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2017年07月14日03:12

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【御陵世界遺産】なぜ反対するのか

仁徳天皇陵(大阪府堺市)・応神天皇陵(同羽曳野市)・仲哀天皇陵(同藤井寺市)などの皇室御陵墓を主体とする、いわゆる「百舌鳥・古市古墳群」について、そのユネスコ世界文化遺産登録に反対する活動を十年以上続けてきましたが、最近この問題を始めて知ったという方もおられると思いますので、「なぜ反対するのか」という原点のお話をここでは記させていただきます。

もちろん、「皇室の御陵を観光客集め・金儲けのネタにするのはけしからん」という自然な感覚が基礎にあるのは当然のことです。今も山手線を走っているあの下品な広告車輌や、数年前の大阪府知事による仁徳天皇陵イルミネーション発言が代表するような商業主義の魔手から、御陵墓を護らねばならないという思いです。

しかし、そうした商業主義のうしろに隠れ、むしろその商業主義を利用し操りながら、【反天皇】という政治的な意図を実現しようとする者たちの存在に気づいたとき、商業主義に対する漠然とした違和感は、「皇陵奉護」という活動へと発展せざるを得ませんでした。

下記は著名な考古学者・石部正志の発言です。

 はじめにも述べましたように、今、日本国は主権在民です。国民は、出自・性別・年齢・財産・居住地・思想信条、その他いかなる理由によっても、法のうえで差別されてはなりません。私達は、自分の身内の墓を「陵」などとは決して言いません。天皇とその一族が日本国民なのかどうかは、よく分かりませんが、彼らも、我々と同じ人間には違いありません。昔の天皇たちもすべて普通の人間だったはずです。「天皇陵」を天皇家が私的に祭っているのであれば、個人的信仰の領域を侵す理由はありませんが、宮内庁という国家機関が、国家神道にかかわる儀式の場の一種として、国費を使って公的に維持管理しているのですから、これは明白に憲法の精神に反しています。
 仮に、天皇家が私的に祭っているのであっても、信仰の自由を振りかざして、文化財を文化財とは認めない態度をとることは許されません。「天皇陵」に指定されている古墳も、指定されていない古墳も、文化財としての価値に差はなく、等しく文化財として手厚く保護されなければなりません。そのためには、さし当たって、「天皇陵」とされている古墳も史跡に指定するべきです。しかし、宮内庁当局は頑なに拒んでいます。

【石部正志「「天皇陵」の保護と調査をめぐって」(石部正志・藤田友治・古田武彦編著『天皇陵を発掘せよ』平成五年・三一書房)】

もういちど言いますが、これは「著名な考古学者」の発言です。それも考古学者が集まるシンポジウムでの。まるで極左セクトのアジ演説のようですが。彼ら考古学者が宮内庁管理の御陵墓を自由に調査できないことを恨む感情と、戦後的反天皇思想が一体となったのが、天皇陵発掘論であり、その前提としての史跡指定要求なのです──宮内庁が管轄する「陵墓」は、原則として文化庁が管轄する「文化財」(史跡・特別史跡等)には指定されません。

また、御陵墓をあえて「○○古墳」呼ばわりすることにも、単なる学術的意図にはとどまらない、宮内庁との闘争、ひいては御陵墓が御陵墓であること自体への反対思想が見て取れます。

下記は、仁徳天皇陵を初めて「大山古墳」と呼称した考古学者・森浩一の発言です。

 そこで、この『古墳壁画の謎』という本のなかで私は、「仁徳陵古墳」、「応神陵古墳」という名前を使ったんです。つまり現在は仁徳陵とよんでいる古墳、そういう意味ですね。ところが、これには宮内庁の役人が腹を立てたらしくて、文句の手紙が来ました。法律で決まっているものを勝手に変えるとはなにごとかと。ですが私も腹が立つから、またちがう本で、その手紙の一部を引用したんですけど、それからはなにもいってこなくなりました。
 この呼び方は一時的には効果がありました。陵墓問題について自分なりに悩んでいる人には、仁徳陵古墳というと、ああ、仁徳陵とよんでいる古墳という意味だなと、すぐ分かってもらえました。日本史の教科書などでも一時それを使いました。それから、私が一週間担当したNHK教育テレビの番組で、写真の下に仁徳陵古墳とキャプションがつけられて、それがかなり反響をよんだことがあります。NHKまでが「仁徳陵古墳」を使ったということで、一時的ですが、それは社会に一つの影響を与えたと思います。
           (中略)
 そこで一九七六年に『考古学入門』(保育社)という本を出したときに、思い切って──これはもう私自身にとってもかなり思い切ってですけど──今後いっさいそういう人の名前のちらつく遺跡名をやめようと考えました。それで考えた結果、仁徳陵を大山古墳、応神陵を誉田山としたんです。これで私の気持ちは、ほんとにスッとしましたね。なにか胃酸を飲んだような──私は胃酸なんてほとんど飲まないんですけど(笑)──長年のつかえがいっぺんに取れたような気がしました。あのときから私の頭のなかでは、たとえ宮内庁がああいう古墳を厳重に管理して、学者にも手をさわらせないといっていても、もはや和泉黄金塚とか黒姫山とかカトンボ山などの古墳と同じように、<strong>普通の遺跡にすぎない。普通の遺跡にしてしまったわけです。</strong>

