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2015年03月30日06:52

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マックイーン+ペキンパー=「ゲッタウェイ」(1972)は、あの時代の息遣いを感じさせる秀作だった。

この「ゲッタウェイ」は、僕がキングレコードに入社して宣伝担当になった直後にサントラ盤シングルのリリースが決定したのでした。音楽がクインシー・ジョーンズで、ハーモニカがトゥーツ・シールマンス。このとき初めてシールマンスの名前を知りました。音楽がジャズだというだけで、ラジオ関西の末広光夫さんに真っ先に届けて教えていただいたしだい。「真夜中のカーボーイ」のハーモニカも彼だと知ったのはそのあとです。東京では公開が73年3月16日で、1日あとに「ポセイドン・アドベンチャー」が公開されています。大阪ではたしか「ポセイドン・アドベンチャー」より1週間速かったと記憶しています。

実は「ポセイドン・アドベンチャー」のサントラ盤シングルもキングレコードで、どちらかというと“モーニング・アフター”の担当者と僕は親しくしていました。でも個人的な音楽の好みでは断然「ゲッタウェイ」。へろへろしたキャロル・リンレイのポップスより、トゥーツ・シールマンスだわいと(歌がモーリン・マクガヴァンであっても印象は同じ)、大いに入れ込んだのでした。配給元の東宝東和の人たちとも親しかったから、僕は大阪支社に熱心に通って宣伝計画などを聞きました。すると東和としても最大級の宣伝を展開すると言う。

実際、公開すると初日と二日目で3月としては記録的な数字が出ました。僕はもう有頂天。ところがですね、一週間後に「ポセイドン・アドベンチャー」がその数字をあっさり塗り替えてしまったのです。そしてなんと、あの“へろへろのボーカル”と思っていた“モーニング・アフター”がヒットチャートをかけのぼったのです。「ゲッタウェイ」のシングルは、ラジオ関西やほかの局など何人かのディレクターによって“いい曲だ”と褒められ、ずいぶんオンエアしてもらいましたが、ついに“ヒット”と呼べるまでには至りませんでした。

要するに当時の大阪という地域では、映画館への動員は口コミが大きく、だから“豪華客船が転覆して、上を下への大騒ぎ”というひと言で内容が伝わる「ポセイドン・アドベンチャー」が、“マックイーン+ペキンパーのバイオレンス巨編”という映画を蹴散らしたのでした。考えてみたら僕は、あのころからずっと“自分の道”を歩いていたということですね。

さて、今回ハイビジョンで「ゲッタウェイ」を見なおしました。42インチの画面で見ていたのですが、乗用車が軒先をぶち壊して逃走するスローモーションシーンが、とてつもなく小さく感じられる。当時東宝東和大阪支社の試写室で見ているはずですから、画面はとても小さかったはず。だけど僕の心の中で、あの場面はまるでシネラマの大画面のようなインパクトを持っていました。それが感じられない。←もちろん僕は“記憶の回廊”から想い出を引っ張り出して“補填”して見続けたのですけど。

ようするにサム・ペキンパーの「ワイルド・バンチ」と「砂漠の流れ者」という、燦然と輝く2作品の“威力”が、当時の僕には通じていたということです。トゥーツ・シールマンスのハーモニカと、ルシエン・バラードのカメラが、「ジュニア・ボナー」の世界に燦然たる輝きをもたらしている。それまでのマックイーンとは違った息遣いが感じられる映画だったのです。

川で水遊びに興じる家族連れの一団に混じって、マックイーンとアリ・マッグローが水に飛び込む、あの感覚がうれしい。←でも、時制をひっくりかえす小細工は、このあとクリストファー・乗らんなどを輩出しているだけに、ちょっと面白くないな。そういえばこのころ、ペキンパーには編集権がなかったんだった。そういうことで大目に見よう。

imdbのトリビアで知ったのですが、マックイーンの車とすれ違うオレンジ色のワーゲン・ビートルを運転しているスタント担当者はジェームズ・ガーナーだそうです。ガーナーはギャラを要求し、ペキンパーは“いくら欲しい?”と尋ねたらしい。“君がいいと思うだけ”と答えたガーナーに、ペキンパーは1ドル札を手渡しました。こういう裏話、いいんじゃな〜い。もちろん見ているときには気づきませんでした。トリビアというものは、そんな程度に楽しめばいいんです。映画の持つ“空気”を味わうのが先。
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