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2018年07月16日07:08

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生命の変化(4)

(定義) (遺伝子によって表現される)ある形質に関して、集団が下の条件を満たすが場合、その集団はハーディ−ワインバーグ均衡にある。

1集団のサイズは無限である。(実際に無限の集団はないので、通常は極めて大きな集団と仮定される。)
2集団間に移住はない。
3突然変異はない。
4交配は任意である。
(4を正確にしようとすれば、任意交配に加え、集団のメンバーはすべて交配する、すべての個体は同数の子孫を生む、が必要となる。)
5自然選択はない。(つまり、異なる遺伝子型は同じ適応度をもつ。)

 これらの条件を言い換えれば、集団に働いて進化を引き起こす要因がなければ、進化は起こらない、つまり、遺伝子プールの頻度は不変のままである、となる。だが、これら5つの条件のすべてが満たされるということは自然の中ではまずあり得ないことである。したがって、実際の生物世界では進化は避けることのできない、ほとんど必然的な結果ということになる。
 集団がハーディ−ワインバーグ均衡にあると、進化が起こらないことを見てみよう。まず、ある世代の遺伝子と遺伝子型の頻度からスタートし、次の世代にそれらがどのようになるかを考えてみる。前と同じように遺伝子Aとa、三つの遺伝子型AA、Aa、aa を考えよう。N世代でのAの頻度をp、aの頻度をqとする。つまり、Freq(A) = p、Freq(a) = qとする。さらに、この集団は上の条件をすべて満たすとしよう。交配が任意だから、対立遺伝子は任意に混ざり合って接合子の遺伝子型をつくる。集団は無限だから、特定の対立遺伝子をもつ配偶子の確率はその対立遺伝子の頻度である。同様に、特定の遺伝子型の確率がわかれば、集団内のその遺伝子型の頻度もわかる。だから、遺伝子型AAは確率pの対立遺伝子Aの卵と、確率pの対立遺伝子Aの精子から得られる。それらを得る確率は、p2である。同じように、遺伝子型aaの確率はq2である。Aaは、Aの卵とaの精子、Aの精子とaの卵があり、それぞれの確率はpqなので、合わせてpq + pq = 2pqとなる。
(集団がハーディ−ワインバーグ均衡にあれば、遺伝子頻度と遺伝子型頻度の間には、遺伝子頻度がわかれば、遺伝子型頻度がわかり、その逆も成立する、という関係がある。)
さて、時間の経過と共に遺伝子型頻度と遺伝子頻度はどのようになるだろうか。それらに何の変化も起きていないことを見てみよう。遺伝子型は同じ適応度をもつので、それらに変化を起こす原因はない。だから、それらの接合子からできる個体は同じ遺伝子型頻度をもつ。これら個体が次世代の配偶子をつくる。それら配偶子の遺伝子頻度は次のようになる。AAの個体からの配偶子はみな遺伝子Aを、Aaの個体からの配偶子の半分が遺伝子Aをもつので、次世代に伝わる遺伝子Aの頻度はFreq(A) = p2+(1/2)2pq = p2+pq = p(p+q)となる。p + q = 1であるから、Freq(A) = p。したがって、遺伝子Aの頻度に変化はない。p + q = 1より、遺伝子aにも変化はない。次世代の遺伝子型頻度はこれら遺伝子の頻度に基づいているので、遺伝子型の頻度も世代間で変化はない。
