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2015年08月21日20:05

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中西遺跡・秋津遺跡は一体の広域集落跡 葛城氏発祥の地か

奈良、古墳時代前期最大級の集落 祭祀用か 
2015/08/19 23:32 【共同通信】

 奈良県御所市の中西遺跡(古墳時代前期、4世紀前半)で、竪穴住居26棟や井戸、溝などの跡が見つかり、県立橿原考古学研究所が19日、発表した。
 隣接する秋津遺跡では、祭殿とされる大型建物跡が発見されており、2遺跡は南北約400メートル、東西200メートル以上に及ぶ集落と判明。古墳時代前期で計画的に造られた集落としては最大級といい、研究所は「祭祀的な性格の強い集落で、利用方法が異なる土地を明確に分け、計画的に建物が配置されており、全国でも非常に珍しい」と評価している。
http://www.47news.jp/CN/201508/CN2015081901001643.html
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奈良の秋津・中西遺跡で古墳時代の「祭祀集落」を初めて確認 初期ヤマト政権の宗教施設か
 
産経ニュース 2015.8.20 07:55

奈良県御所市の秋津・中西遺跡で古墳時代(4〜5世紀)の竪穴建物跡が26棟分見つかり19日、橿原考古学研究所が発表した。
 同遺跡では平成22年に、塀で囲まれた空間に建つ大型建物跡が出土し、神社のような祭(さい)祀(し)施設と推定されている。これまでの出土分と合わせると建物跡は計81棟分にのぼる。26棟の建物跡は南西から北東に延びる流路沿いに方位をそろえて計画的につくられており、全体で南北約400メートル、東西200メートル以上に及ぶ大規模集落跡とわかった。
 祭祀地域と居住地域が幅30センチ〜1メートルの溝で区画されており、橿考研は「祭祀集落で、利用方法が異なる土地を明確に分け、計画的に建物が配置されたことがわかる全国初の遺跡」としている。
 同遺跡の建物跡は、これまでの出土分と合わせて計81棟分にのぼる。今回見つかった26棟の建物跡はいずれも方形で、大きなものは約6・5メートル四方。井戸跡も見つかった。橿考研は規模の大きさなどから地域の首長ではなく、初期ヤマト政権が営んだ祭祀集落の可能性があるとしている。
 石野博信・元兵庫県立考古博物館長(考古学)は「祭殿跡と祭りに従事する人の住居跡が初めてセットで見つかった。4世紀代の豪族の祭祀を考える上で、極めて重要な発見だ」としている。
 発掘現場は京奈和自動車道御所南ICの西側。現地説明会は23日午前10時〜午後3時。問い合わせは橿考研((電)0744・24・1101)。
http://www.sankei.com/west/news/150820/wst1508200033-n1.html
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【秋津・中西遺跡】
浮かび上がる初期ヤマト政権の計画的「宗教都市」

産経ニュース 2015.8.20 08:01

 奈良県御所市の秋津・中西遺跡で19日確認された大規模な古墳時代(4〜5世紀)の「祭祀(さいし)集落」跡。祭殿とみられる大型建物と、祭りにかかわる人たちが住んだ竪穴建物群が方位をあわせ、計画的につくられていた。初期ヤマト政権などの「宗教都市」の姿が浮かび上がってくる。
 秋津・中西遺跡は京奈和自動車道の建設工事に伴い見つかった御所市街地の南に位置する遺跡。広さは東西200メートル以上、南北約400メートルと推定されているが、さらに広がる可能性がある。
 その中の南西から北東方向に延びる流路沿いで、祭りを行った祭殿とみられる大型建物跡と、計81棟分の竪穴建物跡が確認された。大型建物は独立棟(むな)持(も)ち柱を持つ特異な構造で、神社の原形とも推定される。集落内は祭祀エリアと居住エリアがはっきり分けられていることも特徴だ。
 当時の日本の首都は桜井市の纒向遺跡とされ、政治の中心だった。秋津・中西遺跡はそこから南西に約15キロ。調査にあたった橿原考古学研究所の今尾文昭調査課長は「一豪族の施設とは考えにくい大きさで、地理的にも交通の要衝にある。政権運営上重要な場所と考えられ、初期ヤマト政権が直接統治した『祭祀集落』の可能性がある」とみる。
 一方、御所市付近の奈良盆地南西部は古代豪族・葛城氏の根拠地とされる地域。石野博信・元兵庫県立考古博物館長(考古学)は葛城氏の祭祀集落と想定しており、「大型建物は祭場で、竪穴建物には祭りに従事する『巫(み)女(こ)』らが住んでいたと思う」と推察。「祭りをつかさどる祭官は高床建物に住んでいたと考えられるので今後、周囲からそうした遺構が見つかる可能性があり、さらに周辺部の調査が必要だ」としている。
http://www.sankei.com/west/news/150820/wst1508200034-n1.html
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古墳前期の「住宅街」…奈良・中西遺跡で出土
読売新聞(関西)2015年08月20日

