mixiユーザー(id:6327611)

2018年07月19日05:58

2061 view

小原正至監督の短編アニメ「AYESHA」を見なおして、テレビアニメ「宇宙よりも遠い場所」を思い出しました。

先日TOKYO月イチ映画祭でグランプリを取った「THE ANCESTOR」の小原監督とフェイスブックで友達になっていただき、僕はMXテレビ「あしたのSHOW」で放送した「AYESHA」(写真2)の方が好きだとお話ししたら、制作意図などを教えていただきました。

「AYESHA」は、ある星が宇宙船を打ち上げ、その星の人たちが初めて外部から自分たちの星を眺めることになるという話から始まります。多くの人が息をのんで映像を見ている中で、しかし宇宙船は事故により爆発、たった一人で宇宙に行ったアストロノーツはそのまま宇宙をさまようことになります。

しかし彼女は不思議と恐怖を感じない。目の前に展開する見たこともない光景に夢中だったから。次の瞬間彼女は、その喜びを誰にも伝えることができないと分かって恐怖します。この発想と展開が、テレビアニメ「宇宙よりも遠い場所」のカギとなっている場面を、見事に裏付けしてくれたのでした。

「宇宙よりも遠い場所」(そらよりもとおいばしょ)は、南極探検で帰らぬ人となった母親を持つ女子高校生小淵沢報瀬(こぶちざわ・しらせ)が、女子高校生仲間と南極へ行き、母親の心境に思いを馳せるという展開でした。全13話なので、紆余曲折がありましたがメインストーリーだけ抽出するとなかなかのものだと思います。

その報瀬の母親が最後に行った通信は、雑音に途切れながらも別の隊員が耳にした言葉は、“きれいだよ〜”でした。つまり僕には、「AYESHA」の前半部分とみごとにダブったわけです。死を覚悟した報瀬の母親は、自分が見ている南極の空のオーロラという絶景を、他の隊員に伝えたという物語。

一方「AYESHA」のアストロノーツは、誰にもその喜びを伝えることなく死んでしまいます。さらに彼女は何十億年も宇宙をさまよいます。そしてここからが作者のポイントですが、別の展開が待っていました。この“救い”はとてもいい。絶望が希望に変わるという、ありきたりな言葉で説明しても何の意味もない、そこには説明を超えた感動があるのです。

「宇宙よりも遠い場所」は、途中にごちゃごちゃと“雑念”が挟まっていて僕は好きではない部分が多い。しかし、母親の最後の通信内容については、そのまま捨ておくわけにはいきませんでした。その宙ぶらりんな気持ちが、「AYESHA」によってすっきりさせられたわけです。

この年になって、同世代の人間が次々と死んでいく中で、死というものを扱った作品は見たくありません。何度も書きましたが、創作活動という生が前提にあって成立する作業が、死を題材にするのは矛盾だと思う。そんな題材より、もっと生の歓びを描いてほしいものです。しかし、死というものを“正しい距離感”で扱われたら、やはり心を動かされます。

今回の僕の印象は、2作品の作者の意図とは別のものではありますが、僕にとってはたまたま近い時間を経てめぐり会った2作品によって、ひとつの印象が生まれたわけです。ほんの数分のアニメですが「AYESHA」は、忘れることのできない作品となりました。ナレーションが「風の谷のナウシカ」の主人公の声だったことも、さらなるプラス要因だったと思います。宮崎作品は好みではないけど、「ナウシカ」には惹かれるものがあるのです。

余計な話ですが、「あしたのSHOW」に出てきた小原監督(鉢巻き姿)は、作風とあまりにもかけ離れていて、番組を観つづけるのを逡巡しました。でも見てよかった。
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2018年07月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031