大学に入って勉強をする。
そして、就職する。
社会人1年目だから、知らないことしかない。
だから勉強する。
研修を受けて学び、復習をして学び。
自分でビジネス書を買って読んで学び、復習をして学び。
学んだことを実践して上手くいくことがあるかもしれないが、失敗する方が多い。
失敗は成功の母、ということで、失敗から学び、また実践する。
こうやって、学び、実践をして、失敗をし、そこからさらに学び、実践して、小さな成功体験を得る。
その体験が自信となって、また前に進んでいく。
私は病気の為、就職できなかったのでこのようなことは出来ていない。
でも、知人はみんなそうしているし、私が就職できていたら必ずそうしていた。
だけど、これが素晴らしい生き方なの?と、小さな問いを投げると疑問が湧く。
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本屋をプラプラ散歩しながら眺めてみると、大量のビジネス書がある。
ロジカルシンキングや数学的思考
一代で大企業に育て上げた人の、ビジネスの考えから、
新入社員が読むような、自己啓発本までたくさんある。
実家にもその類の本があったので、つまみ読みをしたことはある。
確かに勉強になるし、必要な事が書かれているし、読んで損はない。
理論系から思考法から、実践の仕方まで多彩な本がある。
その本コーナーの横には、経済学や経営学の理論系から現状本まで多数ある。
そこには、社会で生きていくための大切な知識が詰まっている。
だけれど、人は何も経済という社会の中で生きているわけではない。
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人それぞれが自分の人生を歩んでいる。
仕事で悩んだ時は、それらの本が解決へと導いてくれるかもしれない。
だけれど、プライベートで悩んだとき、その道しるべはどこにあるだろうか。
失職した時、
大病した時、
夫婦の危機になった時、
生きる意味自体を見失った時。
そんな時に、本屋を歩いていても、導いてくれる本はほとんど見つからない。
たくさん学び、多くを実践し、社会で成功しても、
自分自身の人生に充足感が得られなければ、意味がないのではないか。
社会での成功が必ずしも、人生を充足させてくれるわけではない。
仮に充足していても、退職したら、成功者ではなくただの人になるので、アイデンティティを失ったりする。俗にいう、退職後うつなどがこれに当てはまる。
学ぶこと、実践することを一生懸命やってきたようで、
実はそれは自分の人生の一部の所だけを、頑張っていただけかもしれない。
それは単なる仕事人間で、
家庭をおざなりにし、
妻をおざなりにし、
子供をおざなりにし、
生きてきた。
そして、自分自身の人生自体をおざなりにしてきたのかもしれない。
学んでいる様で、実は学んだことは、人生のほんの一部なのだと思う。
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何かに行き詰った時、神社やお寺に行って願い事をする。
ご縁があるから、と5円玉を投げ入れ、たいそうな願い事をする。
けれども、昔の人は違った。
神社やお寺に行って願い事をする時、必ず奉納していた。
食べ物に困窮していたら、食べ物を神様に捧げる。
お金があったら、多額のお金を捧げる。
馬を持っていたら、馬を奉納する。絵馬の原点。
そう、昔の人は、願いを叶えて頂く為、自身の身を切って願い事を神様にしていた。
それが当然で、それが奉納であり、それが神様に対する正しい心の態度であった。
しかし、5円を投げ入れ、
「志望校に合格させてくれ」
「理想の相手と結婚させてくれ」
「出世できますように」
など、仰々しいことを無粋な態度で、お願いする。
では、誰が心の正しい態度を教えてくれるのか。
本屋にいっても、意外とそのような事が書かれている本は、ほとんどない。
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神に対する態度を学ぼうとする人はいるだろうか。あまりいないと思う。
別にそれを学ぶべきだ、と言いたいのではない。
人生に行き詰った時、
人生自体を学ぶ、そのような態度が欠けているのだと思う。
悩み、苦しんだら、精神科に行く。
抗うつ薬を飲んでしばらく安静にしてね、で終わり。
積極的に、人生を学ぼう、実践しよう、ということは現代人にはできていないと思う。
薬がない時代に生きた人は、苦しみもがき、人生を乗り越えようとした。
それが、思想家であったり、哲学者であったり、成功者であったり。
よりどころが見つからなかったら、神であったり。
大切なことは、社会で成功することではない。
自分の人生を豊かにすることだと、私は信じている。
人生に行き詰ったら、立ち止まる。
人生に行き詰った過去の人たちは、たくさんいる。
そのような人の本を手に取る。
社会では何も役には立たないが、自身の方向性を照らしてくれるかもしれない。
それが、本当の意味での学ぶということであり、
人生を生きていることである。
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