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2017年02月21日16:17

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なぜ? 米版VOGUE誌で日本人の格好で撮影された写真に批判、モデルが「文化を横取りした」と謝罪へ

なぜ? 米版VOGUE誌で日本人の格好で撮影された写真に批判、モデルが「文化を横取りした」と謝罪へ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=4437424

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米版VOGUE誌の2017年3月号で、アメリカ人モデルのカーリー・クロスが日本人の格好で撮影した写真が「文化的横取り」と批判されています。クロスはTwitter上で「これらの写真は私とは関係ない文化を横取りしたものであり、文化的に敏感ではない撮影に参加して申し訳なく思っています。私の目標はずっと、女性たちに力を与えインスパイアすること。今後、撮影や企画ではこの使命を守っていきます」と謝罪しています。

【画像】批判の的になったVOGUE表紙

 日本で撮影されたという写真では、クロスがおしろいや赤い口紅でメークされ、黒髪にかんざし、着物をイメージしたような衣装をまとった姿に。同誌の過去作品をオマージュしたもので、日本の伝統的な文化が欧米の感覚で解釈された作品という印象です。

 クロスは謝罪しましたが、日本では「何が問題なのか分からない」ととらえる意見も多くみられます。日本版VOGUE誌の2014年11月号でモデルのミランダ・カーが芸者を思わせる格好で表紙を飾り、さまざまな日本の文化を取り入れたスタイルを披露した際も、日本では特に問題とならず、海外メディアで「文化的横取りでは」と議論されました。このときオーストラリア版The Conversation誌ではその問題点を、「見えない白人の特権で、差別を感じることもなくほかの人種になりきって遊ぶ」「文化の神聖さを消し去り単なるファッションやアクセサリーにしてしまう」などと指摘しています。

 クロスの参加した撮影が批判されたのは、1つはこれがハリウッドでしばしばみられるホワイトウォッシング(主に白人以外の役柄に白人が起用されることを指すことが多い)ではないかというもの。最近では2017年3月に全米で公開される実写版「攻殻機動隊」で草薙素子役にスカーレット・ヨハンソンが起用されたことで議論がわき起こりました。今回は、ハリウッド同様アジア人にチャンスの少ないファッション業界で、アジア人のルックスが求められた企画に白人のモデルが起用されたこと、またVOGUE誌はこの3月号で現代女性の「多様性」を打ち出すとしていながら日本文化をイメージした撮影にアジア人を起用しなかったことが批判の的になっています。

 さらに大きな問題となったのは偏ったイメージによってアジア人の「扮装(ふんそう)」をする“イエローフェース”。以前もフランス版VOGUEが、オランダ人モデル、ララ・ストーンの肌を黒塗りにして撮影し批判を受けたことがありました。ブラックフェースは、かつて白人が顔を黒く塗り侮辱的に黒人をまねたミンストレルショーという背景があるため、現代では広い文化圏でタブーとされています。VOGUEによる今回の“イエローフェース”と過去の“ブラックフェース”を並べ、このように肌色を塗ったり文化を安易にまねることを「白人の遊び」と表現する海外メディアも幾つかみられました。

 日本は黄色人種の割合が圧倒的に多いため、こうしたことをさほど意識することもなく、今回の出来事を不快と感じる人もあまりいないようですが、海外では日本人も黄色人種として意識せざるを得ないさまざまな差別に遭い、それらを見過ごすことの危険性も実感することになります。だからこそ今回のように、当の日本人には過敏に思えても海外で大きな声があがるといったことが起るのかもしれません。

 また、「多様性」をテーマにしているこの表紙を飾る、7人のモデルのうちアジア人は向かって左端の中国人モデル、リウ・ウェンのみ。さらに向かって右から2、3番目に黒人モデル、残り4人のうち1人はオーバーサイズのモデルとしてふくよかな体形が人気のアシュリー・グラハムが務めていますが、彼女だけが腕をだらりと垂らしています。これに対し「彼女だけほかのモデルと同じように太ももを細くみせるためにそうさせている」と批判するコメントや、グラハムの腰にかかるジジ・ハディットの指が長すぎると画像の修正を疑うコメント、2人の黒人モデルは意図的にかなり肌の色が薄い人を選んでいるとしたり、ラテン系のモデルがいないと指摘するコメントも。「全然多様じゃない」「人種差別の表紙。グッジョブ」「カーリーは謝ったけど、あなたたちはまだだね。待ってるよ」と厳しい意見が並んでいます。
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この問題、いろいろと見ていると幾つかの意見があった。
https://togetter.com/li/1083329

これを白人によるcultural appropriation(文化剽窃)と見做す意見。『米国の人種的力関係の中で、強い人種(=白人)、は弱い人種(=特に黒人)の文化の真似をするな』という考えの根底には米国がレイシストな社会であることを理解しなければならない(@buvery)。

