの会見において日本側が悟ったのは米欧によって構築されつつあるグローバル・マクロのシステムと、それまで我が国と華僑華人ネットワークが「日本=中国=東南アジア」にまたがって構築してきた資金循環システムとの間で「金銀の交換比率」を巡り大きな差が生じてしまっているということであった。

このままでは前者が後者を押しつぶすことが明らかであったため、徳川幕府はそれ以外の国内諸勢力と語らって、国内外が「納得のいく」体制転換劇を演じることにした。

それが明治維新の真相である

●「明治維新後、影響力を失った」とされることの多い徳川家であるが、そうした認識は決定的に誤っている。

なぜならば戦前期の我が国が最も円熟し、新しい大国としての威信を持つに至った1913年から1933年までの実に20年にもわたる時期において、貴族院の議長を務めていたのは徳川家達だったからである(ちなみに徳川家達は最終的に「返上」することになる1940年夏季東京オリンピックの組織委員長であった)。

当時の貴族院は現在の参議院とは大きく異なり、実質的に政治的な決定を下す機関として機能していたことから、その影響力は極めて大きかった。

そして正にこの時期にロスチャイルド家は我が国に対して盛んに投資を行い、利益を上げていたのである


 なお、極めつけは徳川家達のWikepediaに書かれてある事実だ。

しっかりと明治維新後も黒田家と徳川家はタグを組んで天皇の貴族院で政治の中枢に入り込み、天皇ビジネスのオリンピックや日本赤十字社のトップを務めているのだ。

その天皇一族を中心とした支配構造は現在も変わらないだろう。

 ・・・第4代から第8代までの貴族院議長、ワシントン軍縮会議全権大使、1940年東京オリンピックの組織委員会の委員長、第6代日本赤十字社社長などを歴任した。
・・・
明治36年(1903年)から昭和8年(1933年)まで貴族院議長を長く務めた。

同じく貴族院副議長を長く務めた黒田長成とともに、万年議長・副議長(※コンビ)と呼ばれた。




また、ここにも明治維新の真実を語るブログがある。

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-227.html

 このように明治維新後もしっかり徳川家は貴族院議長(現在の参議院)を務め、皇室とも結びつき、金融ビジネスなどを通じ、庶民からお金を吸い上げる支配体制に組みしていたのです。

 うーん、寄らしむべし、知らしむべからずか!

普通の人にはすぐ理解できないわなー、この金融による支配体制は。


お金ができる仕組み。銀行の詐欺システム(1/5) Money As Debt

https://www.youtube.com/watch?v=iqlxMp3dR7Q




 黒田官兵衛ら天皇エタの田布施システムのビジネスとは 2014/4/22

https://www.youtube.com/watch?v=Oax8zZjCOGQ





ユダヤ世界帝国の日本侵略戦略 太田竜

http://satehate.exblog.jp/16917129/



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