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2018年10月22日22:21

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宝塚月組「エリザベート」を見てきました

【感想】どこも合ってないような…?

見る前から(主演の人は、トートというには健康的すぎないか?)と思っていましたが、ともかく見て参りました!

 ストーリーはもう何度も宝塚でも東宝でもやっているので割愛します。全体的に、ずれてるよー違うよーという感じがする舞台になっておりました!ですが、面白くない訳ではないです。「エリザベート」は歌もいいし、ストーリーというか、構成が面白いので、今回のバージョンがすごくおかしいとか、演出が違うとかいうことはないです。これはこれで楽しく観劇できると思います。

 話を戻しまして、何が「違うよー」なのか説明したいと思います。
今回、とにかくキャストが「違う」と思います。ミスキャストというか、ミスすれすれキャストというか。以下、具体的に書きます。
まず冒頭に登場するのはルキーニです。悪くはありません、カッコいいし、お化粧も似合っています。が、全体的に早すぎます。セリフと、セリフの間の「間」がなさ過ぎます。役作りは、たぶん轟悠のルキーニを真似て精一杯やりました!という感じで、自分なりにルキーニを楽しんで演じる、という余裕は少しもありません!
 この「次のセリフのことで頭が一杯です!」という緊張感で、全体的に早回しになっているのが、見ていて辛かったです。このシーンで出てくる幽霊たちの歌も、全部そのペースでなんだか早い。早すぎる。もう少しゆったり進めてくれないと物語の世界に入れないよ〜、この縄跳び早すぎるよ〜、という気分になりました(後半になると、ルキーニは少し余裕が出てきたようで、ほっとしました)。

 ルキーニの導入部に乗って、次に出てくる黄泉の帝王トートですが、ここで歌う一曲目で音を外した…のはいいとして(本音)、いや、本当に、私は歌の技術的な面についてはあまり気にしていない(自分が音痴だし)からいいのですが、一曲目で(この人、フランツ・ヨーゼフの方が合ってるよね?)という暖かさです。声にまで血が通っているというか、生身の人間ぽさがあって、全然、全く、死神らしく響きません。普通男性にラブソングを歌われているかのようです。

その次に出てくるエリザベート(少女時代)ですが、こちらの登場シーンも一曲目からして、人格が出来上がっています。無邪気な少女、というより、自我がすでに確立している、従順さより自主性を重んじる不屈の女性!というムードです。これ、とても不思議でした。歴代の宝塚のエリザベートで、こういう役作りをしていた人はいないと思います。一つには、あまり若作りメイクをしていないせいもあるのかもしれませんが…見え方としても、あまり少女には見えませんでした。

この段階で、すでに(どうなるんだこの舞台は…)と思っていた訳なのですが、さらに、この後出てくるフランツ・ヨーゼフ、この人が出てきたところで違和感が頂点に達しました、もうね、この人の方がずっとトートっぽいんですけど?!佇まいからして妖しい!主要人物全部がちぐはぐっていうこのキャスト、どうなんだろうか?って思います。非常に美しい人なんですけど、全身、指先にまで「誘惑」って書いてあるよっていう感じの人なので、お堅い皇帝陛下には見えないのです。

でも、この変則的キャスティングのせいで面白い効果もありました。フランツは、本当はエリザベートの姉と結婚するはずが妹に一目ぼれしてしまい、プロポーズに至ります。だからここで、エリザベートへの愛の告白の歌(後半デュエット)があります。お見合いではなく恋愛結婚の二人(厳密に考えれば必ずしもそうではありませんが、お話としてはロマンチックな恋愛結婚)だから、そこにはぜひとも合意が必要です。この歌の高音部で、フランツの声がほとんど女性の声というくらいに高いです。技術的には「歌い切れていない」ということかもしれませんが、ここが、私はすごくスリリングで面白い効果を生んでいると思いました。フランツは、ここで「皇帝は自分のためにあらず、国家と臣民のため生きる」「王妃となる人にも等しく重荷が待っている」と歌います。つまり、二人の結婚は楽しいだけのものではないよ、とエリザベートに「王妃の責任」を突き付けているのです。「責任」って、エリザベートには最も似合わない概念なのですが、普通のフランツ役なら、誠実な青年皇帝として恋人に心構えを伝えているだけのシーンになるところを、この「全身誘惑」の皇帝が歌うと、男性とは思えない高音部と相まって、ものすごく甘いのです。(ねえ、僕と結婚したらとっても大変だよ?僕はそう言ったからね?でも、とっても大変で、その分とっても晴れがましいでしょう?だって王妃なんだからね?)と言っているように聞こえます。この、愛と引き換えに義務を強いてくる文脈と、その義務の大きさが、王妃という社会的な地位の高さに拠っているという自己陶酔に、意思堅固なエリザベートですら(というか、だからこそ)一瞬で篭絡されたのだなあという変な説得力があり、同時に、この後エリザベートは騙されたと感じるだろうなという予感がありました。

さて、エリザベートの結婚式の場面ですが、ここでトートが招待客として現れロック調のラブソングを歌います。もうね、ここだけじゃないけど、とにかくトートが生きている人っぽい、しかも、普通の、平民の男の人っぽいんですよ。だから、こういうエリザベートと直接対話するシーンが全部、「昔付き合っていた村の男が訪ねてきました」というように見えるんです。結婚の約束を昔はしていたけど、私は皇帝と結婚しちゃったの、どうしよう!っていう感じに見えます。トートが「最後に勝つのはこの俺さ」と歌うのも、「結局宮廷の生活に飽き飽きして、田舎の俺のところに帰ってくるんだよ」という雰囲気に…。エリザベートってそういう話だったかしら?

