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2018年03月24日15:47

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正宗白鳥『文壇五十年』の筆鋒〔その2〕文壇の裏通り秘話ー島崎藤村と菊池寛のこと

「続文壇五十年」の「文壇人の洋行ー心にのこる抱月と藤村の洋行」に及んで、白鳥の筆鋒は裏通りにも入り込んで、辛口塩味は一気に強まるようだ。「藤村は、自然主義作家の第一人者であり、抱月は自然主義擁護論者の第一人者であった」が、「藤村の洋行は、抱月におくれる事、十余年」のことである。洋行費を捻出すために「破戒」「春」「家」その他の短編集などの著作権を売却するなど「陰惨なものであった」という。

三年余りのパリ流浪の貧窮は措くとして、藤村の「新生」は「彼の純粋の創作欲から製作されたのかと云うと、そうとばかりは云い切れない」と、文壇の裏通りを覗かせる。「秘密の恋愛沙汰」を抱えていた藤村は、「老婢の口から秘密が洩れて新聞記事にもなりそうな気色が感ぜられたので、それに先んじて、自分でその真相を叙述し、文学化して、世間の目を晦まそうとしたのだという説が流布されていた」というのである。白鳥は「私は有り得べき事であると思っていた」というのみか、「藤村はつまりは、この作品によって救われたと云っていい。……若い一女性を犠牲として、藤村の文壇地位は一層の飛躍を遂げたのである」と冷徹に言い添えてはばからない。その他もろもろは省くとして、白鳥の筆鋒は生き生きと冴えている。

もう一つ裏通りの秘話。戦後再開された菊池寛賞を取り上げ、第一回の「銓衡も当を得ているようである」としながらも、授賞する「吉川英治、読売新聞、週刊朝日、岩波書店、みんな名声隆々たる大成功者なのだ。こういう大成功者を推薦し授賞するのは、事大主義のにおいがしないでもない」と苦言を呈するまでは表通りである。黒岩涙香の『巌窟王』『あゝ無情』など翻案物の流布しなくなったのを惜しみながら、「新聞小説家は外国の通俗小説を捜して、そのうちの日本向の優秀なるものを翻案したらいいと思う」と戯言を弄し、あろうことか「菊池寛はそれをやったらしい」(「菊池寛と新聞小説」)と暴露するのである。

菊池寛賞の再スタートにちなんで、「文藝春秋」に掲載された小島政二郎の「菊池寛」に、「菊池の作中の傑作と云われる作品には、必ず新しい、これまで彼自身の小説は勿論のこと、その外の誰の小説にも現われたことのないような新鮮な性格の女が出て来る。それがどれも如実に血肉を与えて描写されている」と称賛するのに対し、白鳥は否とするのだ。そう言えば十数年後、『聖体拝受』を連載中の小島政二郎から、文春ビルの辻留でご馳走になったことを追懐するのであるが、逝くもの日々に疎しということか。

それはともかく、菊池寛は「百万円稼いで、惜しげもなく八十万円女のために使ったと云うので、その方面の経験が豊富であり、しかも、外国の大衆小説を何百冊となく買って来て読んで、それから種を取ったり、ヒントを得たりするのだから、鬼に金棒と云った訳で、新味あり生気ある女性を描いた小説が続出したと云うのはさもあるべき事である」と“白鳥爆弾”を炸裂させている、というよりも当時においてはすでに周知の逸話だったのだろうか。
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