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2017年05月05日05:08

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相変わらず再現ドラマが邪魔だけど、それを越えて訴えかけるものがある。BSドキュメンタリー「シリーズ ライバル対決!」

5月2日の0時から、4夜連続で放送したBSドキュメンタリーの“シリーズ ライバル対決”を見ました。正しくは第4夜「どんな時代も“美”を 〜エリザベス・アーデンとヘレナ・ルビンスタイン〜」は未見です。「エジソンVSテスラ」「ライト兄弟VSホワイトヘッド」「チャップリンVSキートン」の3作を見ました。

5月4日放送の「喜劇王対決 チャップリン VS キートン」(原題:CHAPLIN / KEATON Duel of Legends、仏2015年)は、サイレント喜劇の両雄が成功してから亡くなるまでをざっと眺めた、僕のような映画フリークなら聞いたことがある話がほとんどでした。でも引用される映画がきちんとデジタルリマスターされていたり、ラジオ時代のチャップリンやキートンの肉声は貴重でした。

それと、こちらは数多くの映像が残っているからか、再現ドラマがないので気持ちよく見られました。まあ、ここまで顔が知られている人物を再現ドラマにしたらしらけますしね。写真3がキートンとチャップリン。これはチャップリンの「ライムライト」の一場面です。

5月2日放送の「電流戦争! エジソン VS テスラ」(原題:ELECTRICITY: Thomas Edison vs. Nikola Tesla、米2015年)と、5月3日放送の「人類初飛行の光と影 〜ライト兄弟とホワイトヘッド〜」(原題:First Flight: Conquest of The Skies、豪・仏・独2016年)は、とても興味深かった。結論を言ってしまうと、電力の供給という公益事業に乗り出そうとしたエジソンとテスラ、そして航空機産業の先鞭をつけたライト兄弟とホワイトヘッドの“競い合い”が、最終的にはどちらも“商売上手な人間が勝利する”という結論になっていたからかもしれません。←その結論に説得力がある、ということです。

電力供給の黎明期には、エジソンが直流電流を主張し、交流を主張するテスラと敵対したという事実が説明されます。直流は減衰が大きく、発電所からせいぜい800メートルまでしか送れない。そこでエジソンは、数多くの発電所を作ろうとします。一方、交流だと変圧器を利用して遠距離の送電が可能になる。現代教育を習得している我々の常識からは、テスラが勝利を得ただろうと思いますが、勝利したのはGE(ゼネラル・エレクトリック)社でした。

GEはエジソンの発明を中心に発展した会社ですから、エジソンの考えを入れて直流が勝ったのかというとそうではない。エジソンを会社経営から追い出しても、交流システムを導入したというのです。その前に考えが合わないテスラを会社から追い出したエジソンですが、今度は他の経営陣から自分が追い出されました。おりしもニュースで、電気自動車テスラに株式市場が注目しているとありました。草葉の陰でテスラが苦笑しているかも。

ライト兄弟にグスタフ・ホワイトヘッド(元の名字Weißkopfを英語名にした)というライバルがいたという話は、僕にとって初耳でした。学校では“世界初の動力飛行はライト兄弟の成果”と習っています。またスミソニアン博物館には、ライト兄弟の飛行機が展示されており、それが世界初の動力飛行機だとされています。ところが、ライト兄弟の2年前に、ホワイトヘッドが動力飛行を成し遂げていたという説がある。

そのあたりを調査した本が1930年代後半に出版されるのですが、ホワイトヘッドがドイツからの移民だったこと、つまりナチスの台頭に対してドイツ系のヒーローはふさわしくないとの意向が世間にあったというわけです。実はライト兄弟は、自分たちの飛行を世界初として売り出し、動力飛行に関する特許を申請するとともに、他人の飛行実験そのものに対して次々と訴訟を展開したそうです。

現在では、スミソニアン博物館とライト兄弟の契約書が公表され、そこに“スミソニアン博物館は、ライト兄弟を世界初の動力飛行と認める発言をする義務がある”という一文が入っているとのこと。もし実際に世界初なら、それを契約書にうたう必要はないわけです。これまた、商売にめざといライト兄弟が、勝ちをおさめたという話でした。

そう考えると、映画人たちが自由に作品を作れるようにとユナイテッド・アーティスツを設立したチャップリンが赤狩りでアメリカを追われ、燃える鉄橋から蒸気機関車を落とすという映画史上空前のスペクタクルを実写したキートンが破産してMGMと契約するなど、映画の世界でも商売人だけがうまい汁を吸っていたわけですね。

金儲けが悪だという時代遅れな発言をしたいわけではなく、その金儲けのために実際の発明者や先駆者たちが闇に葬られるというのは我慢ならない、という意味です。それらの事実を“引かれ者の小唄”と笑っていられるほど、時代は甘くないよということでした。写真2の右がホワイトヘッド、左がライト兄弟です。
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