mixiユーザー(id:62249729)

2017年01月29日21:57

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されど道具!

世の中は昔のほうが良かったのか、今のほうが良くなったのか、それはことがらによって異なる、と言ってしまえば、それで話は終わってしまうので、もう少し掘り下げて考えてみたい。

以前ここ→http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1944828271&owner_id=62249729に書いたように、少なくとも交通機関や公共的ないしそれに準ずる施設の係員の対応は、現在のほうがずっと良いと思う。かつてはそれらの人達は、無愛想でつっけんどんで、人に優しくない場合が多かった。

どうも最近気になってならないのは、人に優しくない道具が増えてきているのではないかということだ。とりわけパソコン、携帯電話、スマートフォンなどのデジタル機器においてその傾向が顕著な気がするのは、寄る年波のせいか?同一のボタンを、何回も押すとか、長押しするとかによって異なる機能を使い分けるのは分かりにくくて当然だし、操作のミスもしやすい。でもこれは限られたスペースに機能の数だけスイッチを並べるのはとても不可能だから、仕方ないとしよう。

その場合でも、ガラケーなどはまだ良い。ボタンを押すと凹むから。問題はスマートフォンやカーナビなど、液晶画面をタップすることで機能のトリガとする機器である。

液晶画面は、指先でタップしても凹んでくれない。私にはそのことが、とても冷たい道具であるという印象を与える。画面が指先を受け入れまいとして押し返すように感じるし、爪の先が画面に当たるとカチッと嫌な音がすることもある。感じが悪いだけなら実害はないが、画面をタップするというのは、同じボタンを使い分けるのよりさらに操作ミスが出やすい。指先が少しずれたり、タップのつもりが多少画面を摺り気味になっただけでも、おかしな結果に至ってしまうことはしばしばある。

そんな私だから、スマホなんてものは触ることもしないで、一生ガラケーで通すつもりでいたのに、最近会社から否応なしにスマホを持たされてしまった。

四六時中スマホをいじっている人には、上記のようなことは何でもないだろうし、私だって渋々ながら使っているうちに慣れてしまうかも知れないが、慣れないと使いこなせないのは、良い道具とは言えないのではあるまいか。伝統的なアナログの道具においても、ある操作に対して適度の大きさの「手応え」が帰って来ない道具は、実は使いにくいのである。

ひとつの例は、カメラのシャッターボタンである。この手応えは大き過ぎても小さ過ぎても、絶妙なシャッターチャンスを逃してしまうし、手ブレも起きやすくなる。まさに今シャッターが切れると、指先に感じる抵抗感から察知できることが必要なのだ。

もうひとつの例は、カッターナイフを使って紙を複雑な形に切り抜く場合である。この際、何を紙の下に敷くかが重要だ。ガラスの板などを敷くと、ちょうどスマホの画面をタップするように、手応えがなくて刃先のコントロールがうまくいかない。かと言って、余り柔らかい物を敷くと、刃先が食い込み過ぎてこれも駄目である。刃先がわずかに敷物に食い込んで、手に適度の抵抗を感じつつ紙のほうを回しながら切っていくと、うまくできるのである。

固い画面をやたらとタップさせることばかり考えるデジタル機器の設計者は、使う人の身になって考えることができない、人に優しくない人なのではあるまいか?今後そういう人が増えてきそうで、心配である。実際、居酒屋や回転寿司でも、端末機の画面をタップして注文するようになってしまったようだ。あー恐ろしや!

道具を使う動物は人類だけだというのには異説もあるらしいが、どんな道具を使っているかということが、人格形成に多少なりとも影響を与えるような気がする。
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