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2015年09月12日20:55

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史談・アメリカ南北戦争勝利に日本が関与・その2

■日本から黄金を奪い取れ


 その1はコチラ右斜め下

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 話を日本に移そう。

 人類が誕生してから、現在に至るまでに世界で算出した金の量のうち、実に30%が日本から産出している。マルコポーロが日本を指して「黄金の国」と比喩したのも故なきことではない。

 江戸時代、庶民は財布に1万円札の代わりにみんな黄金で出来た小判を懐に入れていた。旅の途中で倒れても、買い物の途中で倒れても、近隣の人に面倒を見て貰う為だった。日本全体がそうだった。確かに黄金の国だ。

 そんな日本に1853(嘉永6)年、アメリカから黒船がやって来る。南北戦争の8年前である。鎖国していた日本はとりあえずペリー提督を宥め、開国という問題を先送りした。一体アメリカは何のために開国を要求して来たのか?単に開国するだけだったら、大砲をぶっ放せば良い話だ。巷間言われている開国の目的は

 (1)アメリカの繊維市場を確保したかった

 (2)捕鯨のため

 (1)は前回説明した通り、今でこそアメリカの衣料はなかなか高級品だ。自分も時々L.L Beanやランズエンドの服を買い、休日は着てゆったりと過ごすことが多い。日本のユニクロのチノはモノを入れていると直ぐに膨らんでいるのが外からバレてしまうが、L.L Beanやランズエンドのポケットは深く、かなりのモノを入れていても、それが外からはよく分からない作りをしている。実用性と云う点ではまだまださしものユニクロもこういうところは及ばない。

 これらに限らず、それを理解出来る人が高めの値段を払って買うブランドなのだろうと思う。しかしこの時代はアメリカのメーカーの衣料と言ったら、今とは異なり、全くネームバリューもブランド力も無い。イギリス製が圧倒的だった。まだ鎖国している日本は良い市場になると考えた。

 (2)はこの時代になると、大西洋での乱獲で鯨が獲れなくなってきていた。

 ところが日本でアメリカの綿製品を売る試みは最初から挫折せざるを得なかった。日本でも自国で綿を生産しているだけではない。絹織物も国産化している。それだけではない。絹織物に至っては欧米のどの国よりも品質が良く、最早大量生産の工業製品のレベルを凌駕し、工芸品並みに達していた。

 「これではとても米国産は売れない・・・」

 と諦めかけた。

 アメリカ側が困り果てたところに、リンカーンの部下・タウンゼント・ハリスがやってきた。ハリスは日本進出の為、日本経済や国情を分析。するとある事実が判明した。

 金が滅茶苦茶に安いということだ。

 当時、金相場の交換比率はメキシコ銀4枚に対し、金貨1枚と交換だった。ところが日本では一分銀4枚が等価で、一分銀4枚で慶長小判と交換出来る。交換比率がよく分からないかもしれないが、簡単に言えば、

 メキシコ銀貨1枚=日本の慶長小判1枚

 ということになる。日米を一往復するだけで、手持ちのおカネが倍増するのだ。これに気づいたハリスは早速幕府側との貨幣の交換比率について話し合った。

 1857(安政4)年5月26日、下田奉行・井上清直、中村時万(なかむらときつむ)とハリスとの間で下田条約が締結される。1854年の日米和親条約の「補修」である。小判の入手を目的とするメキシコ銀貨の一分銀への両替請求は一日に16,000枚にも達した。

 日本国内に一分銀と小判が足りなくなり、貨幣経済は大混乱になった。小判が足りないと幕府側がハリスに泣きつくと、ハリスは凄い剣幕で

「金(きん)が足りなくて小判が出来ないならば、金の含有率を下げてでも小判を発行しろ。」

 と強弁を弄した。見た目は同じだが、金の含有率は慶長小判の実に8分の1しかない万延小判(まんえんこばん)を幕府は発行(1860年)。

 貧弱な装備しかなかった北軍がなぜ急激に戦力を整えることが出来たのか。それには日本から巻きあげた金(きん)があったことを日本人は忘れてはならない。



 ■戊辰戦争はしなくても良かった戦争

 

 日本から巻きあげた金で南軍に勝ち、戦後南部が諸外国から借金した戦費まで肩代わりしたアメリカ政府はその後有り余った弾薬、兵器をどうしたのか?戦争が終われば要らないものばかりだ。
 

 但し、アメリカはいきなり日本に売りつけるような事はしなかった。先ずアメリカは日本の幕府と反幕軍から注文が入ったイギリス、フランスに売ったのである。英仏両国は米国製の中古品の兵器を幕府と反幕軍に売った。博物館に行って、

 「あれれ。なぜ幕府軍や反幕軍の使った兵器がアメリカ製なの?」

 と気づいた方がいらっしゃると思うが、それにはこういうカラクリがあったのである。

 中古品とはいえ、1850年代に生産されたもので最新式だった。殺傷力も高く、戊辰戦争の戦闘では悲惨さを極めた。幕府と反幕府側合わせて8420名の人命が喪われた。

 そもそもこの戦争は本来戦う必要が無かったはずである。幕府の最後の将軍、徳川慶喜は既に朝廷に恭順の意を示し、大政奉還をしているのだ。しかもそれまで戦争のプロだった軍服を来た人達だけが戦争をするのが通例だったのが、一般庶民を巻きこむ戦争となった。

 日本は黄金をアメリカに巻き上げられただけでなく、アメリカに必要も無い兵器を買わされ、国内で殺し合いまでせざるを得なかった。アメリカはアメリカで、日本から巻きあげた黄金で120万人もの人々が死傷した。

 日本は第二次世界大戦で中韓両国から色々言われているが、歴史に学ばねばならないということはこういうことを云うのではないだろうか?

 最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 史談・アメリカ南北戦争に日本が関与(了)

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