 以上のことは何を意味しているのか。ハーディ−ワインバーグ均衡にあると、遺伝子頻度は世代間で変化せず、遺伝子型頻度も同じままである。これは有性生殖であっても遺伝子頻度も遺伝子型頻度も変わらないことを意味している。均衡状態にあれば何の遺伝的変化もなく、したがって、進化は起こらない。では、進化が起こるには何が必要なのか。明らかに5つの条件のどれかが満たされなければ、進化が起こると期待できる。正確に言えば、進化が起これば、5つの条件のいずれかが満たされていない。だから、どの条件が満たされていないか経験的に探らなければならない。そのためにいずれかが満たされていないモデルをつくり、経験的なデータと照合しながら、進化の過程を描いてみることになる。
 進化の要因は5つの条件の否定から得られるものがすぐに考えられる。それらは次のような要因で、それぞれ独立した要因である。
1遺伝的浮動:集団が無限でないことからサンプルは母集団と異なる遺伝子頻度をもつ。
2遺伝子流動:移住の遺伝子レベルでの表現で、個体が集団間を移動することによって起こる遺伝子頻度の変化である。同じ種の異なる集団で異なる遺伝子頻度が認められれば、個体が別の集団に移動すると、その集団の遺伝子頻度とは異なる割合の遺伝子を加えることになる。そのため集団の遺伝子頻度は変化することになる。
3突然変異
4任意でない交配:個体が交配相手を自分の好みに合わせて選ぶために起こる進化である。任意でない交配のある形態では遺伝子型頻度は変わるが、遺伝子頻度は変わらない。
5自然選択
 これら要因はいずれも重要であるが、以下では自然選択と遺伝的浮動についてだけ考えることにしよう。
(自然選択)
 では、このようなモデルに基づいて自然選択はどのように表現されるのか。当然ながら自然の中で起こっている選択がどのようなものかに応じて典型的な選択のパターンが抽出できる。そこから選択の形式化がなされることになる。従来、選択は決して積極的に新しい形質を生み出すものではなく、むしろ劣ったものを選んで捨て去るという働きが主であると考えられてきた。正常な型から外れたものが異常なものとして選択され、捨て去られるという考えはアリストテレスが既に指摘していることである。この場合、選択は異常なものの除去にしか働かない。選択のこの消極的な働きを積極的な働きに変えるには変異についての異なる考えが必要だった。それがダーウィンの変異モデルである。彼は正常、異常の区別を単に程度の違いと考え、それらを変異という概念でまとめ、選択の働く前提条件の一つとした。
 ホールディン、フィッシャー,ライトはそれぞれ独立に、選択によって遺伝子型頻度がどのように変わるかをモデル化した。例えば、ヘテロ接合体が最も高い適応度を持たない限り、選択は最も有利な遺伝子を固定する。一般に、可能な中で最も高い適応度の遺伝子型が固定される。このような選択のモデルの例を挙げておこう。

