同性愛は生物の営みから外れた行為であるばかりか、宗教的には「悪魔の行為」として見做され、キリスト教圏内では同性愛は犯罪として厳しく罰せられた。それは旧約聖書物語に登場する悪徳の街「ソドムとゴモラ」に由来して、ソドミーという語が使われようになったためである。
ただ同性愛自体は珍しいことではなくソクラテスやプラトンが活躍した時代において、同性愛(正確には、少年を愛でる行為)」がもてはやされた。また日本においては稚児や小姓として「少年を愛でる文化が」存在していたが、対象が少年ではなく大人に移行するようになると陰湿なものとして見做され「日陰の存在」と成り果てた。
この日陰の身にしておくべき存在を日の下に出そうというのは、糞や小便を所構わず撒き散らそうというのと等しい。もっとも世の中には糞便を好むスカトロがいるように、同性愛者の氾濫を意に介さない人はいるにしても、そうではない人たちにまで押し付けてしまおうというのでは、同性愛者を火炎によって消毒し且つ絶滅を図ろうとする人たちを呼び込もうというのと同じである。
パートナーシップ制度、追随も
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4948270
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