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2015年08月27日06:33

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さがしてごらんきみの牛 その1

 「失った心の牛をたずねる精神の旅路。伝統の十牛図の世界がひとりの女性の魂によって極彩色のファンタジック・ワールドとして現代によみがえる」……という帯がはいった “詩画十牛図『さがしてごらんきみの牛』” (英訳付き)が禅文化研究所から発行されたのは1987年の秋のことだから……早いもので、あれからもう30年近い年月が流れ去ったことになる。

 この絵本の絵と本文を描いたのは、当時、お寺という環境からぼくを世間へと連れ出して、OSHOの講話『Take it Easy (一休道歌)上下巻』の翻訳出版を影から渾身の力で支えてくれた当時のパートナー、マ・サヴィタ……、ぼくはこの作品をその恩返しのつもりでプロデュースし、また本文を英訳したり、河合隼雄さんにお願いして、後書きのコメントを添えていただいた。

 そんなことが可能だったのは、当時、僕が不思議な縁で河合隼雄さんの自宅に通って、個人的なカウンセリングを受けている真っ最中だったからだ……。夢の話と箱庭を中心としたセッションは足掛け 7 年ほど続くことになるのだけれど、『さがしてごらんきみの牛』は、そのプロセスの初期に同伴者のようにして生まれ、そして、あっという間に絵本というかたちをとって羽ばたいていった。

 だから河合さんは、この作品ができあがるプロセスに立ち会っていただいた当事者のひとりということになるし、また、この作品のイマージュをとても高く評価して、海外での講演会の素材としても紹介していただき、その内容は『ユング心理学と仏教』(岩波書店)の“牧牛図と錬金術”の章、その7「現代女性による牧牛図」でも取り上げたりして頂いている。

 この作品には、男女の軸で表される西洋のエソテリックな錬金術のプロセスと老若の軸で表される東洋の自己探究のプロセスの四つの軸が内包されていること、探究のプロセスに満ちゆく月が用いられていること、白黒の世界ではなく極彩色で描かれていることなど……伝統的な十牛図には見られなかった新しい要素が多分に含まれているということに、河合さんは大いに着目されたようだ……。

 また、出版の条件を整えてくださったのは、現在、国際禅学研究所の編集主任であり、現代日本における白隠研究の第一人者である吉澤さん……当時、吉澤さんは花園大学のキャンパス内にあった禅文化研究所の編集責任者だっのだけれど、吉澤さんとは、ぼくが花園大学在学中、彼が大学の広報室長だったころからのおつきあいで、親しくさせていただいていた関係から、とんとん拍子で、絵本というかたちをとることとなっていったのは、今から思うと、不思議な風が吹いたからだとしか言いようがない……。

 ユング心理学の第一人者と白隠禅研究の第一人者によるサポートを得るという恵まれた状況のなかで、この不思議な牛の絵本は世間へと送り出されて行ったのだった。こうした不可思議な縁に恵まれ誕生した『さがしてごらんきみの牛』を、京都の街中でみつけた“ゴジラ卵のオモチャ”と一緒に、88年の秋にoshoのもとへ携えていったのでした……。

 『さがしてごらんきみの牛』は、88年12月のOSHOバースデーの OSHO TIMES 特別バージョンに紹介され、ゴジラ卵は、OSHOが気に入って、馬祖シリーズの講話の最中に持ち出して、心底おもしろそうに笑い、「そう、これこそまさにぴったりの卵だ」とつぶやいたのでした……

 残念なことに、『さがしてごらんきみの牛』はもう手に入らないようです。禅文化研究所から吉澤さんが抜けたあとは、再版予定はないとのことだし、もう書店での在庫も空になってしまっているので、古本屋で偶然みつける以外に方法はないということになります……

 インターネットで検索してみても、絵本の表紙の画像さえ入手しにくい状況になっているのに気がつきました。先日、ニルグーノの日記で、徳力さんによる十牛図の版画が話題になっていたので、ふと『さがしてごらんきみの牛』のことを想い出され、懐かしくなったので、今回、得牛、牧牛、騎牛帰家の三枚だけをアップしてみました。

 彼女が用いた技法は、透明なフィルムで版を何枚もつくり、一枚一枚色を変えて、歯ブラシと網を利用して水彩絵の具を微粒子にして吹きかけて描くというずいぶん手間のかかる、そして、風などに左右されるアナログ的な技法がつかってあるので、暖かみが出ているのだと思います……。
 
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