(例1)劣性遺伝子に不利な選択
遺伝子A(をもつ個体)と遺伝子a(をもつ個体)の間に適応度の違いがあるとして、Aがaより有利な場合、この違いを一方を基準にして表すと、Aが1なら、aは1‐sと表現できる。このsは選択係数と呼ばれている。すると、次のことがわかる。

AAが1、Aaが1、aaが1‐sであると、aは失われる。
AAが1、Aaが1、aaが1+sであると、Aが失われる。
AAが1+2s、Aaが1+s、aaが1であると、aが失われる。
AAが1‐2s、Aaが1‐s、aaが1であると、Aが失われる。
(各自確かめてみよ。)

(例2)超優性選択(Overdominant Selection)
 (例1)の場合と同じように、AA 1-t, Aa 1, aa 1-sであるとしてみよう。すると、Aの頻度pはs/(t+s)の均衡値をもつ。ここで、ヘテロ接合体が最も高い適応度をもつ。ある世代の頻度が均衡値より低ければ、この値まで上がる。また、均衡値の上にあれば、均衡値まで下がる。(これも各自確かめてみよ。)

 選択モデルだけで確実に説明できる事実は意外に少なく、それは自然の選択を説明する際の困難さを物語っている。

(問)工業暗化と鎌型赤血球について調べてみよ。

(なぜ自然選択はランダムな過程ではないのか)
 集団内の個体の形質の適応度に遺伝可能な違いがあれば自然選択は働く。有機体の適応度は生存と生殖の能力であり、それは確率を使って表現される。例えば、有機体が卵から成体まで生存する能力に違いがあることは、異なる有機体が異なる生存の確率をもつことを意味している。
 適応度は確率によって表現されるので、自然選択による進化において偶然が役割を演じることになるように見える。しかし、偶然が役割を演じるならば、自然選択はランダムな過程ということにならないのだろうか。
 選択の過程がランダムなら、異なる可能性が同じ確率をもつことになる。壷からのランダムな抜き取りによる公平な賭けは同じ勝率をもっている。しかし、異なる可能性が全く異なる確率をもっているなら、その過程はランダムではなくなってしまう。たばこを吸い、脂肪分の多い食べ物を摂り、運動をしないなら、その人はそうでない人より人生が短い確率が高いだろう。この場合、人生の長さの決定はランダムではないだろう。
 自然選択は異なる確率を含み、そのためランダムな過程ではない。ランダムという概念は進化論では中立仮説(後出)が考えられる場合に問題になる。集団の対立遺伝子は適応度が同じであっても、自然選択ではなく遺伝的浮動によって遺伝子頻度は変化する。ランダムであることは進化論では重要な問題であるが、それは自然選択の過程にはない。
 進化論では「ランダム」という語が突然変異の過程を述べるのにしばしば使われるが、それはこれまで述べてきた意味とは異なっている。突然変異が有機体の役に立つゆえに生じるのではないという意味でランダムという語が使われている。ある突然変異が別の変異より高い確率で起こる物理的な理由があるだろう。「ランダムな突然変異」は異なる変異体が等確率であることを意味していない。

(問)「ランダム」という用語の異なる意味を挙げ、それらの違いを述べよ。

(遺伝的浮動) 
 4の任意交配が成立している集団では、新しい世代の遺伝子は親の世代の遺伝子プールからのランダムサンプリング(任意抽出)である。同じ適応度の対立遺伝子の頻度は遺伝的浮動によってランダムに変化する。ある座位にある二つの対立遺伝子が同じ適応度をもつなら、ランダムサンプリングが集団の頻度変化を起こす。ハーディ−ワインバーグ均衡は小集団では成立していない。遺伝的浮動が集団においてどのように現われるか以下にまとめておこう。

1小集団において、次世代を生み出す配偶子のランダムサンプリングは遺伝子の頻度を変化させる。このランダムな変化は遺伝的浮動と呼ばれる。
2 遺伝的浮動は集団のサイズが小さい程より大きな遺伝子頻度の変化を引き起こす。
3小さな集団が新しいコロニーをつくるなら、それは元の集団の遺伝子頻度を反映していない可能性がある。
4遺伝的浮動によって一つの遺伝子が別のものに置き換わることができる。集団のサイズとは独立に、中立的な進化の比率は中立的な突然変異の比率に等しい。
5小集団で突然変異がないなら、一つの対立遺伝子が一つの座位に最終的に固定されることになる。つまり、集団は最終的に同型になっていく。ハーディ−ワインバーグ均衡は小集団には適用できない。浮動の効果で変異の可能性が狭まり、均衡が維持できないからである。

