mixiユーザー(id:61719825)

2018年03月23日17:57

380 view

万人に理解される良心をもって法をおかすということ(以前のタイトルでは語弊があったようなので直しました)

最初に申し上げておきますが、この意見は非常に片寄った少数派の意見であり、僕自身、この意見に100%賛同することは出来ないことを申し上げておきます。
何故なら以下の意見には、多くの誤謬が含まれており、視野が狭いというほかないことは確かだからです。

現代の奇妙なところは、人間の善良性、良心を否定してまで法律を肯定する論理が大手を振ってまかり通っていることです。
モトさんは心の話をしています。
理屈はいいのです。
人間の心をないがしろにするほどに法律は大切ですか。
確かに法律を作って裁く方には傍迷惑かもしれませんが。
生態系の話もいいのです。
そんなことは承知の上でやっているのです。

彼は小さな命を助けたかっただけなのです。
人間がこどもの頃から持っている、善良な心です。
あるひとはそれが生態系を乱すという。
あるひとは法律違反だという。
結果、彼の良心は完膚なきまでに否定され、中には彼を嘲笑する輩まで登場する。
それってちょっとおかしくないですか?

つまりは、法律だけが一人勝ちする奇妙な世の中への問題提起なのです。

別にね、法律をないがしろにするつもりはないのだと思います。
そんなことを言っているのではないのです。
生態系を乱すつもりも、実はないのだと思います。
ただ、小さなものを愛することが、法律に触れるよと言われたとき、
あなたならどうしますか、ということなのです。
小さなものとは、いきもののことです。
法律に触れるよと言われて、泣く泣く諦めたとします。
モトさんは、きっとそんな自分を許すことができずに苦しんだと思いますよ。
助けられる命を見殺しにしたわけですから。

むかしね、こんな話を聞いたことがあります。
あるネアンデルタール人の骨が発見されたときのことです。
そのネアンデルタール人、右腕の二の腕から先がなかったそうです。
身体障害者だったんですね。
その証拠にその個体、他のネアンデルタール人より、前歯の減りが著しかったそうです。
右腕で出来ないことを、歯で代用していたようなのです。
申し上げたいのはこのネアンデルタール人。
野垂れ死んだのではない、そういう証拠が見つかったのです。
その辺りでは見かけない「花」の痕跡が認められたのです。
埋葬されたらしき跡も見つかりました。
花は複数。つまり花束だったようです。
つまりね、誰かべつのネアンデルタール人が、彼の亡骸を前に花を手向けたのです。
野蛮だと思われていたネアンデルタール人にも、そういう優しい心があったらしいのです。
ぼくが申し上げたいのは、
彼らより進化した(はず)の我ら人類が、法律に触れるからといって、人間らしい心まで無くしてしまっては恥ずかしいじゃないですか。
そう思うのですよ。




万人が理解する良心が法律に触れるものだとすれば、ひとはどういきたらいいんでしょうね。
人間の良心が間違っているのだとすれば、ひとは何をよりどころにして人間愛を語ったり、人の生き方を語ったりすればいいのですか。












■モト冬樹さん、カラスに襲われたスズメを「違法飼育」して物議、なぜダメなのか?
(弁護士ドットコム - 03月23日 10:22)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=149&from=diary&id=5038868
7 8

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する