 奈良県御所市の中西遺跡で、古墳時代前期(4世紀前半)の26棟の竪穴建物跡が出土し、県立橿原考古学研究所が19日発表した。中西遺跡の北東に接し、祭祀(さいし)の場と推定される秋津遺跡と一体的に整備されたとみられる。全体の規模は南北約400メートル、東西約200メートル以上に及び、この時代に計画的に造られた集落としては最大という。
 京奈和自動車道のインターチェンジ建設に伴い、約7550平方メートルを調査。その結果、向きがほぼそろう竪穴建物跡(一辺3〜6・5メートル)が計26棟分出土し、鏡を模した石製品(直径6・1センチ)も見つかった。建物跡の床面からは土器が放置された状態で出土するなど、一帯は人々が暮らした〈住宅地〉の姿がうかがえるという。
 一方、秋津遺跡ではこれまで、溝や柵などで囲んだ特別な区画や大型建物などの遺構が見つかり、区画の周囲では、今回と同様な竪穴建物跡が出土。溝や柵で囲む区画は祭祀の空間、竪穴建物は居住の場と計画的に配置されたらしい。
 遺跡周辺は奈良盆地南部の交通の要衝で、5世紀に活躍した大豪族・葛城氏の本拠地とされる。今回の成果には、豪族とのかかわりのほか、ヤマト政権と関連づける指摘もある。同研究所は「豪族の居館とは、構造や規模が全く違う。ヤマト政権にかかわる施設の可能性もある」としている。
 石野博信・兵庫県立考古博物館名誉館長は「遺跡は葛城氏の祭祀空間で、竪穴建物群は祭祀にかかわる人たちの居住空間だろう。葛城氏が4世紀前半から周辺を拠点にしていたと考えられ、有力豪族の実態を示す発見」と話す。
 現地説明会は23日午前10時から。駐車場はない。問い合わせは同研究所(0744・24・1101)。
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/news/20150820-OYO1T50007.html
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古墳時代前期の巨大集落跡など発見 奈良、中西・秋津遺跡

日本経済新聞 2015/8/19 21:30

 奈良県御所市の中西遺跡を調査中の同県立橿原考古学研究所は19日、古墳時代前期(4世紀前半)の竪穴建物跡26棟や区画のための溝などを見つけたと発表した。隣接する秋津遺跡でも祭祀(さいし)を執り行った空間とみられる施設跡や竪穴建物跡などが多数発見されており、南北約400メートル、東西200メートル以上に及ぶ集落と判明した。
 この時期、計画的に配置された建物群としては国内最大級という。同研究所は「初期ヤマト政権が管理した祭祀施設と、関わった人々の住居の跡では」とみている。
 新たに発見した竪穴建物跡26棟は各3〜6.5メートル四方。溝で南北に区画されていた。祭祀を行ったとみられる井戸跡や、祭祀で用いたと考えられる鏡をかたどった石製品も見つかった。
 秋津遺跡は中西遺跡の北側に隣接。これまでに同時期の竪穴建物跡55棟のほか、板塀で方形に囲った祭祀施設群の跡、区画溝などが発見された。建物群の方位がほぼそろっていることなどから、両遺跡は1つの集落だったとみられる。
 同研究所は「用途の違う場所を整然と区画し、建物を計画的に配置した構造が確認できた」としている。
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG19HAY_Z10C15A8CR8000/
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中西・秋津遺跡:祭祀目的の大集落 初期ヤマト政権直轄か
 
