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2018年01月22日01:17

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胃が… 絶対におかしい!

毎々、書くけれれど我が家は胃病持ちの家系だ。
オヤジ・叔父に祖父母のどちらかも。
“遺伝だから”“家系だから”と、他人は言うけれどこれはどうにも腑に落ちない。

だってそうだろう!

癌は遺伝や家系を問わるのは承知している。
そして、自分は腎不全から透析治療の身だが我が家の家系で祖父母まで遡っても(それ以前は分からないし、調べもつかない)“腎不全”或いは“透析患者”と言うのは誰独りとしていない。
事実としていない。

我が家の家系では癌もいないことになっている。
お袋の系統は祖父母までしか(母方)遡れないが、何しろ癌患者はいないことになっている。
突然変異⁈

透析治療患者は誰しも聞かれるのか?知らないが、父型・母方に透析患者はいない。
と、思う。
調べようにも調べがつかない。
何故なら、親父自身が壊れて記憶は曖昧な上に錯誤が甚だしく“この間、何時会った?”
と、聞くのは壊れている証拠。

一般にはそれを称してか、纏めてか便利な言葉で“ボケた”と言って済ます。
ボケがありうるのは目の前に呆けた祖母を見て承知し、了解している。
然し、肉親=3親等以内で呆けた人は祖母だけだ。

それが土地柄なのか?
或いは、遺伝的な物なのか知らない。
知った所で対処する術を知らぬ。

ボケる、と一般的には済ますが段階があって突然、壊れた人になる訳ではない。
前提条件のようなものがあって、兆候があるらしい。
祖母の場合は目の前に孫の、嫡子である自分を指して祖母の弟だと言った!

これは正にビックリマークで“!”と、“?”しかない。
周囲の人間は、身内と言える婆様からして二親等以内の倅や娘に孫である自分たちを指す。
そこには例えば、月に1度以上会っていると言う親密感とか、我が家で何年一緒に過ごしたかとか、そう言うのは関係ないらしい。

その日・その場で目の前に現れた人間を女性なら娘・野郎なら息子と言う親密さだけで断じる。
“婆ちゃん、俺だよ。シエルだよ!”と言うと、“否、お前は○○じゃ”とか勝手に決める。
そこに交渉の余地もなければ全てが祖母の独断だった。

これを目の当たりにした時の驚きは正しく、“言葉がない”以外にない。
祖母からすると2親等の孫も10年近くいる孫の中から親しさではなく、その時の気分のように従姉弟都たちを他人にしてしまう。
皆が皆、お手上げだった。

帰り道、親父や亡くなっている伯母や伯父を含めて人の判別が出来ないらしい。
この現場に数回、居合わせたが本人は独断しているが錯誤を受け入れないので他人の従姉弟や叔父や叔母を演じて済ます。
そして、1時間も病院=正しくは療養施設と言うべきか?に居て親父や伯母・叔父などが皆が揃って無言。
と言うか、言葉なし。

これは何とも寂しい光景である。
祖母は紀州は高野山の麓、女人高野と言われた門前町の出だがそこに地域性などはないだろう。
いつも病院を出て皆が揃って無言で葬式のような感じ…

爺様は苗字で分かる通り、琉球出身である。
大阪市立工業高校とかの卒業証書を見たことがあるが、親父が庭で燃やした。
琉球から江戸ではなく、大阪に出てそこで婆様とどういう馴れ初めか一緒になって4男2女をもうけた。

大阪市立(府立ではない)工業高校がどんな学校かも知らない。
筆が達者で達筆で墨を擦って筆で自分の名前を記した“命名 宗健と記した署があった。
弟のはなかった。
どうして、どうやって、沖縄ではなく琉球=他国から大阪に出て来たのかも知らない。
然し、その工業高校の卒業証書だけは親父が祖父の遺品を片付けるのを手伝って見た記憶がある。
現物は親父が焼いて捨てたんじゃないかな。

抑々、琉球出身の爺様が大阪に出てきて紀州の山奥出身の婆様とどう言う馴れ初めで一緒になったのかもよく分からない。
対して、お袋方は祖父が財を築いて街中で○○と言えばツケが効くような家だったとか。
要するに、祖父は琉球出身と言うと聞こえは好いが琉球から脱藩の体だ。
祖母は紀州の山奥から大阪の市内に勤めに出てそこで祖父と出会った、と、

当時、大正年間から昭和に掛けてでだろうが琉球は沖縄県ではなく他国である。
どうやって、琉球=沖縄から大阪に出て来たのも分からない。
が、厳然として大阪市立工業(府立ではない)の祖父の卒業証書は自分も目にしているし、それを親父が眼前で燃やした。

因みに親父の生まれは千葉の市川。
何故、市川かも自分は知らない。
何しろ、祖父は引っ越し魔だったらしい。
転居回数は親父も亡くなった伯母たちから聞いていない。

唯、工業高校出てと言うのは就職に手っ取り早かったのか?
或いは、腕に自信があったのか?
分からない。

因みに祖父は長男ではない。
生前、一度だけ祖父の兄貴と言う人が上京して会った(らしいが記憶なし)我が家のシエル家の沖縄の墓はそれはスゴイ規模のものだったとか。
でも、祖父は清貧に甘んじて苦労して大連に渡り大阪に出て来たようだ。

もう、過去の記録・記憶を記したものはなく親父自身も故障中で治癒見込み無し。
他人様はいざ知らず、自分はそのルーツとか血筋とかに興味が大だったのでかなり聞いたが、小学校低学年で。
良く分からない。

記録は勿論、記憶のある人が少ない。
大阪から満州に何を目的に出たのかも分からない。
一攫千金的な夢でもあったのか⁈

然し、婆様は紀州弁が抜けなかったが祖父はキチンと標準語で話していた。
当然、江戸言葉。
自分が祖父母を含めたルーツを知ったのは数十年前でそれがどこまでマコトか判断できない。
所謂、客観的証拠に乏しい。

そして、記憶のある限り祖父は都営住宅で果てた。
自分の倅などに世話になるのを潔く追わなかったのかも。
沖縄でなく琉球出身と言うのが引け目立ったのかも。

然し、自分には伝わらない=遺伝していないが達筆で細かく短気な人だったらしい。
大体、大阪市立工業高校出と言うのと大阪府立工業高校にどの程度の差があるのか?分からぬ。
祖父から伯父・伯母・親父に叔父と誰も伝えてくれない。

でも、態々大阪から満州に渡ったからには一攫千金は無理でも何か野望や野心はあったんだろう。
手先は細かかったし、筆は達筆で少しでも遺伝していれば…
お袋も親父以上の達筆で書道検定何級だか何段だかだったとか。

戦後70年以上も経つと全てが曖昧だ。
惜しむらくは細かい記録でも残っていればと思うが、祖父が逝って親父が全て切って燃やして破棄した。

人は自分のルーツを知りたい人種のようだ。




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