結婚式の翌日、さっそくゾフィーに虐められて、フランツにも分かってもらえず、死を覚悟しながら一転「生きてやる!」と決意して歌う「私だけに」。このシーンはエリザベート役の見せ場の一つですが、ものすごく堂々とした歌いっぷりで、聞きながら、この曲ありきで役作りをしたんだなあと実感しました。「鳥のように解き放たれて 光めざし夜空飛び立つ でも見失わない 『私』だけは」と、自分の権利を勝ち取ろうと決意するエリザベートのソロですが、ここで今回のエリザベートは、なんと笑っています(過去のエリザベートは、大抵泣きながら歌うのですが)。

歌としては上手いのです。緊張感もあるのですが、…このエリザベートだと、初めから、しっかりと自立した人格なので、「今、(虐められたことで)そういう自分に目覚めた」というようには全く見えないし、見えないように演じている訳です。だって明らかに笑っていますから。「私は最初から私!」っていう堂々たる宣言として聞こえます。でもね、だったら、このエリザベートはフランツと結婚してないと思うんですよ。いや、結婚したとしても、すぐ離婚するか、または妻ではなく王妃としての使命感に目覚めて、社会福祉活動に邁進する立派な女性として生きていくと思うのです。
だから、歌い切って気絶することにあまり説得力がありません。「私らしく生きていく」と決意しながらその不安に押しつぶされそうになって、緊張の糸が切れる、というエリザベートの揺らぎが全くないので、「言いたいことを言い終わったから…すっきりして気絶」というような不思議なシーンになっています。

そんな訳で、その後、フランツを寝室から締め出すシーンも、全く面白いことになっています。ここは珍しく、フランツとトートとエリザベートの三人が至近距離で出てくるシーンですが、「扉を開けておくれ」と歌うフランツの妖しさがものすごくて、夫ではなく愛人が訪ねてきたかのようです。そのせいで、皇帝が妻に甘く囁く「せめて今宵だけは」という言葉は別の意味を帯びてきて、「嫌だといいながら、実は王妃でいたいだろう?」と言われているようなのです。つまり、エリザベートが自由になりたいと言いながら、なぜ自由にならなかったのかという理由に「王妃という地位への執着」があることを暗示しているように響きます。でも、シーンとしてはエリザベートはフランツを拒み、そしてトートをも拒みます。え?なんで?って感じです。上記のように、流れとしてはフランツに傾いているはずのエリザベートが、彼を拒むので。でも、トートにも靡かない。今回の生身の男トートだと、ここでも「どうしてそうなる?俺がここにいるのに?」感がすごく出てしまいます。結果、その後にハンガリー独立分子をトートが操るシーンとか、王子ルドルフに近づく場面が、ものすごく「振られた腹いせ」っぽくなる。しかも、トートってすごく好かれてる感じなんですよね、反乱分子にも王子にも。一目見て懐いた!みたいな、犬猫と子どもには俺って好かれちゃうんですよー、なんでか分からないですけどー、っていう人に見えます。

長々書いてきましたが、触れずにいられないのはルドルフ(大人)役です。私が見たのは暁千星さんですが、…カワイイ!すごくカワイイ!素直にすくすく育ってきました!っていう十代の王子様に見えるんです(実際のルドルフは死んだとき30代です、念のため)。
あの環境で、どうしてこんなに真っすぐ育ったのか分からないよ!!と思うと同時に、皇帝へのとりなしを頼んだエリザベートから「あなたはもう大人 自分で解決できる」と言われるシーンで(いや、全然大人じゃないよ?子供だよ?それなのに見捨てるエリザベート酷すぎる、っていうかお前の目は節穴か?)と言いたくなってしまうという…隅々までキャストが合わないすばらしさを堪能しました。一瞬も気が抜けません!

そんなこんなで、ラストの、エリザベートをルキーニに殺させて、トートとエリザベートが結ばれるシーン、すごく変な気持ちになります。昔からの幼馴染の男性とようやく再婚しましたー、っていう風にしか見えないので。もっと最初から素直になっていれば周りも迷惑しなかったのに、と思ってしまいます。全然、黄泉の帝王との愛とかいう抽象的な感じがありません。

これはこれでいいのかなあ、とも思うんですけど。エリザベートが、精神病院で患者の一人に「あなたの方が自由」「私の魂は旅を続けても束縛されたまま」と歌ったときに、(え、どうして?)ってこんなに強く思ってしまったのは初めてでした。だって、このエリザベートって何を迷っているのか分からないですよね。自分で自分の進路を決断して、実行していく行動力がある人のように見えます。歴代のエリザベートは、夫に裏切られたのは悲しいし、夫への執着(その根本には地位への執着があるのでしょうけれど)もあるから苦しんでいるように見えたけれど。今回のエリザベートだと、夫が浮気したから旅に出る!ゆっくり温泉に入ってすっきりしてから帰ってきて、離婚します!っていう人に見えますよ。

お芝居としてのエリザベートは、とても現代的な孤独を抱えている人で、「自分」として生きていきたい、でも「自分」がうまく見つからない、というような矛盾を解決できなかった悲劇を描いているような気がします。でも、皇帝と結婚しなかったら、ここまで大変ではなかったとも思うので、そういう意味では、今回のエリザベートの切り口も悪くはなかった(田舎の青年と結婚していたら幸せだったかも〜というエリザベートに、一分の説得力がないではない)、と思います。

ともあれ。
豪華な衣装と、いい曲沢山なミュージカルですから、なんだかんだ言っても楽しいです。トート、ものすごく手足が長くて迫力ありますし。これはこれで一見の価値ありでございます。皆様も機会がありましたらぜひお運びください。

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