mixiユーザー(id:613969)

2018年07月18日16:06

125 view

猛暑。そして、朦朧とした頭で、昔のことが思い出されてくる。

今日は暑い。余りにも暑くて、ときどき、集中ができなくなる。
ぼぉっとしていて、庭の水まきなども終わり、少しばかりの整理と洗濯も終わり、雑用も少し片付けて、テレビをつけたら、瀬戸内寂聴が出ていて、そのファンだという若い女性が話していた。普通の若い女性が瀬戸内寂聴の書籍を出して読み始めた。それがなかなか良い。
 これまでは瀬戸内のことは食わず嫌いで、決して書籍を手に取ることがなかったのだが、この女性は、朗読をしながら、途中から涙目になっていた。
 彼女の引用した部分は、いわゆる知識人からしてみれば「ふん、なんだ、下らない!」と言うようなところなのだろうが、人生というものは、意外にそんな、前頭葉に余計なことが詰まりすぎているときには気付かないものが、大切なのかも知れない。

 ここ数日、空いた時間にマイミクさんの書いたものを読んでいたら、私のことを政治的人間だと思っているような文章を見つけた。そういう記述はあちこちで見るし、なんとなくぼぉっとその短い文章を見ていて、あぁ、そうなんだ、と思っていたことの不思議な感覚が蘇ってきた。

 政治的人間だからと言って、それがマックスウェーバーに依るものでもないようで、むしろ、そこに何とも言えない底知れない悪意を感じてしまったりすることも多い。人の言葉は、この瀬戸内さん、仏教徒になってかれあの瀬戸内さんの言葉とは対極に位置するものだなぁと感じる。
 人と付き合うことは孤独だとその達筆な男性は言外に語っているようにも感じて、この孤独というのは、このかたが自ら、発しているオーラなのかとも感じる。(つまり瀬戸内さんの言う対人関係の取り方とは対極に位置する。)
 そのほか、色々なことが重なり、あぁあ・・・・と思い続けていたときに、この不思議な番組、普段なら、決して興味を持たないような番組で、普段なら決して手にしない瀬戸内なる謎の女性を、普段なら決して見ないような職業の女性が引用をしていたところで、意外なことに答えが見つかった。
 ちょうど先日、ぼんやりとトイレに入り、ああ、ここはさらに暑い、と感じたときに、ふと思い出したことがある。
 恐らくは死を覚悟した父が帰依した方なのだと思うが、そのかたから、四半世紀前の猛暑の季節にお電話をいただいて、しばらくお話をしたときのことを思い起こした。
 そのかたは、最晩年、私が育った渋谷近くを離れ、福島に籠もっておられたようだ。
そして、そのかたの教えは、父が受け取ったものとは違うのではないか、と、そのときにふと思ったのだ。
 この歳になって、ようやく、少しずつ、父の考えていた思いのようなものが見えてきたような気がする。
 人生というのはそういうものかもしれないとときどき、思う。
 父は、孤独な人だった。
その孤独は、あるマイミクさんが言外に仰っている孤独とは比べようもない、深いものだったと今にして思う
9 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する