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2017年08月03日21:45

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前川元文科省事務次官の講演書き起こし

福島県市民連合+大学・短大研究者の会主催の前川喜平氏講演会(福島県文化センター 2017年8月2日)の書き起こしをツイッターで見かけました。少し長い上に、書き起こしの読みにくい文章で恐縮ですが、彼の人柄も出ているところもあり、ご一読を。
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加計学園をめぐる問題は、つまるところ、国家権力の私物化である。特区のひとつ、今治市で特定な学校法人に特別な計らいが行われた。

獣医学部は基本的に作らないというのが基本。獣医師は増え続けている。一方で、人口減の影響で動物の数は減り続けている。
獣医学部は6年間かけて学び、実験実習施設にもお金がかかる。法科大学院より難しい。議論は大いにしてよいと思う。規制緩和の是非ではなく、加計問題は規制緩和の下で国家が特定の学校法人に利益をもたらそうとしたことである。

特区で新しい獣医学部を作る場合、1これまでにない新しい計画をしめす、2新しい分野での人材需要がある、3既存の大学では対応が困難である、4獣医師の全体の需要を見ながら設置すべき地域を検討する、という4つの条件を満たさなくてはならない。
この4つの条件を満たすのは、大学にとっと非常に難しい。加計学園がそれを満たしているか、について、政府はまったく検討していない。諮問会議やワーキンググループで、獣医学部に詳しい人を加えてきちんとした議論がなされていない。

加戸・前愛媛県知事は、獣医学部の知識については私とそう変わらない。ワーキンググループのメンバーは、何でもかんでも規制緩和すれはいいという人たちばかり。閣議決定したこの4条件は、守らなくてはならないものだから、文科省はそれを主張し続けた。

一方、後で京都産業大が出してきたプランは、とても良いプランだった。京都大学との連携も計画していた。山中伸弥教授のiPS細胞研究を獣医学にも応用できるわけです。ワーキンググループで説明した先生も獣医学の専門家だった。加計にとって強力なライバル。
にもかかわらず、「広域的に獣医学部が存在しない地域に限る」と「平成30年度開設できる大学」という新条件がいつのまにか加えられた。相当準備をフライングしていなければ無理。そこに唯一手を挙げたのが、今治市と加計学園。今治市と加計学園は十年も前からペアで構造特区の申請を行ってきた。今治市といえば、加計学園だった。それを今年の1月20日になって初めて知ったという、不思議なことを言っている人がいる。

私と福島とのつながりは、自主夜間中学のとりくみを通じて。東北、北海道に、公立夜間中学は1校もない。こうした夜間中学は、各地方自治体が設置するので、その地域の住民の税金によって運営されている。その地域に縁のない人がそこで学ぶのは難しい。
公立夜間中学で学ぶ人の七割が外国人。実際に読んだり書いたりできない人たちは、私たちが想像する以上に多数いる。

公立夜間中学の起こりは昭和20年代。六三制が制定されても、実際には昼間、中学に通えない子どもたちがたくさんいた。こういう子どもたちの学びの場として作られた。
昭和30年代夜間中学の利用者が減っていくにつれ、文部省はそれを潰そうとした。しかしその頃は若い時に中学校に通えない大人たちの学びの場となった。特に関西では被差別部落の方々や在日韓国人の方々、また韓国や中国の引揚者の方々の学びに必要な場であった。

不登校の生徒がいま現在も12万人いる。1980年代には、夜間中学で学ぼうとする不登校経験者が増加した。文部省はこうした不登校の生徒にも卒業証書を出すよう中学に指導したので、実際には不登校でも卒業した方が夜間中学に入り直す事ができなくなった。
近年になり、文科省はこの方針をあらためて、すでに中学校の卒業証書を持っているも、夜間中学に通えるようになった。

また不登校の生徒にとって、公立中学の外に別の中学があることは、とても大事。学校が辛くなったら、行かなくていい。学齢期に学べなかった子どもたちに、教育の機会を与えるために、特別な時間帯に開かれる学校が必要だ。

私は学びたい人たちが十分に学べる場を作る仕事をしていきたい。前文科事務次官という肩書がどこまで通じるかわからないが、もしそれがなくなったら、福島駅前自主夜間中学・前川喜平という肩書でがんばりたい。

国会の委員会で他の人が話している時、気の毒だなぁと思っていた。現役だったら私もああなっていたかもしれない。官邸と文科省との関係はヘビとカエル。睨まれたら動けない。私は辞めたから言えるんですよ。
ならぬものはなりませぬ、という福島の10の掟は大事だと思う。一方で、自分で考えて自分で正義を見つける力をつけることが大切。

国家公務員として組織で働いてきて、個人として一国民として考えて判断することが大事だと思う。それを文科省の若手にも伝えてきた。面従腹背というが、魂は組織に一時的に貸すのはいいが、必ず取り返すべき。魂を売りっ放しにしたのが財務省。
天下りを斡旋してはいけないという違反が夥しい数でてきた。私が知らなかった案件が大半。しかし私自身もこれはOKだと思っていた事案も実はアウトだった。島貫さんの件。実際には人事課と一体になっていて違法だった。

これはここだけの話ですが、二年前の9月18日、実は私は国会正門前にいたんです。SEALDsの「集団的自衛権はいらない」はとても散文的なコールだなぁと思っていました。私は新安保法は憲法違反だと思う。作るべきではない。

実は私自身が、小学校3年の時に不登校になった。奈良から東京に転校して、使う言葉も違う、先生も優しくなかった。奈良ではなかったプールの授業で溺れて死ぬかと思った。二学期以降、学校に行こうとすると吐き気がするようになった。
学校という、人間を規格にはめていく所が、私はあまり好きじゃなかった。こんな私が文科事務次官になってよかったんでしょうか。

内閣人事局の問題。官邸が上級官僚の人事権を握っているために、上に上がっていくほど、官邸の顔色を伺い忖度するようになる。私などはそこをすり抜けて、事務次官になっちゃった。内閣府が肥大し、官邸直轄の政治が行われている。

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