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2017年07月28日21:56

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勉強会講話より「ヴィヴェーカーナンダの生涯」第一回(5)

【本文】

 ナレーンドラの母のブヴァネーシュワリーは、ナレーンドラの生来の美徳を発達させる役割を果たしました。ある日、彼が学校で不当に扱われていると母に語ったとき、彼女はナレーンドラに言いました。
「ねえ、かまわないじゃないの? 自分が正しいと思ったら。結果など気にしないで、いつも正しいことに従いなさい。真実を守るためには、しばしば、不正とか嫌な結果に苦しまねばならないでしょう。けれども、いかなる境遇にあっても、真実を忘れてはなりません。」



 はい。これもとても感動的なところですね。つまりお母さんも、今言ったように、それは――なんていうかな、大事にしてるサリーとかを勝手に子供が乞食にあげちゃったらそれは怒るけども、しかし別にお母さんも冷たいお母さんだったわけじゃない。お母さんももちろん、このね、一つの縁のある、さっき言ったドゥルガーチャランっていうおじいさんを始めとして、一つの聖なる家系に嫁いできたお母さんなので、徳あるお母さんだったでしょうね。だからそういった、言ってみればインドの一つの宝であるヒンドゥー教の大いなる教えに則った教育を受けて、ナレーンドラは幸せに育ったんでしょうね。
 はい。ここの部分も、ナレーンドラがある日、学校で不当に扱われていると感じて、それをお母さんに言ったと。しかしそれに対してお母さんは、「ねえ、かまわないじゃないの? 自分が正しいと思うなら、結果など気にしないで」と。つまり、不当に扱われようが扱われまいが、そんなことはどうでもいいじゃないかと。あなたが正しいと思うんだったら、いつもそれに従えばいいと。「真実を守るためには、しばしば、不正とか嫌な結果に苦しまねばならない。しかし、いかなる境遇にあっても、真実を忘れてはならない」と。「あなたは自分が真実だと思う理想に誠実に従えばいいだけだ」と。
 もう一回言うけども、この世っていうのは、真実に従えばうまくいくとか、あるいは幸せになるっていうわけでもないんだね。これは何度も言ってるけど、わたしも小さいころそれを考えたことがあります。何度も言ってる話だけど、もう一回言うと、わたしの記憶としてあるのは、小学校一年とか二年とかのことなんだけど。何度か言ってるように、わたしは、どれくらいからか分からないけど、小さいころから――もちろん言葉は知らないけどね――概念として、カルマの法則を信じてたんだね。つまり、いいことをやればいいことが返ると。悪いことをやれば悪いことが返ると。それから、まあ正しくっていうか、まあ例えば人に優しく、人を苦しめてはいけない。あるいは「良い心で生きる」っていうか、きれいな心で生きるっていうことがいいんだっていう感覚があったんです。で、それを自分の――なんか変な子供だったね、そう考えるとね――自分の宗教みたいな感じでそれを持っていたときがある。うん。自分の中のその――もちろん、人には言わない。人には言わないで自分の中での――今考えるとまさに宗教なんですけどね――自分の中の一つの教えみたいな、自分がすがる一つの柱みたいなものとしてそういうものを持ってたことがあったんだね。で、それで小さいころ生きてたんだけど、でも小学校とかでいろんな友達と交わるようになって、いろいろ、つまり「小学校」っていう一つの社会を見てるとね、なんか違うような気がしてきたんだね。つまりまあいじめっ子とか、あるいはずるいことしてる人とかが、結構うまくいってたりする。楽しそうだったり、なんかクラスでも輝いてたりする。で、そうじゃないいい奴とか、真面目にやってる人とかが、ちょっとこう不当な扱いを受けてたりとか、そういう場面をよく見るんだね。そうすると「あれ? なんかちょっと違うのかな」っていう気がちょっとしたことがあった。この世っていうのは、正しく生きるとか良く生きるとか、人のために生きることによって幸せになるとかいう法則はないのかなって、ちょっと疑問がわいたことがあったんだけど。でもそのときはわたしは、別に誰にも教えられずにね、悩んだ末に、「いや、これはある」と。「絶対にある」って、なんか確信があったんだね。だからそれはねじ曲げなかったんだけど。
 しかし――もう一回言うよ――例えばこのナレーンドラもそうだけど、お父さんからそのような影響を受けて、で、正しいその道を突き進もうという性質はあったと思うんだけど、しかしそれなのに不当な扱いを受けると。これはやっぱり変なんじゃないかと。あるいは、それなのに苦しまなきゃいけない。これは変なんじゃないかと。これはこういう壁には多くの人がぶつかるのかもしれない。しかし答えを言うと、このお母さんがまさに言ってるわけだけど、それが世の習いなんです。世の習い。つまりこの世で、皆さんが逆に――変な話すると――逆に皆さんがこの世でエゴに迎合し、自分のエゴを甘やかし生きてた方が実は結構うまくいったりします。この世においてはね。それはまあ悪魔の罠なんだけど。皆さんが本気で自分のエゴと闘おうとして、で、立ち上がり、誠実に理想を貫こうと真剣になってきたら、逆に不当な扱いを受けたり、あるいは苦難がやってきたりします。それがこの世の習いなんだね。それは当たり前のことであると。これはだから、それをお母さんは教育したんでしょうね。かまわないじゃないかと。つまり、正しいこと――つまり、正当な扱いを受けるためにあなたは正しいことをやってるんじゃないと。結果として正当に扱われようが不当に扱われようがいいじゃないかと。結果として人から苦しめられようが褒められようが、どっちでもいいじゃないかと。ただ真実だけを手放すな、というのをそのお母さんは教えたわけですね。
