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2017年07月20日23:39

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「おじいちゃんはデブゴン」「ろんぐ・ぐっどばい〜探偵 古井栗之介〜」「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」「ミューズ・アカデミー」「残像」

1日は 「おじいちゃんはデブゴン」
     「ろんぐ・ぐっどばい〜探偵 古井栗之介〜」、

2日は 「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」、

3日は 「ミューズ・アカデミー」
     「残像」、

5日は 「イヴの総て」
     「ドッグ・イート・ドッグ」、

6日は 「「知事抹殺」の真実」
     「ディストピア パンドラの少女 」、

7日は 「ありふれた悪事」、

8日は 「ありがとう、トニ・エルドマン」
     「タレンタイム 優しい歌」、

9日は 「シーリーン」、

10日は「ジョン・ウィック:チャプター2」
     「ライフ」、

12日は「草原の河」、

13日は「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」
     「メアリと魔女の花」、

15日は「パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊」
     「彼女の人生は間違いじゃない」 を観に行きました。





「おじいちゃんはデブゴン」 ’16 (中・香)

監督・アクション監督:サモ・ハン

サモ・ハン 20年ぶりの監督作。
香港映画なのに中ロ国境の田舎町が舞台なのは
ロシアンマフィアが敵だからなのだが、
人情噺をアクションで語る構成は構成が先に見えてしまい
お隣りの少女をめぐる人情噺が形だけになってしまった印象。
認知症モチーフは成功しなかった…ね。





「ろんぐ・ぐっどばい〜探偵 古井栗之介〜」 ’17

監督:いまおかしんじ 脚本:川崎龍太,中野太

いまおかしんじの新作。
面白いっ!
性風俗とかギャンブルとか少々胡散くさい世界の周辺が
そこに纏わる人間たちによって胡散くさく語られていて
この胡散くささこそチャンドラーの原作の魅力なんじゃないか?
吹きだまりみたいな人生を甘んじて生きる登場人物たちの生態が
可笑しくももの悲しく
ハードボイルドを背負うにはトホホすぎる探偵 古井栗之介を
森岡龍が愛しく演じている。
佳作。お薦め。





「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」 ’15 (伊)

監督・音楽・製作:ガブリエーレ・マイネッティ

永井豪原作のTVアニメが40年後イタリアで
こんな形で映画のモチーフとなるとは!!
イタリア製スーパーヒーローは
アメコミでもジャパニメーションでもない“おいらの正義”をかざすことになる
ローマの路地裏に生きるごろつきで、
その“おいらの正義”を導くのが精神障害者と思しきヒロインで、
ジェルソミーナの聖性に慟哭するザンパノのように
主人公エンツォはヒロイン アレッシアの“鋼鉄ジーグ愛”を継承するのである。
偶然得た“怪力”をATM毀壊なんぞに使っていたヒーローは
世界征服を目論むようなファンタジーたる“悪”ではなく
くそ生きにくい世の中を普通に生きている人々を襲う不条理から
つまり自動車事故の火焔の中から子どもを救出するといった
ローマの路地裏のごろつきの身の丈に合った
“おいらの正義”を発見するわけで、
宿敵ジンガロの
人間の、悪の、底の浅さが却って笑えるほど気持ちよいのと相俟って、
エンツォがマスクを被って「鋼鉄ジーグ」になるラストに
拍手喝采!なのである。
佳作。必見!





「ミューズ・アカデミー」 ’15 (西)

監督・脚本・撮影:ホセ・ルイス・ゲリン

イタリア人ピント教授のバルセロナ大学での講義風景が撮られているのだが、
芸術家にインスピレーションをもたらす
ミューズについての講義を聴講する女たち(男もいるのだが…)の貌と
教授との意見のやり取りを眺めていると
ほとんどドキュメンタリーのようなのだ。
実際ピント教授からの依頼で講義風景を撮り始めたらしいから
教授も聴講生たちも本物ではあるのだが、
教授と学生,教授とその妻,学生と学生,学生とその幼い娘,教授の妻と学生…
といったシチュエーションでの会話の積み重ねは
ああ これはフィクションなのだ…と思わざるを得ず、
カフェのガラスや車の窓に映り込む外界の姦しいほどの豊かさに見とれながら
ああ、この眩惑こそゲリンだったな…と
ニヤニヤしてしまう。
ガラスに反映する“外”と女たちの“内奥”は
彼女らの明晰な思考や曖昧な言葉によって映画に
時に緊張を、時に苦笑をもたらすから
そこにゲリンの作為や誘導が仄見えて
密かに嬉しくなる。それがゲリンを読む愉しみ。





「残像」 ’16 (ポーランド)

監督:アンジェイ・ワイダ 脚本:アンジェイ・ワイダ,アンジェイ・ムラルチク

アンジェイ・ワイダの遺作。
前衛画家ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキの最後の4年間が描かれる。
予告編で流れる
創作中のアトリエの窓外をスターリンの紅い幕が覆い尽くす―あのシーンだけで
ワイダの卓越した画面構成と演出力に胸がすくが、
ソヴィエトの絶対的影響下を生きる芸術家の物語は
ワイダが世界に登場したその最初から
権力の横暴とそれに抵抗するポーランド人の姿を描いて
全くぶれることがなかった―ことを明かしていて、
そのことに深く感動するのだ。
革命ロシアの共産主義の未来を信じ 裏切られ
ソ連の抑圧下に地位も名誉も尊厳も奪われ尽くしたまま亡くなった
ストゥシェミンスキの無念はいかばかりか…
苦い感慨を受け取るのもワイダ作品のお約束なのだった。
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