死を臨んだ君と、君にシンパシーを感じる無数の人たちにひとつ言っておく。
降参し、腹を見せ、咽を晒しても、彼らは君を絶対に受け入れない。
だから
「仲間にしてよ」
という期待を持つことをやめるんだ。今すぐに。
「あなたたちの仲間としての資格を示せなくてごめんなさい」と、謝るというのは完全な失敗だ。
君たちがしなくてはならないのはそれじゃない。
「私を害するなら、私はお前たちの世界ごと壊す」
それをいつでもやれる自分になることだ。
それがないと、君は生きることが出来ない。
「彼らの一員になれた自分」という夢想を捨てることだ。
それを夢見る限り、君は彼らのあやつる術に勝てない。
勝てないから「謝る」そして時には自ら命を断つのだ。
最初から彼らの術にかけられており、それを基点にものを考えるように仕向けられているからだ。
最優先事項は「君が生きること」だ。
突き詰めれば、君が生きられるなら、代わりに他の同級生が死んでも構わないんだよ。
私がそういったなら、誰かは「それはひどい」と言うかもしれないが、しかし考えてみろ。
君はその同級生の与える「圧」により苦しみ、それを与えるものに「あやまる」をし、そしてその同じ苦しみをあじわうもの達の中から、毎年のように命が失われている。
それは「彼ら」が君に送っている「圧」を原因とするものだ。
君は幻惑されていて「彼ら」を敵と見なすことが出来ない。
それが「彼ら」の使う術なのだ。
気づいてくれ。
あれは「敵」だ。
「彼ら」が全滅したっていいのだ。
「君が生きろ」
■子どもの自殺ピーク“魔の9月1日” 「もう死にます」 どうして小6女児は死を望んだのか
(AERA dot. - 08月22日 07:02)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=4727554
ログインしてコメントを確認・投稿する