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2018年07月17日11:05

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映画は劇場で見ろという主張は分かるけど、この状態でテレビ放送する神経を疑います。ソフィア・コッポラ監督「The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめ」(2017)。

どういう意味かと言うと画面が暗くて、登場人物が判別できないのです。これは僕のテレビの液晶がそろそろ寿命だからという見方もあり得ますが、ほかの番組はまず問題なく見られていることからして、この映画の画面設計がテレビでの放送を考えていないのだと理解しました。

たとえばニコール・キッドマンが出ているのですが、体格などから彼女だろうと推測はつくけど、細かい表情の変化が読み取れません。キルステン・ダンストやエル・ファニングも同じ。そしてその他の登場人物たちも。←誰や?キルステン・ダンストやったら顔が出んほうがええというヤツは?

物語は、同じ原作を映画化したクリント・イーストウッド主演作を見ていますから分かります。でも、そういう問題ではありません。ほとんどの場面、とくに夜のシーンなどでは画面が黒くつぶれてしまって、まるでラジオドラマを日本語字幕付きでテレビで見ている雰囲気でした。こんなん、ありかいな。

夜のシーンは当時の実際に即してなのか、ろうそくの明かりだけで撮影しているようです。実際の明かるさと同じ様子をセット(ロケでも同じ)で再現したからといって、それをカメラで撮影したら“リアル”だと考えるのは小学生的発想だといわねばなりません。つまり我々の目は、明るいところから暗い所へ飛び込んで一瞬何も見えなくても、しだいになじんできて見えるわけです。でもカメラはそれができない。そんな初歩的な事実を理解していないのか?

つまり映画というものは事実を見ているのではなく、心理的な映像を見ているといってもいい。いや、目がなじむという行為そのものが、観察主体(すなわち観客=僕)の事実であるわけで、カメラが物理的にとらえた事実なんかくそくらえなんです。よってその事実にこだわるリアリズムをクソリアリズムと呼んでいる。

かつてスタンリー・キューブリックは「バリー・リンドン」でろうそくの光だけによる場面を撮影しました。そのときは月面探査用の明るいレンズを使っています。そして完成した画面は、ろうそくの炎の温かい明るさにみちた、素晴らしい映像でした。今回は昼間の室内でも、外からの光だけのシーンがあり、影の部分は暗くて見えません。ほんまにクソみたいなリアリズムです。

ということで、映画館で見た場合は暗闇の中だからまだ見やすいと思います。しかしテレビ放送の素材としては不適格。かつてティム・バートンの「バットマン」がソフトとして発売されたとき、あの暗さが消えていたとして問題になりましたが、今回はその程度の暗さではありません。そもそも俳優さんたちは、自分が演じた細かい表情を伝えない画面で満足しているのかな。監督は、アラを見せたくないという配慮でこうしたということが考えられるけど、どうなんでしょ?

ということで、アメリカ映画にも、こういう“欠陥商品”と言うべき映画があることを知りました。いや、日本資本で作っているから日本映画かな? 国籍はどこであれ、僕の目にきちんと映る映画をお願いしたいものです。放送したテレビ局の人たちは自分ちのテレビで見ず、スタジオの優秀なモニターで見ただけだから問題ないと思ったんでしょうね。
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