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2018年10月22日09:37

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キリスト教109〜功利主義・修正自由主義とキリスト教道徳

●功利主義・修正自由主義とキリスト教道徳

 西方キリスト教は宗教改革を行い、それが文化的近代化の推進力となり、近代資本主義の発達にも寄与した。しかし、近代化の進行に対し、キリスト教は対応することができなくなっていった。そして、キリスト教に基づきつつ、キリスト教に替わって、近代社会における価値観や規範を提供する思想が現れた。それが先に述べた啓蒙思想や合理主義であり、19世紀にはそれらを発展させた新しい思想が現れた。功利主義、社会主義、共産主義である。
 まず功利主義(utilitarianism)は、19世紀にイギリスでジェレミー・ベンサム、ジョン・スチュアート・ミル等によって唱えられた思想である。功利(utility)とは、物事の効用や有用性を意味する言葉である。その功利を倫理的な価値とする思想が、功利主義である。
ベンサムはいう。人間は、快楽の総計を増大させ、苦痛の総計を減少させようとする。その結果、得られるものが、個人の幸福である。個人の幸福は、社会全体が幸福である時に最大になる。そこで、「最大多数の最大幸福」が目標となる。ベンサムはこれを「功利の原理」とした。ベンサムにおいては、効用の最大化が正義とされた。
 ベンサムに特徴的なのは、快楽を量的に表現し、計算することができるとした点である。ベンサムは、この計算を快楽計算とよんだ。計算の基準には、強さ、持続性、確実性または不確実性、遠近性、多産性、純粋性、範囲または影響を受ける人数を挙げた。この定量化は、ニュートンが万有引力の法則を発見し、自然を統一的にとらえる力学を完成させたのを受けて、精神科学を自然科学と同じような精密科学としようとする試みである。
 ベンサムは、「功利の原理」を、後に「最大幸福の原理(the greatest happiness principle)」と言い換えた。それゆえ、功利主義は、最大幸福主義と呼ぶことができる。
 ベンサムの功利主義(最大幸福主義)には、重大な欠点があった。どんな人間でも快楽を求め、苦痛を避けるものだとするのは、事実を単純化し過ぎていること。快楽の追求、苦痛の回避が善なら、すべての行為が正しいことになること。自分の幸福と他人の幸福とは衝突することがあること。快楽計算の実例が挙げられていないこと。快楽計算は、実際には非常に困難であること。最大多数の最大幸福のためには少数者の犠牲はやむを得ないとすると、個人の自由と権利が侵害される場合があること、等々である。
 これらの欠点を踏まえて、ベンサムの理論の修正を行ったのが、J・S・ミルである。ミルは、ベンサムが快楽を量的にとらえたのに対し、質の相違を認めた。ミルの「満足した豚であるよりも、不満足な人間である方がよく、満足した馬鹿であるより不満足なソクラテスである方がよい」という言葉は、食欲の満足のような質の低い快楽と、真理の探究のような質の高い快楽を区別したものである。
 ミルは功利主義者であるとともに、修正的自由主義者でもある。修正自由主義とは、17〜18世紀のイギリスで発達した自由のみを価値とする古典的な自由主義に対して、自由とともに平等の価値を尊重する思想である。ミルは、功利すなわち社会全体の最大幸福を主要な原理とし、自由と平等の調和を補助的な原理としている。ミルは最大幸福を目的として、古典的自由主義を修正し、自由と平等の調和を図った。労働者の団結権を擁護し、所有・相続・土地等の制度改革を承認した。また労働者の選挙権の拡大、婦人参政権を主張した。さらにサン・シモン、フーリエらの社会主義に共感を示した。ただし、社会主義に対しては、理念には賛成するが、個々の理論には反対するという立場だった。
 ミルは、最大幸福という目標の下で自由と平等の調和を図ったが、その思想は19世紀後半のイギリスで広く影響を与えた。私見を述べると、イギリスの社会主義が、マルクス=エンゲルスの共産主義と一線を画し得たのは、ミルの思想の影響によるところが少なくない。イギリスの社会主義は、イギリスの伝統的な個人主義や相互扶助的な要素を保持した。議会主義に基づく漸進的な社会改良を目指すウエッブ夫妻、バーナード・ショーらのフェビアン協会が社会主義の主流となった。
 ミルの修正自由主義的な功利主義(最大幸福主義)は、キリスト教の道徳思想とも親和的だった。ミルの思想は、利己的個人主義や利害打算的な考え方とは、大きく違う。そのことを最もよく明かすのは、ミルが次のように書いていることである。「ナザレのイエスの黄金律の中に、われわれは功利主義倫理の完全な精神を読み取る。おのれの欲するところを人に施し、おのれのごとく隣人を愛せよというのは、功利主義道徳の理想的極致である」と。ミルはまた人類の社会的感情の根底には、「同胞と一体化したいという欲求」があるとし、社会全体における人格の向上が最大幸福の実現となることを説いている。ここにおけるキリスト教の理解は、キリスト教を啓蒙主義的に道徳的宗教ととらえる見方である。
 政治思想では、ミルはイギリス伝統の個人主義の立場に立ち、「権力からの自由」を強調しつつ、この政治的自由に加えて、新たに社会的自由を主張した。これは、多数者の横暴からの自由であり、少数者の権利を保護するものである。ミルはまた婦人問題に強い関心を示し、産業革命後のイギリスで悲惨な婦人が増大したのに対し、婦人の権利の拡大を追求した。さらに、ミルはイギリスの植民地支配に反対し、イギリスは植民地を独立へと導くよう主張した。ここにも道徳宗教化されたキリスト教の思想を見てとることができる。

 次回に続く。

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