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2018年07月22日10:54

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原爆

1954年11月、聖フランシスコ病院の同僚として知り合ったお二人はご結婚され、原爆で破壊された浦上天主堂横の仮聖堂で式を挙げられ、新郎は原爆で亡くなった姉のためにも、「何かをしなくては。」との思いから「ヒバクシャ」の聞き取り調査を始められました。後ろの建物は、旧浦上天主堂です。父の絵にも数多く登場します。1945年8月、浦上天主堂の上空500mで原子爆弾が炸裂し一帯は猛火に包まれ、浦上に住んでいた12,000人のキリスト教信者のうち、8,500人がその日に亡くなりました。当時の長崎市議会では、世界遺産「広島原爆ドーム」のように浦上天主堂を保存する方針で進んでいましたが、米国長期出張から帰った市長の心変わりで一転、取り壊され新しい大きな浦上天主堂が完成しました。20億人を超えるキリスト教の信者に見せたくない米国の意思が動いたのです。長崎で原子爆弾が炸裂したその時、この浦上天主堂では広島原爆の被災者追悼式が行われていました。
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