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2015年05月10日16:24

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「こころの時代」〜宗教・人生〜「釈尊の遺言〜仏遺教経から」を見る。

長崎 大村市にある禅心寺の住職:金子真介師の話で、インタビュアーは金光寿郎氏。
大村はキリシタン大名だった大村純忠が寺社仏閣を取り壊すという政策をとったため禅宗寺院が無く、禅心寺は昭和62年に出来た寺院だという。
檀家もなくて、苦労しているのだろうと思うが、葬式中心の仏教ではなく、法話等を話す会を主宰して、本来の宗教者としての活動を通して信者を増やしているようだ。

仏遺教経の内容のうち、教団を維持するためのノウハウを釈迦が言い残したものに関しては、在家の、自分のように仏教はもういいと思っている人間に響くものではなかったが、最後に語られた経験談が響いた。

金子真介師が西国のお寺の住職をされていた時に、托鉢して歩いたことがあった。
ある部落で、直前に火事を出してしまい、かろうじて残った物置で寝起きしていた方の家があり、行くべきかどうか迷ったという。
しかし、「托鉢は、村は残しても家は残すな」という教えがあるので、行ってお経を唱えたという。
しばらくすると奥から家の人が出てきて、
「方丈さん、もろうた弁当があるんじゃが、半分食べさらんか?」
と言って来たという。
ここでも迷ったが、
「いただきます」
と言って、一つの弁当を半分づつ分けて食べたのだという。

この方からは、今でも餅を送ってもらったりしてお付き合いがあるのだそうだが、あの時を振り返って
「わしはあんたに救われた」
という話をしたという。
火事の後、絶望して、自分の人生はもう終わったと思った。
しかし、門口に立ってお経を唱えている坊さんを見て、もらった弁当があるのを思い出し、
「あぁ、自分にもまだ施すものがある」
と思って、弁当を半分喜捨したというのだ。
それが生きる力になったという。

八大人覚の少欲・知足というところから立ち直って行かれたということか。

もうひとつ例を挙げていたのだが、朝、挨拶しても返事を返さず、無視して行ってしまう人がいる。
「挨拶も返せない嫌なやつだ。朝っぱらから気色が悪い」
と思い、相手を憎む気持ちが芽生えるが、それは違うという。
挨拶を返さないのは、一つのきっかけにはなったが、自分の中に、「挨拶すれば返してくるのが当然だという思い込みがあったのではないか。その思い込みが自分を苦しめているのではないか」という自省に繋げ、施して見返りを求めるのが苦を生み出しているのだと自覚せよという。
この「苦の自覚」から、世の仕組みに目覚めて、生き方を悟る。
そうしたことを説法しているのだという話。

「施し」が、他を生かすばかりではなく、自分自身を活かすことにもつながる。
まさに、宗教的境地ではあるまいか。
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