年寄りや体の不自由な方に席を譲ることが美談とされた頃の名残だ。
当時は、年寄りや体の不自由な人が立っていても、席を譲るなんて発想すらなかった。だからこそ足腰の達者な若者が席を譲るというのは美談となり得た。
だが今はどうだろう?
見るからにしんどうそうな老人が立っていたら席を譲るのは当然だし、子供の手を引いて更にお腹が大きな妊婦さんなんて立ってたら強迫観念にかられたかのように席を立ってしまうでしょう。
そういう美談を推進するべく全席優先席やら、国鉄がシルバーシートなんてのを導入し始めた頃から話がややこしくなってきた。
一握りの年寄りが優先席を譲ってもらえる権利を主張し始めたのだ。
あるいは純粋で真っ直ぐ、直角にしか物事を見れない若者も、優先席に座る若者のことを批判するような時代へと変化。明らかに弊害を生んでいる。
優先席を譲ってもらう権利なんてものがあるとするならば、優先席に座っている若者は年寄りに席を譲ってやる義務があるという事にもなり得るので、それはとてもややこしい話になってしまう。
分からないことは交通局やJRなどにちゃんと聞けばいい。親切に教えてくれるはずだ。
正規の運賃を支払って乗車している以上「優先席は誰が座ってもいい席」で、ルール上、年寄りに席を譲らなければならない席などとは誰も言ってない。ただ応えてくれた駅員さんによっては、きっと譲ってあげてくださいという「お願い」ぐらいはされるかもしれません。
席を譲るか譲らないかは大衆的なマナーと捉えてる人が多いようだけど、それは間違いだと言うことが分かります。
マナーとは礼儀とかいう意味で、社会的にはルールと大差ないもののことです。
喫煙マナーなどがそれですね、マナーを守らないと明らかに周囲に迷惑をかけてしまう行為の律する場合に使われます。
優先席を年寄りに譲るかどうかという問題は、当人のモラル。つまり、個人的な道徳観念と倫理観で判断すればよく、個人のモラルに対して他人があれこれ言うのは間違っている。
つまり、席を譲るか譲らないかというのは自分個人のモラルで判断して、譲ってやるなら譲ってやればいいし、譲らなくても誰にも文句を言われる筋合いがないという事です。優先席を年寄りに譲らない若者がいたとしても、それをとやかく言うのはお門違い。むしろモラルに対して苦言を言う行為こそ間違った迷惑行為ともいえる。
とはいえ私は小心者でして、目の前にこれ見よがしなジジババが吊り革を持って立ちやがると、周囲の「席を譲らない奴は悪人」という冷たい視線や、二人の年寄り夫婦なのに隣の兄ちゃんが席を譲ったら私も譲らざるを得なくなったりという、酷いモラハラ←に遭ったりする。
優先座席は誰が座ってもいい席。なんて大嘘ですよね。心理的重圧の酷いこと酷いこと。
私みたいな小心者、落ち着いて座ってられん! すっごいストレス! もし私が禿げたら鉄道会社が優先座席を放置しているせいだと訴えてやりたいほど。
今回の刃傷沙汰なんて弱者権力に根差したモンスタークレーマーに他なりません。
もう、優先座席じゃなくても年寄りに席を譲ることが美談ではなく、日常どこでも見られる光景になったのだから、優先座席は役目を終えた。撤廃すべきです。
■殺人未遂事件も発生の「優先席」問題 「座らないようにしている」人は…
(しらべぇ - 02月13日 11:41)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=202&from=diary&id=4984346
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