 この後のナレーンドラの人生を考えると、やっぱり面白い感じがする。なぜかというと、さっきのお父さんの話とも絡めてね――もう一回言うよ。ちょっと全体的に言うと、はい、お父さんは大変な慈善家であって慈悲に満ちていたがゆえに、後先考えずに、貧しい人にお金をばらまき続けたと。で、そのおかげで――あるとき突然お父さんは死んでしまうんですけども、死んだあとに発覚したわけだけど、つまりあまりのその慈善活動のゆえに、家が大いなる借金だらけだったと。で、その借金だらけだったために、その日からナレーンドラ一家は大変な貧乏になるわけですね。
 つまり、もう一回言うよ。――お父さんはもちろんいい人だった。で、お父さんなりの一つの考えによって、後先考えずに、つまりある意味家族のことを考えず、貧しい人のために、あるいは苦しんでる人たちのために散財したと。で、それが――いいですか、それなるがゆえに、ナレーンドラ一家はその後苦しまなきゃいけなかった。
 そして、そこにおいてですよ、ナレーンドラは――もうそのころはラーマクリシュナに出会ってたんですけども――一生懸命、お父さんが死んだから代わりに自分が働こうっていう感じで職探しをするわけだけど、しかし全然職が見つからないと。で、大変なその――まあ貧乏もそうだけども、なんかこう、親戚にひどい人がいて、それまではお父さんにすごく甘えてたのに、お父さんが死んだらそのナレーンドラの家とか財産を奪おうとする親戚まで出てきたと。で、そこで人間不信になったりとか、あるいはそのための裁判で忙しくなったりとか、まあ大変な苦境に落とされたわけですね。で、その苦境の中でもナレーンドラは、もうラーマクリシュナにも出会ってたし、自分の信念を曲げずに正しく生きる道から外れずに頑張っていたと。しかしそこで、もうお母さんはまいっちゃったんでしょうね。まいっちゃって、神に祈りを捧げるナレーンドラを批判する場面とかあるんだね。もうお母さんは昔の優しいお母さんじゃなくて、貧しさや――まあつまりお母さんもおそらく、もともといいとこの出で、お金持ちに嫁いできたお嬢さんだったんでしょう。で、それで経験したことのないような、しかもお母さんにとっては晩年ですからね――晩年になって、こんな不幸な人生に落とされて――まあ未亡人だしね。インドでは未亡人って不幸の象徴みたいなものらしいから。未亡人になってお金もなくなって。いろんな、親戚からも裏切られ、こういう苦しみの中で、もうパニックになっちゃって。で、こういう状況でも神に祈ってる息子のナレーンドラを徹底的に批判したり非難したりするんだね。でも――いいですか――かつて子供のときに、何があっても真実を貫けと教えてくれたのはお母さんだと。だからナレーンドラは貫けた。ナレーンドラはこの、今は自分を非難しているお母さんに教えてもらった教えによって、貫いたんだね。
 で、ラーマクリシュナ――まあそのころ――あとで出てくるけど――多くの人がナレーンドラに悪い噂を立てたと。ナレーンドラはもう貧困の中で神を忘れてしまい、いろんな売春宿とかいろんなところに出入りしているらしいみたいな、噂が広まったと。で、ナレーンドラもちょっと阿修羅的だから、「そんなことしてません!」って言わないんだね。「それぐらい、それでこの苦境が忘れられるならば、そんなところでも行ってやろう」みたいに、そんなふうにこう言っちゃったもんだから、それが大げさに広まっちゃって、「あいつ認めた」みたいな感じで広まっちゃって、みんなが「ナレーンドラはもう神から外れた」みたいに言ってたんだけど、ただラーマクリシュナだけはそれを信じなかった。「彼がそんなふうになるはずがない」と。「母なる神がそう言ってらっしゃる」と。ラーマクリシュナだけがそれを信じていたと。結局、ナレーンドラ自体はもちろん、その道から外れてなかったんだけど。
 で、もう一回言うけども、大いなるこの流れを見ると、とても面白い感じがするんだね。おそらくこのお父さんもお母さんも徳が高い人だったんだと思う。で、実際真理と縁のある人だったんだと思う。で、大いなる流れで見れば、このナレーンドラという一人の人物を、小さいころから、まあある時期は正しい教えを与え、そしてある時期は苦悩を与え、そしてのちの救済者として育て上げるための大いなるドラマの登場人物として役割を果たしてたんだと思うね。そう考えるとすごく感動的っていうかな、大いなるシナリオだなっていう感じがするね。
 じゃあ次もいきましょう。


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