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2017年12月12日10:15

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貴乃花親方よ

■貴乃花親方、聴取応じるか 協会内、面会できず疑問の声
(朝日新聞デジタル - 12月11日 21:13)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4899408

 某テレビ局で貴乃花と白鵬のバトルについて、今現在引っ張りだこの大至氏(貴乃花部屋系列の部屋持ちではない親方)がまことしやかなコメントを述べていた。
「貴乃花の優勝回数22回に比べ白鵬は40回ですが、貴乃花の時代には他の力士たちが異常に強かったために優勝がしずらく、白鳳時代は他の力士たちが弱いために優勝回数にこれほどの開きができただけです。だから優勝回数がダブルスコアであることが二人の力士の実力ではありません」と。

 「なあるほど、そうなんですね。納得です」という局側のコメント。

 ここまで来るとメディアという媒体は間違っているのではなく犯罪そのものと言っても余りある。

 時代がずれているために両者を戦わせることの愚かしさは「虎とライオンがもし戦わば」という設定よりもずっとバカバカしい話だ。

 大至氏の理屈から言えば、かの双葉山の実力すらも当時の他の力士たちが異常に弱かったことになる。

 で、「品性」という意味は何か。皇族や貴族が持ち合わせている資質を持っているものか。であるならば日本人のほとんどが農民だったのだから「品性」など生まれようがない。ビアスの悪魔の辞典に「品性」が載っていたとしたら、「支配者階級が無形の権力を維持せんがために編み出した宗教と同じく、巧妙な価値観」とでも表現されよう。
 
 で・・辞書をひも解けば「道徳的基準から見た、その人の性質。人格。」というわけのわからぬ説明が出てくる。「道徳」を調べれば「社会生活を営む上で、ひとりひとりが守るべき行為の規準(の総体)。自分の良心によって、善を行い悪を行わないこと。」とある。早い話混迷のらせん階段に落ち込む概念なのだ。編集者の冷や汗が垣間見られるのも無理のない話で、事実辞書を引いても良くわからない言葉というものが少なからず存在している。良くわからない言葉は神秘的であり、理解不能であることからその言葉の対象者を権威づける手段になるのだ。

 私は日本人だがモンゴルの力士たちが大好きだ。親に甘やかされ、何でも手に入る子供時代を謳歌してきた日本人力士たち、ハングリーであることを忘れてしまった日本人力士たちよりも数段相撲道を貫いている。

 貴乃花親方はそんなモンゴル力士たちを品性にもとる連中と思っているようだが、とんでもない勘違いである。勘違いどころか罪深い意識の持ち主である。
 「出稼ぎ」「ハングリー」のどこが悪い。かつて日本人力士はみなそうだったではないか。それこそ皮肉なことにモンゴル力士たちこそが相撲道の本質を全うしているのだ。

 貴乃花親方のように、生まれ落ちたときから大相撲の名門の家に生まれ、金銭的にも大変に恵まれて英才教育をしこまれ、みずからの頭で考えることもなく洗脳されてきた人間に品性を語る資格があるのか。普通ならば何もしない?で明大中野中に兄弟で入学できたことも、裏口と言われてもいたしかたなかろう。これも品性か?

 八百長問題の温床ということで全力士にかかわる相撲界の乱れを氏は指摘しているようだが思い返して見るがいい。日本国中が興奮して見守った一番だったが、あにはからんや若乃花が勝った。金銭は動いていなかったろうが明らかに八百長相撲だった。

 貴乃花が土俵に力水を吐いたり、土俵を蹴ったりした記憶も鮮明に残っている。
 ひざの痛みに耐えながら武蔵丸を優勝決定戦で破ったときに鬼の形相が有名になった。

 これもあれも皆、相撲道なのですか。

 白鵬が優勝40回の大台に乗ろうとしている頃、優勝22回の貴乃花親方は心中穏やかではなかったのではないか。どんどん霞んでいく貴乃花の過去の名声に耐えられなかったのではないのか。

 小人とは優れた人に追いつき追い越す努力をせずに、巧妙に優れた人を自分の位置あるいは自分の位置以下に引きずり下ろそうとするもの。

 今、マスコミはこぞって品性・品格の価値観を振り回し始めている。
 一方国民はイケメン力士貴乃花にワァワァキャアキャア・・・国民なんぞいい加減なものだ。個人的には父親の大関貴ノ花や先代若乃花は好きだった。しかし今の貴乃花親方に何の魅力も感じない。むしろ邪魔である。

 相撲協会と貴乃花親方・・・どちらが正しいかと言う前に、貴乃花親方よ、理事会においてはマフラーぐらいとったらいかがか。


 

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