毎日新聞 2015年08月19日 20時48分(最終更新 08月20日 06時21分)
 奈良県立橿原考古学研究所は19日、同県御所(ごせ)市の中西遺跡で、古墳時代前期(4世紀前半)の竪穴建物群や区画溝が見つかったと発表した。隣接する秋津遺跡では祭殿とみられる大型建物群が既に確認されている。両遺跡は少なくとも南北400メートル、東西200メートルに広がり、同時代では全国的に例がない計画的に建物を配置した祭祀(さいし)目的の大集落と分かった。橿考研は「初期ヤマト政権の祭祀集落の可能性があり、初期政権の実態を明らかにする成果」としている。
 京奈和自動車道の建設に伴い、今年4月から中西遺跡で約7550平方メートルを発掘。竪穴建物26棟の他、建物の間に掘られた幅30センチ〜1メートルの溝が出土した。
 一方、今回の調査地の北東の秋津遺跡では2010年までに塀で囲まれた四角形の区画が7カ所確認されている。最大の区画は南北50メートル、東西48メートル以上あり、内側に大型建物4棟が並んでいた。
 秋津、中西両遺跡の建物群や区画溝は造られた方角がほぼ一致しており、橿考研は両遺跡は計画的に建設された一体の集落で、大型建物群は祭祀地区、竪穴建物群は住居地区だったと判断した。
 両遺跡は初期ヤマト政権が本拠を置いたとされる纒向(まきむく)遺跡(同県桜井市)から南西約15キロにあり、共通する様式の土器も出土していることなどから、橿考研の今尾文昭調査課長は「初期ヤマト政権が直轄した集落の可能性がある。祭殿を中心とし、その周囲に祭祀に関わる人が住んでいたのだろう」と話した。
 現地説明会は23日午前10時〜午後3時。JR玉手駅から徒歩40分。駐車場はない。小雨決行。【塩路佳子、矢追健介】
 白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長(考古学)の話 ヤマト政権と密接な関係があったのは事実だろう。ただ、今回の遺跡は大和盆地の西南部で纒向遺跡とは距離がある。後の5世紀にこの地域で勢力を持った葛城氏につながる、ヤマト政権とは別の有力集団の拠点という見方もできる。
http://mainichi.jp/feature/news/20150820k0000m040080000c.html
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奈良の中西遺跡で溝跡など出土 4世紀最大の建物群か
 
塚本和人
朝日新聞2015年8月19日22時28分
 古墳時代前期(4世紀前半)の特殊な大型建物群が見つかっている奈良県御所(ごせ)市の秋津(あきつ)遺跡に隣接した中西遺跡で、多数の竪穴建物や区画溝の跡が出土した。県立橿原考古学研究所(橿考研)が19日発表した。両遺跡の建物群は一体のものとして計画的に配置され、当時最大規模だった可能性がある。ヤマト政権の実態が不明な「空白の4世紀」に迫る発見だ。
 秋津遺跡では2009年度以降、東西約150メートル、南北約100メートルの範囲で、現代の伊勢神宮などにみられる「独立棟持柱(むなもちばしら)建物」と呼ばれる建物跡やそれらを板塀で囲んだ「方形区画施設」が出土。祭殿のような祭祀(さいし)空間のあった可能性が指摘されている。
 今回、その南西の中西遺跡で、一辺3〜6・5メートルの竪穴建物跡計26棟や、人工的に掘られた幅30センチ〜1メートル程度の複数の区画溝が出土。竪穴建物群は秋津遺跡の建物群と方位をほぼそろえていた。両遺跡では東西200メートル以上、南北約400メートルにわたり、祭祀と居住の空間が計画的に配置されていたとみられる。
(以下略)
http://www.asahi.com/articles/ASH8M3V2BH8MPTFC006.html



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