(問)遺伝的浮動が存在する条件を(ハーディ−ワインバーグ均衡の条件を参考にして)明らかにした上で、浮動が生物世界にだけ見られる事柄かどうか述べよ。

 過去に進化のメカニズムに関して大きな論争があった。自然選択は進化の唯一、あるいは主要なメカニズムなのか、それとも他のメカニズムが大きな役割を演じるのか。最初の論争はフィッシャーとライトの間で起こった。それは自然選択と遺伝的浮動の相対的役割に関するもので、進化においていずれがより強い役割を演じるかという論争だった。遺伝的浮動は個体の生存や生殖の違いに因果的に関係がない形で起こる。浮動が起こるのは生物学的な原因ではない。一方、自然選択は個体の生存、生殖の成功・失敗に因果的に関連する形で起こる。例えば、赤と緑の小魚の集団が赤と緑に関して色盲の捕食者に食べられるとしてみよう。色のタイプの違いはこの場合、小魚の集団の生殖の違いに何の影響も与えない。だが、特に集団が小さいとき、世代交代を通じて集団の色のタイプの頻度に違いが生じる場合が出てくる。例えば、集団のメンバーがすべて赤になるかもしれない(浮動による集団の変化は、例えば、公平なコインを10回投げて、すべて裏が出る場合があることと同じである。すべて裏が出る可能性は低いがないとは言えない)。これは集団の遺伝子頻度が変化するという意味で進化ではあるが、適応的な進化、すなわち、自然選択による進化ではない。(なぜか。)遺伝的浮動は、したがって、自然選択とは別の進化の要因である。浮動がバイアスのないサンプリングとすれば、選択はバイアスのあるサンプリングである。浮動は適応的ではない(つまり、選択に関して中立な)形質が偶然に増えたり、減ったりするような変化である。ライトが小集団に起こる浮動の役割を重視したのに対し、フィッシャーは大きな集団を基本にした自然選択の役割を重視して、対立した。

(問)集団のサイズが小さいと浮動の効果が大きくなることを説明せよ。

 二番目の論争は20世紀後半のもので、分子レベルの進化に関するものだった。分子進化の中立説(Kimura 1969、1983、木村資生、1924-1994)は、分子レベルの進化的な変化の大半は中立的な突然変異に働く遺伝的浮動の結果であると主張し、この説の出現によって自然選択と遺伝的浮動の相対的な役割に関する論争が再燃した。(しばしば中立説−選択説論争と呼ばれる。)この論争は現在も続いている。最近の論争では「ほとんど中立的(almost neutral)」な説が概念的、経験的に意味があるかどうかが議論されている。また、中立モデルが経験的に十分ではないと主張する人でも帰無仮説モデル(null-hypothesis model)として有用であると主張する場合がある。
 自然選択と遺伝的浮動の相対的な役割に関する論争は多くの哲学的問題を生じさせた。まず、概念上の問題がある。ビーティ(Beatty、1984)は幾つかの場合、遺伝的浮動と自然選択は概念的に区別できないと論じた。彼の議論は自然選択も浮動も確率的な概念であり、概念的に重複するという事実に基づいている。しかし、彼の議論が正しければ、中立説−選択説論争の基礎そのものが問題となる。二つの概念は結果だけを見れば区別できないところがあるが、選択や浮動を過程と見れば、過程としては明らかに異なっている。(どこが異なっているか。)
 二番目に、浮動が進化において僅かな役割でも演じるなら、それは進化が非決定論的であることを意味するのかという点である。ローゼンバーグ(Rosenberg、1988; 1994)は全能者的な進化の説明には浮動概念は必要ないと考える。つまり、浮動のどんな例も自然選択によって説明できると考える。彼はこの考えを使って、進化の理論は統計的であるが、進化の過程は決定論的な過程であると論じる。したがって、彼によれば、進化理論が統計的な考え方をする理由は道具主義的な理由だけである。それゆえ、浮動は有用なフィクションに過ぎないことになる。ホーラン(Horan、1994)も進化過程の決定論的性格を主張している。これに対して、例えば、ミルシュタイン(Millstein、1996)は進化理論では浮動を消去できないと論じる。さらに、ブランドンとカーソン(Brandon and Carson、1996)は科学的実在論の立場から、進化過程は基本的に非決定論的であると主張する。
 決定論か非決定論かの論争はまだ続いているが、その論争と密接に結びついた、進化論での確率がある意味で客観的かどうか、あるいはそれらは認識的なものに過ぎないのかという問いは重要である。(量子力学での確率の使用を思い出し、比較してみよ。)進化過程が非決定論的ならば、この問いへの解答は明らかである。進化理論は客観的な意味で確率的な理論である。他方、進化過程が決定論的でも、進化理論が用いる確率が頻度として客観的な意味をもつことを主張できる。

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