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2018年05月18日04:26

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【鎌倉街道】狭山〜東村山

【日高・狭山編】
・前回のセーブポイントの武蔵高萩駅からスタート。
・途中、日高市の霞野神社を通り、「鎌倉街道上道」の碑を見物。
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・狭山市では影隠地蔵が。
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・この影隠地蔵の由来は、木曽義高(木曽義仲の嫡男)が源頼朝の娘婿となったものの、木曽義仲と源頼朝は対立し義仲は敗死。一転 義父から追われる身となった義高は追手から身を隠すために、地蔵の背後に身を隠したという伝説からだとか。
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・入間川を渡り、新田義貞が鎌倉攻めの時に本陣を設置したといわれる徳林寺を見つつ、狭山駅を通過。
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・最後に狭山市の七曲井を見る。
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・この七曲井は平安期以前に作られたといわれる井戸の一種で、武蔵野台地を覆う火山灰の層を越えて より深い井戸を掘るために すり鉢状に掘り下げたとか。
・ココから新所沢駅まで歩き、ゴール。

【所沢・東村山編】
・新所沢駅を出発し、最初に新光寺を見物。
・新光寺は建久四年(1193頃)に源頼朝が鷹狩りの途中、ココで昼食をとり、その時の仮小屋を寺に寄進したのが始まりだとか。
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・そろそろ埼玉県と東京都の県境に入り、柳瀬川を渡る。勢揃橋は新田義貞が鎌倉攻めの時に、ここで軍勢を勢揃いさせたと伝えられ、「勢揃橋」と名付けられた。
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・ついに東京都東村山市に入り、寛永十二年(1635頃)に開山された徳蔵寺を見物。鎌倉幕府滅亡の元弘年間に新田義貞軍の戦死者三名の名や合戦日、場所等が刻まれた板碑「元弘の板碑」などを収集した板碑保存館もある。
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・東村山駅の横を通過し、和食麺処サガミで昼食。
・鎌倉街道のほぼ中間である九道の辻に着く。この「九道の辻」は鎌倉街道や江戸街道など九本の道が交叉しており、この辻には「自分と同じように道に迷う人がいるかもしれない」と新田義貞が目印に植えたといわれる「迷いの桜」もある。
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・この辺りは西武線がとても多い。短時間の間に 西武池袋線、西武新宿線、西武園線、西武拝島線、西武多摩湖線、西武国分寺線と実に6路線を通過した。付近住民は慣れるまで大変だろうに。
・津田塾大学近くには玉川上水があり、この川には「鎌倉橋」がかかっている。
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・この玉川上水は承応三年(1654頃)に「知恵伊豆」こと松平信綱の命により、玉川兄弟が竣工した江戸への飲料水供給のための用水路であり、新宿まで繋がっていた。
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・この玉川上水から分水して埼玉方面に伸びたのが「野火止用水」で さいたま郷土かるたでも「住む人の暮らし支えた野火止用水」と小学生のころ習ったり。
・この日は西武国分寺線の鷹の台駅でゴール。そのまま国分寺駅経由で東京駅へ。
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