mixiユーザー(id:5277525)

2018年09月19日22:32

167 view

9月19日

 これまでに万引きをしたことがあるか、という話になった。そこにいた何人かは少年時代に駄菓子などをポケットに入れた経験があると言った。正直なところ、ぼくは一度も万引きをしたことがなかった。でもそこで潔白であることを発表すると、いい子ぶっているのかと思われる恐れがあるし、いかにも興ざめといったため息が聞こえてきそうだったので、妹の体験談をあたかも自分のことのようにして話した。
 妹は、小学校4年のときに友達数人とデパートの雑貨用品店をぶらぶらとしていた。とくに小遣いも渡されていなかったから、何かを買うつもりもなく、ほとんど真夏の熱さから逃れる目的でそこにいた。そのどこにも焦点の合わないふわふわとした様子が、もしかすると不審に映ったのかもしれない。私服警備員の女性はこっそりと子どもたちの後をつけ、その動向を注意深くうかがっていた。そして子供たちが物陰にかくれた瞬間に駆け寄り、「あなたたち、ちょっと来なさい」と威圧的な影でおおった。
 事務室らしき部屋で立たされた子供たちは、身の潔白を主張した。われわれは怒られるようなことは何もやっていない。しいていえば、ちょっとうるさく喋っていたくらいだ。「嘘をつくんじゃないわよ、あたしはちゃんと見てたんだから」女性は金切り声をあげた。現場をとりおさえた昂ぶりは彼女をいくぶんヒステリックにさせ、視野をせばめさせた。その迫力を前にして、子供たちの何人かは泣き出してしまうにいたった。
 しかし、そのあとにポケットやバックの中を隈なく調べたところ、店の商品はひとつも出てこなかった。事実、子供たちは何も盗っていなかった。訳のわからないうちに奥へ連れていかれて、目の血走った妙な中年女性に覚えのない罪をとがめられた。彼女たちは少なからない心の傷を負い、解放されたあとにも安堵は訪れず、半ば放心状態でそれぞれ帰宅をした。
 その夜、怒りにうちふるえた保護者たちが連絡を取り合い、事実を確かめあったのち、そのデパートに抗議の電話をかけた。それははじめて見る母親の姿だった。受話器を固くにぎりしめ、何もない壁に向かってチンピラめいた口調でまくし立てている。娘が濡れ衣を着せられたことに激怒し、正気を失い、とち狂ったパンクロッカーみたいに髪を振り乱した。
 電話が終わったあと、家には異様な静けさが満ちていた。なにも間違ったことはしていないはずなのに、そこには秩序が抜け落ちて不安定な揺れみたいなものがあった。当時のぼくは話に無関係でありながらも、その不穏な空気に取り込まれるようで息苦しさを覚えた。
 ほどなくして、インターフオンがなる。デパートの人間が訪れてきたらしかった。玄関の方から何やら謝罪の声が聞こえてきた。ぼくはこっそり顔をのぞかせて、様子をうかがった。そこには二人の大人がいた。ひとりはその女性で、もうひとりはたぶん責任のある立場の男だったのだとおもう。神妙な面持ちで深々と頭を下げ、親がそれを沈黙して見つめている。妹は怖がって部屋から出てこれなかった。たぶん手渡されたカステラも食べないのではないかと思う。なんだか家が暗くなった。
 ぼくは、これの主人公を自分に変えて、みんなに話をした。万引きしたことはないが、疑われたことならあるというテイストで。でも途中からうすうすと、話のセレクトに問題があったことに気づきはじめた。このままいくと、ぼくが母親に泣きついて、電話で怒鳴ってもらったことになる。謝罪に来たときも、ぼくは怖くて部屋から出てこないことになる。妹と自分を入れ替えたことによって、その女々しさまで引き受けるのはかなりの誤算だった。そしてそれを堂々と話しているイタさも含めて、ぼくは途端に赤面していった。
 
2 2

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する