「マジョリティ民族は許可なくマイノリティ民族の民族衣装を着てはならない」という意見(@itangiku)。

いずれにしろ、これはアメリカの国内問題である、ということを理解する必要がありそうだ。この考えを彼らが外にも要求するなら(その可能性はある)問題であるが、あくまでもこれは彼らの国内での問題意識に過ぎない。

それを考えてみれば、人種、もちろん、人種に関する広い知識があるとは思えないので、アメリカでの実態とは、肌の色と顔つきだけであろう。これは多様なコミュニティの混合(結合ではない)としてのアメリカ社会という考えがいるのだろう。

司馬遼太郎によれば、文明とはglobalであり、文化とはlocalと定義している。その見方が正しいかどうかは知らないが、一つの視点としては役に立ちそうである。

別にこの考えを敷衍しなくても、アメリカのような社会では文化はそれぞれのコミュニティが持つ武器という考えなのだろう。それを剽窃するとは、要は、あんたがそれをやったら誰も勝てないじゃないか、それはフェアとは言えなくなる、という本音ではないか。

アメリカの大学にもアファーマティブアクションがある。アメリカに存在するコミュニティは元来、平等とは言えない。あるコミュニティに生れ落ちた時点でスタートラインが違う。このような考え方で是正が必要と考える彼らが、個々人の資産においても全く同根の問題があることを無視してきたのは興味深い。トランプが対立したのもこの点にあるだろう。

いずれにしろ、これは日本はなんらお呼びでないアメリカの国内問題であって、そこにおける平等とは競争におけるフェアネスの追求であって、白人はそれまで有利であった時点で、制限されるという話なのだろう。競馬で馬にハンデ(重り)が乗せられるのとまったく同じ構図だろう。

それが証拠にこれを批判する人たちが日本の文化について詳しく知っているはずもないし、日本の意見を聞いたこともないだろう。彼らが問題にしているのは、日本風文化を扱うのはまずはあんたじゃないという意見なのだろう。それを差別という言い方まで持ち出しているのは、単に彼らの頭の悪さであって、彼らの悪意によるものではなかろう。

なぜそれが差別になるのか、白人が顔を黒く塗る。そこに彼らに差別意識はなくても、例えば黒人が顔を白く塗ったらその行為には、きっと悲しみを含んでいるだろう。逆のことをやったら、どうなるか、という考えを少しでも想像できるならば、その行為はすべきではない、という方法論の問題といえるかも知れない。

彼らが対称性を重んじるのは一種の文化であろうが、逆のことをやっても問題ないものだけをとりあえず認めようという話なのかも知れない。だからそこにアートという考えが起きる。そこに何等かの明白なメッセージがある場合は除くという例外を設けるのではないか。

するとこの日本コスプレにはそういうメッセージ性がないだろ、ということは単なる経済活動である。経済活動なら、あなたが真っ先に手に付ける必要はないはずだ、という批判が、主にアジア系から起きても不思議はない。

これらの作品を作った人は日本的イメージの新しい形を提供できると思ったかもしれない。そのメッセージが受け入れられなかった、という話かも知れない。

日本から見れば、白人とジャポニクスの融合は面白い試みなのだが、彼らからすれば、それはない、それは面白くない、と感じるだけのバックグランドがあるのだろう。それは目新しくもないし、斬新でもない。ただの剽窃だ、という訳であろう。つまりこの程度の企画をお前がやる必要性がどこにあるのか、それを答えてみろ、と言っているのかも知れない。

問題はそれを経済問題であるはずなのに、差別として主張するのかという点に尽きる。これを差別問題というから大袈裟に理解できなくなるのであって、モデル業界の既得権益の争いだと考えれば、日本にも同様の問題がある。能年玲奈がテレビでは本名を名乗れないとか、これは差別どころか、基本的人権の侵害だと思うが、日本では誰もそれを問題にしない。

それと似たような構図があるのではないか。という問いをもっと突っ込めば、マジョリティとマイノリティと呼んだ人が一番の戦犯であろう。白人をマジョリティ(多数派)と呼ぶのには既にアメリカの実情に合致していない。だからトランプは勝てたのだとさえ言えるはずだ。

文化は武器である。それはアニメは日本の重要なコンテンツというのと同じだ。では日本風アニメをほかの国が作り出したらどう考えるか。我々は「やられた!」と思うだけである。「面白ければそれでよい」と考える人もいるだろう。元来がわが文化は剽窃文化だったのである。剽窃というからおかしいので、日本は古来から貸し借り文化であった、と言い換えればどうか。

それに対して、いやいや、それを許していたら、アメリカンドリームは保てないだろう?という主張をする人がいても、それは驚くには当たらない。白人の自分でも気づかないその心の底に、無意識であろうと相手を見下す心がなかったか、と問われているのかも知れない。だがどんな人間だって誰かを見下していいるという事実には鈍感なようにも感じる。彼らの中に優越感というのは確かにある。これを逆に言えば、確かに我々の中には劣等感もある。


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