【森浩一「陵墓限定公開二〇回記念シンポジウム」(平成一〇年一二月一二日、於・天理大学)での発言(陵墓限定公開二〇回記念シンポジウム実行委員会編『日本の古墳と天皇陵』平成一二年・同成社)】

現在、仁徳天皇陵をあえて「仁徳天皇陵古墳」と呼びつけ、山手線の車体広告にあるような「古墳にGO!」といったノリで「百舌鳥・古市古墳群」の世界遺産登録が喧伝される背景には、こうした経緯もあるのです──当初、地元自治体の推薦書では「仁徳陵古墳(大山古墳)」という表記が用いられていましたが、有志の反対活動の結果「仁徳天皇陵古墳」という表記まで押し戻すことが出来てはいます。しかし、上記の森の発言を参照するまでもなく、「仁徳天皇陵古墳」とは、「仁徳天皇陵とよんでいる古墳」という意味になってしまいます。

そして、長年にわたって反天皇思想を懐から覗かせた学者らが主張してきた、天皇陵発掘=その前提としての文化財指定と、世界遺産登録運動とを結びつける(彼らにとっての)名案が登場します。

下記は左派系の近代史学者・高木博志の主張です。

 ギゼーのピラミッドが世界遺産で、どうして堺の「仁徳天皇陵」(大仙陵)は世界遺産ではないのか? 陵墓公開運動で培われた民主主義の理念を継承し、世界遺産保護の視座に立つ時、外圧には誠実な姿勢の日本政府に対して、<strong>「『仁徳天皇陵』を世界遺産に!」のスローガンも道具として有効ではないか。</strong>
 二十一世紀には、「仁徳天皇陵」は特別史蹟の指定を受け、世界遺産に登録されるだろうか?

【高木博志『近代天皇制と古都』平成一八年・岩波書店】

この主張は、ユネスコ世界文化遺産の国内での担当官庁が文化庁であり、日本から世界文化遺産に推薦する場合には、その条件として文化庁による文化財指定がされなければならない、という慣例があったことを背景にしています──例えば、平成七年に原爆ドームを世界文化遺産に推薦する際には、文化財保護法を改正したうえで「史跡」指定をしています。

「外圧には誠実な姿勢の日本政府」、世界遺産・ノーベル賞など海外からの評価を喜ぶ国民性、そして世界遺産を観光客集め・金儲けのネタとして歓迎するであろう地元政財官界…それらをテコに、天皇陵を単なる古墳・単なる古代遺跡に貶める、との戦略を高木は赤裸々に語っているのです。

有志の反対活動の結果、現在までのところ、世界遺産推薦を理由とした御陵墓の文化財指定は行われておらず、文化財指定を行わないままユネスコに推薦する方針のようですが、今後イコモスによる指摘等、まさに「外圧」によって、文化財指定が一気に進む危険性は高まっています。

凡そ皇陵は、万世一系の皇統と国史を体現する国民の聖地であって、観光乞食の商業利権や、敗戦国体制を引き摺る左翼勢力の穢れた手に侵されることは断じてあってはならないのであります。

以上が、いわゆる「百舌鳥・古市古墳群」のユネスコ世界文化遺産登録に反対する理由です。

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今月中にも、文化審議会(文化庁の諮問機関)の会合(世界文化遺産特別委員会)で、「百舌鳥・古市古墳群」をユネスコに世界文化遺産候補として推薦することが決まりかねない情況です。

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